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 銘苅は政府専用機に設置されている銃器ロッカーの側に立っていた。ロッカーには口径5・56ミリの89式自動小銃と9ミリ拳銃が6挺ずつ置かれ、それぞれトリガーを囲む用心金に鎖を通されていた。鎖はロッカーの壁に半ば埋め込まれている金属の輪に錠前で繋がれている。

 警務隊の空曹がロッカーを施錠する。空曹は事前の打ち合わせ通り、鎖と扉を閉じる鍵を銘苅に手渡した。緊張している様子で銘苅にしゃちほこばって敬礼する。

 銘苅はゆったりと答礼した。空曹は足早にメインデッキ後方の座席に腰を落とした。その右隣に同じく警務隊から来た女性隊員の三尉が座っている。2人はロッカーを警備する役目を担っていた。

 政府専用機の乗員待機席に随行するメンバーが座っていた。右舷に銘苅の副官と池谷、情報本部から来た日村、左舷に予備要員として乗り込んでいる第701飛行隊なな・まる・いちのパイロット2名がいる。整備員や運航管理要員は乗せないことに決めていた。万が一に敵に撃墜された場合、犠牲は少ない方が良い。銘苅がそう判断したからだった。

 銘苅はメンバーを見渡した。

「ここで諸君の士気を鼓舞するための演説は不要だろう。結局、我々は《シェル》を積んだ状態で離陸する」

 メンバーは誰しも緊張している。顔に表情は無かった。銘苅は続けて言った。

「当機はまもなく離陸する、各員、もう一度シートベルトを確認してもらいたい」

 銘苅はB777-300ERの操縦室に入った。左の機長席に南郷、右の副操縦士席に越野慶太・三等空尉が座っている。銘苅は越野の後ろにあるジャンプシートに腰を下ろし、座席ベルトを締めた。制服の胸ポケットから取り出したサングラスをかける。

 南郷と越野は協力して100項目近い手順プロシージャを踏み、B777-300ERを飛べる状態にセットアップしていった。エンジン始動までの操作は主に操縦以外の操作・交信などを担当するパイロット・ノット・フライングである越野が行う。大半は暗記項目となっていて黙々とスイッチ類を設定する。南郷は越野の指先を眼で追いつつ、半ば無意識に脳裏で唱えていた。

 天井に設けられたスピーカーから、ザラザラした音声が流れている。天井を指した銘苅は南郷に訊いた。

「こりゃあ何だ?」

「ジェット・スカイライン社の社内通信カンパニー・ラジオです。会社にたまたま航空学生教育隊こうがくの同期がいまして、そいつから周波数を聞きました」

 南郷は顔に渋い表情を浮かべている。

「何か問題でもあるのか?」

「つい先ほど、本省を通じてロシアの第11航空軍に政府専用機が領空に進入する旨を伝えたんです」

「ロシアが何か文句を言ってるのか?」

「いえ、向こうの識別圏内飛行は許可してくれました。ただ、サハリンから邀撃機を上げたらしいと。邀撃機の発進は形式的なものだと言うんですが・・・」

「邀撃機はおそらくテロリストの実行部隊だろう」銘苅は身を乗り出した。「旅客機に今の話は伝わってるのか?」

 天井のスピーカーから音声が流れる。空電混じりで聞き取りづらい。

《954、954、聞こえていたら応答せよ。繰り返す。954、954、こちらジェット・スカイライン・トウキョウ。954、応答せよ》

 南郷は肩をすくめる。

「会社が伝えようとしてますが、こんな感じで返事が無いんですよ。どうしますか?」

「一応、予定通りに行こう」

 銘苅はあっさりとした口調で言った。

「出たとこ勝負ってヤツだよ」

「今日の運勢は良くなかったはずなんですがね」

 南郷は一抹のやりにくさを感じながら言った。自分より上位の階級で操縦資格を持った者を操縦室に載せて飛ぶのは、初めての経験だった。銘苅は事前のブリーフィングで示したスタンスをそのまま答えた。

「フライトに関する限り、最終的な判断は貴官が下せばいい。それ以外は私が決定する。シンプルにそれだけのことだよ」

 南郷はうなづいた。

「わかってます」

梯子ラダー、外されました」

 地上との交信を担当していた越野が声を挟む。

梯子ラダーじゃない。階段タラップだよ」

 南郷は息を吐いた。機長の最初の仕事はエンジンを始動させることである。元は第6飛行隊でF-2を駆る戦闘機パイロットだった南郷にしてみれば、当たり前のことだった。

「OK、始めよう。エンジン始動だ」

「エア・コンディショニング・パック・スイッチ、オフ」

 越野は頭上パネルに手を伸ばし、右端にあるトグルスイッチを倒した。補助動力装置(APU)から客室のエアコンに供給されていた空気を遮断し、全てをエンジンに回すようにする。さらにエンジン始動に使用できる圧縮空気の圧力が既定の40気圧に達していることを計器で確認し、衝突防止灯を点灯した。

「パーキングブレーキ」南郷は言った。

 越野はスロットルレバーの後方にあるスイッチに手をやっていったん押し込んだ。指を離した瞬間にスイッチが跳ね上がる。

「パーキングブレーキ、解除」

「始動前チェックリスト、完了」

 南郷は左の親指をスロットルレバーの根元にあるエンジンスタートスイッチに当てる。右手はホイールを握って人差し指をトークスイッチに載せた。両翼のジェットエンジン―GE90-115Bを回した瞬間に火災が発生した場合、地上の整備員や管制塔に連絡するための動作だった。

 エンジンは右舷の第2エンジンから始動させる。南郷は声をかけた。

「スタート、ナンバー2」

「スタート、ナンバー2」

 復唱した越野は頭上パネルにある第2エンジンのスタータースイッチを押し込んだ。APUが発生させた圧縮空気が第2エンジンのスターターに送り込まれる。スターターの回転はギアを介して第2エンジンの中核部分コアに伝えられる。エンジン計器パネルを見ていた越野はコアが回転し始め、油圧が上昇し始めたことを告げた。さらにコアの回転は外周のファンに伝えられ、いよいよエンジンは本格的に稼働する。

 エンジン関係計器に眼をやり、ファンの回転が最大回転数の25%に達したところで右側のスロットルレバーを押し出し、燃料の供給を始めた。上昇する回転数と連動して、排気温度計の表示も上昇していった。南郷はスロットルレバーを握ったまま、排気温度と燃料流量に注目していた。異常があれば、ただちにスロットルを閉じなくてはエンジンが爆発する危険性がある。

 回転数はスムーズに上昇する。異常は見られなかった。回転数が40%に達した瞬間にAPUとスターターの連結が自動的に切れる。第2エンジンは自立運転を始めた。

「出すぞ」

 南郷はスロットルレバーをわずかに押し出した。機体がゆっくり前進する。滑走路に出るまでに第1エンジンを始動させてやればいい。越野は副操縦士席にある前輪のハンドルをいっぱいに切った。格納庫を出た政府専用機は滑走路に機首を向けてタキシングする。

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