第23話「飛空船」

 私は走っていた。

 走っても走っても進まないのは、体が今よりもずっと小さいせいなのか、それとも夢だからなのか。

 いや、きっと足が震えていたから。


「俺は兵士だ。国と、家族うちを守るのが使命なんだ。だから安心して行ってくれ。すぐ終わらせて会いに行く」

 これは父の言葉。

 なんとなく、もう会えることはないと分かってた。


「シェリーヌ。お母さんはね、貴女を守るのが使命なの。そして貴女は、兵士の子として、立派に生きて。まっすぐ走って。あとで追いかけるから」

 これは母の言葉。

 なんとなく、追いかけてこないことは分かってた。


 あの時の私は、敵国を相手に果敢に戦う父を置いていき、その道中で私を守ろうとモンスターに身を挺した母を見捨てた。

 それでもまっすぐ走った。


 暗いのが怖かった。

 悲鳴が怖かった。

 父がいなくなるのが怖かった。

 母がいなくなってしまうのが怖かった。

 今までの普通のことがなくなってしまうのが怖かった。


 なによりも。

 自分が死んでしまうのが、怖かった。

 あたしは弱虫だ。

 ただ、逃げただけだ。

 そして都合がいいことに、お母さんに言われた通りにすれば、また元通りになるかもしれないと思った。


 でもそんなことはなかった。


 私たちの村は、プキトル国の領土になった。

 私たちの国は、全てを奪ったプキトルと講和を結んだ。

 多くの人が死んだ。

 大切な場所がなくなった。


 父は、使命を果たせなかった。

 母は、こんな弱虫な私と命を引き替えにした。


「誰だって最初は、弱虫に決まっているだろう」

 私を拾ってくれたミグラス王子が、いつだったか、そう言ってくれた。

「泣くヒマがあるなら剣を取れよ。自分の弱虫と戦え。お父さんが果たせなかった分、お前が果たしてやれ。立派に生きて、お母さんに安心させてやれよ」


 私は、ミグラス王子についていくことを決意した。




 そして、再びプキトルとの戦争は始まってしまった。

 私の村と引き替えてまでした講和は、10年も続かなかった。

 分かっていた、こうなることは。

 講和なんて、やつらにとっては、この国を奪う前段階に過ぎない。

 だから、結局戦争になるくらいなら、その前に戦いたかった。

 でも、それが簡単にできることじゃないって、それくらいは分かっている。

 戦争は感情じゃない。

 だから、プキトルの友好国面にも付き合ってきた。

 ヘドが出そうだったけど。




 でもこうして、再び復讐の機会を与えられたことは、僥倖ぎょうこうだった。

 不謹慎だけど、待ちに待った瞬間がようやく訪れる。

 そんな気さえした。



 そうして、迎えた出陣の日の前夜。

 ミグラス王子はあたしに、こう言った。

「お前だけに言うが、はっきり言ってこの戦、負けるだろう」

 王子の言葉に、耳を疑った。

 なんとも他人事だ。

 戦う前から、負けを口にするなど……!


「王子である貴方がなんてことを……! この国の存亡がかかっているんですよ!」

 そう訴える私に、王子は首をふった。


「諦めているわけじゃない。むしろ逆だ。分かるだろ? この戦況を変えられるやつがいる。ヒーローだ。あいつが国の命運を変えてくれる」

 王子の発言は、あたしではなく、ヒデオへの期待だった。

 王子が負けを口にするよりももっと、心に怒りがにじみ出てくるのが分かった。

 でもその怒りは、体から力を奪っていく怒りだった。


「ずいぶん、あいつを買っているんですね」

 ようやく出た言葉がそれだ。

 なぜなの?

 あれからの私をずっと、王子は誰よりも見ていてくれていたはずなのに。


「今まであいつが造ったものを見たら、評価せざるを得ないだろ。……だから、頼む。ここに残ってくれ」

 耳を疑った。

「残ってくれ!? 前線に行かず留まれというのですか!? 貴方の親衛隊隊長である、この私が!?」

 王子からの期待を失い、さらには復讐の機会を失うというの!?

 そんなこと……、絶対に許さない!


