第2章:隠蔽

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 2月19日。

 岸元秀嗣・二等空佐は千歳市内のホテルに迎えに来た公用車の後部座席から、どんよりと曇った灰色の空におぼろげに浮かぶ千歳基地のシルエットを眺めた。

 遠くから航空機の爆音が聞こえる。スクランブルか。訓練飛行か。岸元は窓から機影を探して灰色の空を見上げた。数年前まで岸元も第一線のパイロットとして待機任務についていたが、北部航空方面隊司令部の法務官である今では年次飛行ネンピでもなければ、操縦桿を握ることはない。岸元のように地上勤務に就いている戦闘機パイロットは操縦技量を維持するために年間90時間は飛ばなければならない。それが年次飛行である。

《厄介な事態になったな・・・》

 事件は3日前に発生した。

 20XX年2月16日午前1時ごろ。千歳基地の第201飛行隊に所属する2機のF-15J《イーグル》戦闘機が緊急発進した。基地を発進して数十分後、一機がオホーツク海上でレーダーから消失ロストして行方不明になった。北部航空方面隊司令部は同日、消失の第一報を受けて関係各署に問い合わせを行った。

 岸元は手元のファイルに眼を落す。人事教育局から渡された2名の戦闘機パイロットに関する記録だった。3日前に行方不明になった機体のパイロットは篠崎真・一等空尉。29歳。もう1機のパイロットは三雲篤・二等空尉。こちらも29歳。事故当日は篠崎が編隊長リーダー機、三雲が編隊僚機ウィングマンをそれぞれ務めていた。

 2人の共通点は多い。航空学生教育隊出身で同期入隊。30代前半で二等空尉ならその経歴もうなづける。防衛大学校を卒業していれば、その年齢に達する頃には一等空尉まで昇進している。

 今日は千歳基地で、事故から帰還した三雲に対する聴取を行う。篠崎に関しては、未だ事故機も遺体も見つからないために生死は不明である。しかし事故からすでに3日が経っている今となっては、生存は絶望的だろう。いつの時代でも僚友の死は遺された者たちに何かしら禍根を残すだろうが、航空学生の同期となれば、話は別である。

 18歳から22歳までの多感な時期を一緒に過ごした学生たちは同期という言葉で定義できないような関係性を持っている。寝食を共にしたという単純な関係ではない。訓練飛行でいつ「不適格」の烙印を押されるかわからないという恐怖を共有し、命がけの訓練も一緒に乗り越えてきた。

 岸元は隣に座る副官の岡田美登里・一等空曹に尋ねる。

「行方不明になった篠崎・一尉の教官は市谷にいるんだったな」

「航空幕僚監部の池谷・一佐になります」

「池谷・一佐から話は聞けたんだろう?篠崎・一尉について、何と?」

「市谷の防衛書記官に全部話したから、そっちに聞けと言われました」

「そうか・・・」

 岸元は眼を閉じる。

 岸元も以前に同期のパイロットを1人、事故で亡くしている。共に同じ飛行隊でF-4EJ《ファントム》を操縦したこともある。

 同期のパイロットは肌が色白で良く目立った。眼は涼し気な一重。鼻が少しばかりひしゃげているのは、趣味で乗り回しているバイクの走行中に事故に遭った名残だという。岸元は慣れない洋酒に酔った勢いで同期に聞いた話がある。今から思い返せば、恥ずかしいことを聞いたなと後悔するような思い出だった。

『死ぬのは怖くないのか?』

『当たり前だ。石仏じゃあるまいし―』

 春まだ浅い時期の宴会だった。岸元はそう記憶している。そう答えた直後、同期はふと醒めた顔つきになって付け加えた。

『だけどな、ただ生きてるだけっていうのはもっと怖い気がする。自分が自分でなくなってから生きるのはな』

 10年前に岸元が百里基地で一緒に警戒待機任務に就いていた時、同期は夜間の哨戒飛行中に遭難、墜落して死亡した。その時の忌まわしい記憶が甦ってくる。

 基地は暗い闇の底に沈んでいる。サイレンが断続的に6回に渡って鳴り響いた。始業と終業の時以外に鳴るサイレンは緊急事態を告げる。四回は基地内の事故を知らせる。6回は場外救援。航空自衛隊の場合、場外救援は大抵が作戦機の墜落を表す。基地内や周辺を取り巻く隊員たちの官舎に死の静寂が訪れる。岸元の脳裏には、場外救援を知らせるサイレンの響きが幾度となく刻みつけられている。

 岡田が話しかけてくる。

「質問してもいいですか?」

「何だい?」

「篠崎・一尉の人事考課では、最も優秀なパイロットだという評ですが・・・」

「何か疑問でも?」

「たしかに29歳で一尉は早いですが、篠崎・一尉は省内に限らず何か役職にある人物の係累なのでしょうか?」

「いや、篠崎には親の七光りなどない。この資料によれば、両親をはじめ親戚に特殊な筋はいない。その実力は小松の飛行教導隊アグレッサーも認めてたようだな」

 飛行教導隊は航空自衛隊における仮想敵機部隊であり、要撃機パイロットの技量向上を目的として特に傑出した戦闘技量を持つパイロットが配属されている。篠崎のF-15が行方不明になって間もない頃、岸元はアグレッサーに所属している同期と電話で話した。話は事故とは関係なかったが、ついでに岸元は同期に篠崎の件を聞いてみた。

 案の定、同期は篠崎を知っていた。戦闘機パイロットの世界は狭い。同期は去年、千歳基地に巡回指導した際の思い出を話してくれた。篠崎が所属する第201飛行隊に対して、2機編隊同士の空中戦訓練を行った。篠崎の技量に関しては、空中機動も射撃も筋がいいというぐらいの評価だった。だが、飛教隊の隊長が下した評価は岸元の同期とは異なった。

「飛教隊の隊長は、篠崎を引き抜くつもりだったそうだ」

「本当にそうなのですか?」

「なぜ、そんなことを聞く?」

「本省の防衛書記官が本件を調査している理由です。小官は篠崎・一尉がある係累か、防衛書記官と何らかの関係があると思ってましたが」

「そうでもなければ、篠崎・一尉がいくら腕のいいパイロットだからと言って飛教隊に評価されるはずはない、ましてや防衛書記官がこんな事故の調査に乗り出すわけがないと言いたいのだろう?」

 岡田は顔を赤らめる。

「それは、ぼくも同感だ」

 岸元は苦笑を浮かべる。

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