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 垂直尾翼に大きな日の丸。胴体前部に日本国、JAPANの文字。全幅64メートルに及ぶ主翼の両端にウイングレッドが立っている。政府専用機のB777-300ER。三雲たちの眼の前に佇む巨大な機体は胴体の中央下部にある貨物室の扉を跳ね上げ、そこから傾斜路が伸びていた。機体の周囲に人影はなかった。

 4人の戦闘機パイロットを格納庫で出迎えたのは、設楽と第701飛行隊なな・まる・いちの飛行班長だった。南郷栄治・二等空佐。格納庫や機体の周囲に人影は無かった。南郷が人払いをしたと断った。

「テロリストが政府専用機を人質に指定した理由を説明します」設楽は言った。「無論、これから話す内容は部外秘に当たる。よくよく注意してください」

 6人は傾斜路を上がる。貨物室は暗かった。南郷は入口のすぐ右側にあるスイッチに手を伸ばした。照明が付いた途端、巨大な木枠に囲まれた物体が部屋の中央に現れた。設楽は低い声で言った。

「これが、テロリストが欲しがってる物です」

 物体は三つ積み上がった状態で頑丈に固定されていた。木枠にキリル文字が見える。

「これは一体、何です?」堀井は言った。

「大陸間弾道ミサイルSS-19用の弾頭部。名称は《シェル》」

 戦闘機パイロットたちは絶句した。

「国内でこんな物を扱ってるなんて」堀井は言った。「これを第701飛行隊なな・まる・いちで基地に搬入したのか」

「格納庫と政府専用機は借りただけです。隊員が直接、《シェル》に触れることはなかった。おおかたアメ公と露助が処理しました。我々にこれを扱うノウハウなんてありませんし」

 南郷はうなづいた。

「そういえば、2号機には近づくなと言われてましたね」

 太い木枠に囲まれた円錐は直径が約1メートル、全長は3メートルほどあった。灰色の塗料が分厚く塗られた円錐の先端は鏃のように尖っておらず、穏やかな丸みを帯びている。

 政府専用機を格納する巨大な格納庫は朝の冷気に満たされていたが、三雲の背筋を震わせているのは気温ではなかった。寒気は身体の奥深いところから来ている。

 成瀬は設楽に訊ねる。その声は震えていた。

「これはどこから持って来たんです?」

「偶然の産物ですよ」設楽は言った。「篠崎・一尉の機体を捜索してる時に、我が国の深海調査船が海底で見つけました。発見現場の近くに貨物機の残骸が転がってたので、元は貨物機に積まれてたんでしょう。とにかく我々が見つけたんだから、いったん国内に揚げるしかありませんでした。その後はアメリカに空輸して無力化するだけでした」

「そう言えば、自分たちは大丈夫なんですか?」谷口は言った。「こんなところに木枠で囲ってあるだけで、放射線とか被曝とか・・・」

「私はこれをミサイルの弾頭部と言っただけです。核爆弾じゃありません」

 戦闘機パイロットたちは設楽の言葉に耳を疑った。

「だったら、これは何なんです?」

「ある意味、核より恐ろしいものです」

 戦闘機パイロットたちは政府専用機の貨物室を出た後、格納庫の一角にあるスペースに案内された。整備小隊が使用している作業テーブルにノートPCが置かれている。設楽の部下がPCを操作してポートにUSBを挿入する。

「まずは、これを見てください」設楽は言った。

 ディスプレイに荒い粒子の映像が再生される。70歳ぐらいの白人男性がベッドに横たわり、時おり激しい咳に見舞われる。ぜいぜいと息を荒げる。呼吸も苦しそうだった。

「彼はコンゴで土木建築の現場で働いていたロシア人男性です。年齢は39歳」

「まさか」堀井は言った。

「病気のせいで消耗してますからね。自分も最初に聞いた時は驚きました」

 三雲は設楽に尋ねた。

「どうして病気になったんです?」

「仕事が休みだった日にサファリに出かけたそうです。そこでテナガザルの一種に頬を引っ掻かれたことによって感染したという話です。当初は中部アフリカで大流行してたエボラ出血熱が疑われました。この男性はロシア・・・これが撮影された当時はソ連ですが、黒海地域に帰郷後に発症しました」

 設楽はPCのキーボードを操作する。

「ここからは再生速度を上げます」

 ベッドの周りにエアテントが張られる。病室を行き来する医師や看護師は防護服に身を包んでいる。早回しでちょこまかと動く様子は喜劇的ですらある。男性の顔はみるみる青ざめていき、肌に赤い斑点が生じ始める。斑点はあっと言う間に額や頬、顎に散らばった。

 設楽は再びPCのキーボードに手を伸ばした。

「いよいよ最後です。ここからは再生速度を通常に戻します」

 ベッドに寝ている男性の上に屈みこんでいた防護服姿の医師は何か叫んでいる。すっかり衰弱しきった患者は身体をのけ反らせ、苦しげに顔を歪める。咳き込んだ直後、口から焦げ茶色の粘液が溢れ出した。

「ウィルスに侵された胃粘膜が壊死し、吐しゃ物に組織が混じり出しています。崩壊が始まろうとしているんです」

 患者は眼や鼻も出血し始める。顔じゅうに散らばっていた斑点も弾けるように破れ、血が流れ出した。股間の辺りも赤黒い液体が広がっている。医師は患者の胸に両手を当て押し始める。仰向けになった患者は顔をのけ反らしたまま反応しない。大きく見開かれた眼から溢れ出す血液が涙のように眼尻から耳に滴る。医師は手を止めて首を振った。

 映像を見ていたパイロットたちは息を吐いた。いつの間にか、息を殺していた。

「死亡後の検証で、男性が感染したウィルスはエボラウィルスから進化したものだと分かりました。この感染症を『ヤルタ出血熱』と名付けた当時のクレムリンは抗体を精製し、細菌兵器にしたんです。もうお分かりでしょうが、SS-19の弾頭部は兵器化されたヤルタウィルスが収納されてるんです」

「もし、あのウィルスがバラ撒かれたら?」堀井は言った。

「エボラと異なり、これは地域を選びません。寒冷地でも繁殖できるように耐性を付けてますから。致死率は約98%。いったん感染したら助かる術は何もありません」

 谷口は呟いた。

「しんどい任務になるなあ」

 随伴機を駆る戦闘機パイロットたちは格納庫から解散した。作戦までに身辺や装備で準備することはあまりにも多かった。遺された時間は少ないにも関わらず、三雲は設楽に声をかけた。そうせざるを得なかったのだ。

「あの弾頭を積んでた貨物機というのは、フライングタイガー航空192便ですか?」

 設楽はうなづいた。

「192便に細菌兵器を積んだのは、誰か分かってるんですか?」

「《キキモラ》、いま我が国を脅迫してるテロリストの仕業だよ。貴官には教えてなかったが、192便は三沢基地に向かって飛行してた。192便の機長と副操縦士もテロに加担してたことが分かってる」

 三雲は背筋に冷たいものを感じる。体当たりによる自爆攻撃に収まらず、生物兵器による殺傷を図ろうとしていた事実に慄いていた。

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