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 千歳市内の繁華街。

 三雲は傷だらけのバーカウンターに両肘をついている。

 カウンターの内側には、いつも和服を着ている年配のママが1人。馴染み客との会話に夢中になっている。今夜は酒の注文を聞く時以外は話かけてこない。今の三雲には有難い感じだった。

 バーボンのロックが入ったグラスを見つめる。ストールに腰かけたまま、三雲はまもなく忍び寄って来るはずの酔いを待っていた。だが、その夜はバーボンによる甘美な混濁はなかなか訪れなかった。

 このスナックは篠崎が見つけてきた。10人も入れば、いっぱいになってしまう程度の店。いつも年配のママが1人で切り盛りしており、週末でもせいぜい馴染み客が5、6人入るぐらいだ。それが数か月前、ママが新しく雇った茉優という女性がアルバイトを始めるようになってから混むようになった。癒し系、和み系だという評判が広まってたちまち人気が出た。その手の情報が基地内で伝わるのは恐ろしいほど早い。

 初めて篠崎からワイルド・ターキーを飲まされた時を思い出す。三雲はアイスペールの角氷を手づかみで、2つ並べたロックグラスに放り込んだ。隣でバーボンのボトルを手にした篠崎が口許を歪める。

「行儀が悪いぞ、お前」

「さっきおしぼりで手は拭いた」

 篠崎は鼻を鳴らして、2人分のグラスにバーボンをたっぷり注いだ。

「自分はどちらかというと、日本酒党なんだが」

戦闘機乗りファイターがこれを呑まないでどうする?いいか。どんな敵だろうが、七面鳥撃ちターキーシュートに追い込めないようじゃ勤まらん」

 七面鳥は自分の翼で飛べない。短い脚で地面をよたよたと走り回るだけだ。動きの鈍い七面鳥を鉄砲で撃つのは簡単だということから、ターキーシュートには楽勝という意味が込められている。2人はそれぞれグラスを手にした。

「どうせ明日は休みだ。乾杯」

「乾杯」

 2人はグラスを軽く合わせる。三雲はひと口含んだ。

 辛い。やはり自分には日本酒の方が口に合う。三雲はそう思った。篠崎はほんの少し啜っただけでグラスを置いた。強い酒を好む者が必ずしも酒に強いわけではない。狭い店内は騒がしい。カウンターもボックス席も茉優めあての客で埋まっている。20代の客がひっきりなしにカラオケを歌っている。大半が基地の顔見知りだ。

 強引に眼を閉じる。旋回するスホーイ。ヘッド・アップ・ディスプレイに揺れる敵機のコンテナ。雲や切れ目にのぞく青い空と海。酸素マスクに充満しているゴムの臭い。操縦桿を通して伝わる機体の振動。次々と鮮やかなシーンとなって脳裏によみがえる。あの一瞬と同じ汗が額やこめかみ、背中にふき出してくる。

 隣のストールに座った篠崎がタバコに火を付ける。

「お前とまた一緒にやるの、何年ぶりだっけ?」

「5年くらいかな」

 三雲と篠崎は航空学生教育隊こうがくの同期だった。共に厳しい競争を勝ち抜いて戦闘機パイロットになり、宮崎県新田原基地でF-15の戦闘機操縦過程を受けた後はそれぞれ異なる任地に赴いた。篠崎が聞いてくる。

「最初は?」

第305飛行隊さん・まる・ご

「新田原か。俺は第306飛行隊さん・まる・ろく

「小松はどうだった?」

「ひどかった」

「任務が?」

 篠崎が首を横に振った。

「隊長と反りが合わなかった。顔を合わせれば、喧嘩ばかりしてた気がする。防衛大学校ぼうだい上がりで訓練通りに飛べれりゃ、充分だと抜かしやがった。それがどうにも気に食わなかった。『敵はコッチの訓練通りに飛ぶわけありません』そう言いかえしてやった。そうだろ?」

 三雲はうなづいた。

「そんなこと言われたんじゃ、隊長も引っ込みがつかないだろ」

「だから、次の訓練であっという間に撃墜してやった」

「どうやって?」

「企業秘密。とっておきの必殺技があるんだ」

 篠崎は得意げに笑った。

 三雲も含めて航空学生教育隊に同期入隊したのは65人。その中で最も腕の立つパイロットは篠崎だった。三雲が1年前に第201飛行隊に配属された時、篠崎はすでに2機編隊長エレメント・リーダーになっていた。現在、三雲も2機編隊長の資格を得るための訓練を受けている。

 飛行隊に配属された戦闘機パイロットは訓練を受け、試験に合格して資格を得なくてはならない。最初は編隊僚機ウィングマンとして任務をこなせるようになることを求められる。だが、それはほんの第一歩に過ぎない。ひたすら編隊長リーダー機を見て飛ぶウィングマンとしてトレーニング・レディからオペレート・レディに昇格した後、100マイル四方の空間を頭に描き、敵味方の位置を考えて戦闘を組み立てるエレメント・リーダーとなる。この時に初めて戦えるパイロットと見なされる。その次は4機編隊長フライトリーダー、さらには4機以上の多数機を指揮して飛ぶマルチリーダーに昇っていく。

 エレメント・リーダーに昇格するためにはあらゆる戦術や戦法を頭に叩き込み、一瞬で変化する状況に応じて的確な戦い方を選択できなくてはならない。しかも自分だけでなく、従えているウィングマンを指揮して適切に動かすことが求められる。さらに敵機に対処する。天候や高度といった条件も刻刻と変化する。

 変数がいくつも入った方程式を瞬時に解かされるようなものだ。経験を積み重ねて反射的に2機編隊を動かせるようになるまで何度も失敗する。次第に戦闘機パイロットになろうとしたこと自体が間違いだったとまで思いつめるようになる。

 アイツなら、こんなことでは弱音は吐かない。三雲はそう思った。吐き捨てるようにこう言うだろう。

「自信をなくしちゃ、戦闘機乗りファイターはお終いだ。諦めろ」

 学生時代から篠崎の後塵を拝してきた三雲にしてみれば、篠崎と配属先が違ったことに安堵していた。胸をなでおろした自分が情けなく思いつつも、イーグルドライバーとして研鑽を積んできたつもりだった。だが、篠崎との技量の差は学生の頃から変わりがなかった。千歳基地に配属されて間もない頃、三雲は飛行隊の訓練でそのことを痛感した。

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