[2]
岸元は早朝に第701飛行隊司令部に呼び出された。普段、政府専用機を運用する航空部隊である第701
会議室には銘苅と設楽の他に、制服姿の男がいた。男は池谷と名乗る。所属は航空幕僚幹部で階級は一佐。岸元は姓名と階級に聞き覚えがあった。記憶の抽斗を探している内に、設楽から1枚のプリント用紙を手渡される。英語と機械翻訳された日本語で書かれており、文書の右隅に《キキモラ》と署名されている。
『悪魔の子を孕みしN511BJが悪魔の子とともに、サハリン上空で8212と相まみえるとき。ようやくしにして炎の神の怒りは解けよう。N511BJは北より飛来する神の子に従いて、約束の地に導かれる』
岸元はプリント用紙から顔を上げた。ソファで隣に座っている銘苅は顎を手で擦りながら天井を見上げている。岸元は銘苅に訊ねた。
「これはいったい何ですか?」
銘苅は設楽に眼を向けた後、ぼそりと言った。
「お前は意味するところは分かるよな」
「ええ」設楽はうなづいた。「部分的に分からないところもありますが」
「そうだろう」
銘苅と設楽を交互に見ていた岸元は口を挟む。
「私にはよく分かりませんが・・・」
「鍵はN511BJと8212になる」設楽は言った。「N511BJは政府専用機の二号機が日本に運ばれてきた時についていた機体のシリアルナンバーです。おそらく8212もそうだ。要するにサハリン上空でランデブーしろとわが国を脅迫してるんだ。サハリンとなれば、北から来る神の子も推測できる」
「ロシアか?」
岸元の言葉に設楽はうなづいた。銘苅は設楽に訊ねる。
「8212のボーイングはどこが使ってるんだ?」
「ジェット・スカイラインという民間の航空会社です。その脅迫文はニューヨークの本社に送られてきました」
「該当の航空機は今どうしてるんだ?飛んでるのか?」岸元は言った。
「詳細はまだ不明だが、ロシア空軍機に拘束されたという情報が入ってる。ニューヨークから成田に向かうフライト中、ユジノサハリンスク空港に強制着陸させられたそうだ。拘束理由は旅客機がロシア領空を侵犯したということだが、要するに287人の人質だよ」
銘苅は間髪を入れずに答える。
「テロリストの要求に屈するわけにはいかない」
設楽はうなづいた。
「しかし、今は敵の正体を掴めていないでしょう」池谷は言った。「それに、300人近い乗客を載せた旅客機が拘束されているんです。要求を無視することはできません」
岸元は向かい合う池谷と銘苅を等分に見比べた。
「さっきから聞いてると、テロリストとロシア空軍が結託しているようですが・・・」
「いや、おそらくモスクワは無関係だろう」設楽は言った。「首謀者が雇ったのか、その思想に賛同した私兵がロシア空軍内にいて、そいつらが活動しているようだ。ハバロフスクの東部軍管区司令部からは状況確認の無線通信が平文で大量に飛び交っているし、彼らにとっても旅客機の拘束は寝耳に水だったようだ」
岸元は設楽に訊ねる。
「テロリストがわが国の政府専用機を要求する理由は何だ?」
「敵は政府専用機が欲しいんじゃない。狙いは《悪魔の子》だ」
「《悪魔の子》?」
「元はフライングタイガー航空192便に積まれていた荷物だ」
銘苅は低い声で言った。
「どのような方法で受け渡すにしろ、あの荷物がテロリストに渡れば、犠牲は300人では済まされないぞ」
銘苅は一般的な話を口にしている様子ではなかった。《悪魔の子》とは何なのか。岸元が口を開こうとした時、会議室のドアが開いた。新たに制服姿の男が部屋に入って来る。驚いた岸元は口を閉じてしまった。航空幕僚副長の徳重・空将だった。徳重は池谷の隣に腰を下ろした。
「幕僚長と話してきた」
徳重は制服の襟元を指で拡げながら続けて言った。
「先ほどの閣議で出た結論だが、政府は人質になっている旅客機の安全を最優先事項で考えるとのことだ。我々もそれに応じて決断しなければならない」
銘苅は徳重に訊ねる。
「《悪魔の子》を引き渡すということ、ですか」
徳重はうなづいた。眼を閉じて両手を胸の前で組む。会議室に重い空気が沈着する。口を開いたのは、銘苅だった。
「政府専用機は飛ばします」
岸元は銘苅を一瞥する。相手は爽やかな笑みを浮かべている。
「あれは国内にあっても厄介です。輸送作戦に関しては書類上、たしか私が指揮官になってるはずです。本作戦がまだ我々の手によって遂行されるなら」
池谷は顔をしかめる。銘苅の言葉が正しいことは分かっていた。積荷を米空軍との協同で日本国内から米本土に輸送する方策は整えていた。よりによってその輸送作戦を実行する当日をテロリストに狙われた。
「ですが、政府専用機を飛ばすのはあまりにも危険・・・」
銘苅は池谷が言いかけた台詞を遮って言葉を続けた。
「政府専用機を旅客機の身代わりにすると言っても、タダで敵に渡すつもりはない。護衛に戦闘機を随伴させる。副官、第2航空団司令と
設楽は徳重に尋ねる。
「飛行隊に積荷を明かしても構いませんね?任務の重要性を分かってもらいたいので」
徳重はうなづいた。
「まあ、仕方ないだろうな」
「あれを政府専用機に必ず積み込まなくてはならんわけもないだろう」
岸元は銘苅の言葉に耳を疑った。テロリストを出し抜くつもりなのか。
「敵の情報収集能力は侮れません」
設楽は釘を差した。
「積荷は存在自体、我が国かアメリカ以外に知られていないはずです。考えたくはありませんが、ひょっとすると・・・」
「ひょっとすると、何だね?」
「我々に裏切り者がいるかもしれない」
銘苅は傲然と胸を反らした。
「それなら、積み込んで飛び立とうか?」
設楽は重ねて訊ねる。
「ダミーでも?」
「ダミーが通用するなら積み込まない手もありだろうな」
銘苅は首を横に振った。
「我々の中に裏切り者がいるかもしれないと言ったのは君だ」
「どうするつもりなんです?」池谷は顎を撫でる。「万が一の場合は?」
「空中投棄という手もあるだろう。重しを付けて深海に沈めてしまえばいい」
「敵が黙って見過ごしますか?」
「政府専用機ごと海に突っ込むという手もありだよ、いざとなればね」
会議室にいた全員は航空幕僚副長を見た。徳重は不敵な笑みを浮かべている。
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