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 三雲は千歳基地の駐機場エプロンで発進を待つF-15J《イーグル》を見上げる。コンクリートを敷きつめた駐機場エプロンに《イーグル》が向かい合わせに4機ずつ、合計8機並べられていた。

『やっとお前に乗ることが出来る・・・』

 飛行列線に並んだ《イーグル》は整備隊員たちの手で完璧に仕上げられているはずだが、戦闘機パイロットなら搭乗前に機体の点検は怠らない。三雲は警務隊に3日間も拘束されたためにブランクがあったが、手順はすでに身体が覚えてしまっている。左の主翼から開始して左エンジンの空気取入口、前脚、機首を点検する。今度は機体の反対側に回って右の主翼、水平尾翼、右エンジンの空気取入口と時計回りに機体を一周する。肉眼で確認すると同時に手で触れてもいる。

《イーグル》のパイロットになって六年。灰色の怪鳥を眼の前にした時は、今でも初等練習機T-3で初めて単独飛行ソロフライトした時と同じ興奮を覚える。機体左舷側、操縦席の縁に引っかけてある梯子ラダーの脇に機付長が待っていた。航空自衛隊では戦闘機パイロットは飛行ごとに乗機を割り振られるが、機付長は担当する機体が決まっている。そういえば、事故当夜に三雲が搭乗した《イーグル》の機付長だった安土・一曹はいまだ行方不明だという話を聞かされていた。

 三雲は梯子ラダーを昇り、ACEⅡ射出座席に腰を下ろした。機付長は操縦席と三雲を結ぶハーネスの装着を手伝う。ハーネスを固定し、三雲がヘルメットを被ったところで機付長は射出座席から抜いた安全ピンを見せた。三雲はうなづいた。機付長は微笑んだ後、表情を引き締める。

「今日から復帰戦ですな」

「まあ・・・」三雲はうなづいた。「そういうことになるかな」

「頑張ってください」

「ありがとう」

 機付長は梯子を降りていった。三雲は息を吐いた。ヘルメットのチンストラップを顎にかける。酸素マスクはまだ固定せずにヘルメットからぶら下げる。

 今日の訓練科目は2個の2機編隊による空中戦だった。制空を主任務とする《イーグル》部隊にとって最も重要な訓練に当たる。第1編隊は堀井(リーダー)と谷口(ウィングマン)、第2編隊は成瀬(リーダー)と三雲(ウィングマン)。訓練空域に達した2個編隊は距離を取り、互いに正面に相手を捉えたら接近し、すれ違いざまに空戦機動に入る。

 機体から梯子ラダーが外される。

 三雲は堀井が乗るはずの《イーグル》に眼をやった。堀井の編隊僚機ウィングマンを務める谷口はすでに乗り込み、酸素マスクを装着して計器盤の点検をしている。堀井はいまだ駐機場エプロンに姿を見せていない。救命装具室では一緒だったから、すでに機体周りの点検をしていてもいいはずだが。

 ジェット・フューエル・スターターのT字ハンドルに手を伸ばしかけた時、三雲は視界の端に何かを捉える。フライトスーツを着たパイロット―犬飼が隊舎から駆け寄ってくるなり、機付長に何か話しかけている。

 機付長は三雲に向かって首を掻き切る仕草をした。

「訓練が中止になりました」

「何だって?」

 犬飼は両手をメガホンのように口許に当て怒鳴った。

「第2ピリオド以降の訓練は全てキャンセルされました。装具を着けたまま、オペレーションに来るようにとのことです」

 三雲はヘルメットのチンストラップを外しながら第201飛行隊に・まる・いちの建物に眼を向けた。オペレーション(指揮所)は建物の1階、駐機場エプロンに面したところにある。ガラス越しに堀井が見える。受話器に耳を当てた状態で手を振り回していた。

 何かあったのか。三雲は疑問を抱きながらヘルメットを脱いだ。

 半時間後、第201飛行隊の指揮所に30名のパイロットが集結した。訓練飛行に入るはずだったパイロットはGスーツとサバイバルベストを身に着けたままだった。膝の上にヘルメットを置いている。隊長と飛行班長の堀井が部屋に入ると同時に、パイロットたちは立ち上がって直立して迎えた。三雲は成瀬と並んで前から3列目に座っていた。

 全員が着席した後、隊長は壇上に立った。いつになく厳しい表情を浮かべている。隊員たちは身じろぎせず、隊長に注目していた。隊長はパイロット全員の顔をゆっくりと見渡してから腕時計を一瞥した。

「ただ今、午前10時58分25秒をもって第201飛行隊に・まる・いちは戦闘態勢に移行する」

 隊長は顔を上げた。

「これは訓練ではない」

 会議室の空気は凍りついた。静寂に包まれた室内で隊員たちは呼吸すら忘れてしまったようだった。隊長は続ける。

「すでに諸君はニュースで知っていると思うが、日本時間の本日未明、ニューヨークを飛び立った旅客機がロシア空軍に捕捉されてユジノサハリンスク空港に強制着陸された。マスコミに対する発表では旅客機がロシアの領空を侵犯したとされているが、旅客機を捕捉した空軍機はモスクワの指示を無視して独自に行動している。この点は我が国政府に届けられた脅迫状で判明した」

 隊長は部下に自分の言葉が浸透するように間を置いた。

「テロリストは今、この基地で出発準備中の政府専用機が旅客機と入れ替わり、人質になるよう要求している」

「すみません」

 堀井に次いで古株の谷口は挙手する。

「政府専用機が人質とは、どういうことですか?」

「その件は後で改めて説明する」隊長は言った。「テロリストが空中で入れ替わった政府専用機をどのように、またどこに誘導するのかは現在まったく見当がついていない。しかし、旅客機の安全が確保された段階で政府専用機は離脱を図る」

 隊員たちの突き刺すような視線は隊長の口許に集中している。

「我々に与えられた使命は、何としても政府専用機の離脱を成功させることである。万が一、ロシアもしくはその他の国の邀撃機が離脱を阻止する行動に出た場合、我々はその間に割り込み、自らの身を的にすることで、彼らの意図を阻止する。それでは、具体的な作戦については飛行班長から説明してもらう」

 隊長に代わって壇上に立った堀井は政府専用機に随伴する4機、稚内の東方洋上でコンバット・エア・パトロールに就く2機、さらにバックアップとして5分待機に就く6機の戦闘機パイロットの氏名を告げた。

 三雲は耳を疑った。政府専用機に随伴する4番機に選ばれていたのである。長いブランクから来る不安をよそに、随伴機の編隊長を務める堀井は告げる。

「随伴機のメンバーは格納庫に移動するように」

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