「お前だから、頼みたいんだ。分かるだろ?」

「全然、分かりません!」

 いつも王子の言動は理解ができないが、今回は特に理解できない。


 憤っている私に、王子はこう続けた。


「あいつの発明は戦況を変えるが、あいつは戦争を知らない。どんな優れた道具でも、使うやつ次第だ。お前があいつを使いこなしてやれ」




くさああああああ!」

 激臭が、鼻から入って脳みそを突き抜けた。

 臭いってレベルじゃない。

 激痛だ。鼻腔どころか脳まで痛い。


「お前、何ボーッとしてんだよ。その作業任せてから結構経ってるんだから、そろそろ慣れろ」

 思いやりの欠片もない言葉が飛んでくる。

 私も部下に同じようなセリフを言うけどさ。

 でもこいつだとめちゃくちゃ腹が立つ。

 が、今はそれどころじゃない。


 なんとか鼻栓を押し込むが、臭いがべっとり鼻腔に張り付いているようで、痛みが全然ひかない。

 この間は、2つ鉄の筒にガラスという透明な板をはめ込んだ、ゴーグルというやつを目にかけていたが、それが外れて目から激痛と涙が止まらなかった。

 これならよっぽど前線が良かった。

 今まで剣と魔法だけで生きていた私が、たった数日でこんな作業をできるはずがない。

 もっと適任者がいたはずだ。


 王子が出兵してから、とうとう5日が経ってしまった。

 私は、ミグラス王子の親衛隊隊長であるのに、王子の元から離れ、自分の国の最も安全な場所で、のうのうと時間を過ごしている。

 なぜ、私を連れて行ってくださらなかったのだろう。

 私は王子の信頼を得られなかったのだろうか。

 王子にとって、私はまだ、非力な孤児のままなのだろうか。


 私では、父の代わりも、母の願いも果たすことができないのだろうか。


「よし、アンモニアの製造はここまでだ。あとは俺とメルでやる」

「ラジャー! 地獄までお供します!」

 製造課のメルという女が、勢いよくそう返事をする。

「地獄に行く気はねーからな!」

 ヒデオがメルにそう返答する。

 そのやり取りが慣れすぎていて、もはや小芝居のようだ。


 このメルという人も、だいぶヒデオに入れ込んでいる。

 ヒデオが造るものには、人を魅了させる何かがあるようだ。

 だとしたら、危険だ。

 大きな力や便利な者は人を魅了させたり、国を富ませるが、人を狂わせる。

 あの街灯のように。

 何も分からないあたしだが、それだけは分かる。

 だから、王子は私に任せた?


「私には任せられないの?」

 そう切り出す。

「鼻栓とれて悶(もだ)えているようなヤツに任せられねーよ。と言いたいところだが、そうじゃない。これからの作業は命に関わる。俺もどうなるか分からない。外で待機してくれ。もし万が一、命に関わるような事態になったら、これを鳴らす」

 ヒデオはヒモをひくと、ガラガラと金属同士がぶつかり合う音がした。


「この音が聞こえたら、すぐさま風魔法で吹き飛ばしながら中に入って、俺たちに解毒魔法をかけてくれ」

「解毒!?」

 思わず聞き返す。

 今やっているこの作業は、毒を造る作業だったのか。


「戦争で毒なんて使えないわよ! どうやって毒を仕込むっていうの?」

「お前、さっきのアンモニアですら大分やられていたクセに、何言ってるんだ?」

 ヒデオが言うには、空気を吸うだけで、人の意識を刈り取れるらしい。

 そんなものが、この世に存在するのだろうか?




「死ぬかと思った」

 青白い顔でヒデオが言う。

「あたしも死んだかと思ったわよ……」


 存在した。


 中で何が起きたか分からないが、ヒデオは本当に死にかけていた。

 私も死ぬかと思った。精神的な意味で。

 戦場に出ないうちから、もう5回も死にかけている。

 私のせいで、この国の命運を変えるとか言われているやつを死なせてしまうかもしれなかったのだ。


「まあ、5回くらいなら想定内だな。むしろ少ないと言える。エジソンですら千を超える失敗をしたらしいしな。やっぱり俺は天才すぎる」

「あんた、さっき万が一とか言ってなかった……?」

「一万回に一回の出来事が、たまたま最初のうちに5回くらいやってきたんだな。たまたま確率の分布が偏っていただけだ。気にすることではない」

「まったく何言ってるか分からないわね……」

 まあ、強がりを言えるうちは大丈夫か。


「明日、いよいよ出兵する」

 ヒデオが、体を横たえて浅い呼吸のまま、そんなことを言い始める。

「みんなを集めてくれ」

「もうちょっと休んだら?」

 しゃべるのもつらそうだ。


「いや、今休んで遅れたせいで、王子が死ぬかもしれないだろ? 気持ち悪いくらいで休んでられないだろ」

 正直、こいつがここまで、この国のためにやってくれるとは思わなかった。

 今でも正直、こいつへの疑いは晴れていない。


「なんでそこまで? 王子への恩にしたって、命をかけるほどのものじゃないでしょう?」

「は? ……いやまあ、そうか。お前らは当たり前に魔法が使えるんだもんな。俺にとっては、ネネや王子が俺にしてくれたことは、俺の命くらいの価値があるんだよ」

「ふうん?」

「まあ、それだけじゃないけどな」


 よく分からないが、こいつがウソを言っているようには思えない。

 いや、そう思うのはまだ早い。

 こいつを信用していいのは、すべて戦争が終わったあとだ。


「それと、今のうちに言っておくが、お前も、俺とネネの命の恩人だ。お前も死なせるつもりはないから、勝手に死ぬなよ」

 そんなことを言い始める。

「あんたの今までの言動のどこにも、命の恩人に対しての敬意を感じなかったんだけど……?」

「何言ってんだ。言葉の節々ふしぶしに にじみ出てるだろ?」

「どこに!」




 そして、当日。

 私はヒデオの恐ろしさを知ることになる。


 飛空船と名付けられた鉄の家は、飛んだ。

 とんでもない速さで。

 景色が斜め後ろ下に流れていく。


「よおおし! 俺の魔法エンジンの成功だあああああ! 魔法ばんざあああい!」

 ヒデオが叫んで喜んでいる。

 その隣で、ネネちゃんが一緒に万歳している。

 馬にも乗れないヤツが、この豪速の鉄の家を動かしている。

 これが魔法?

 見たことも聞いたこともない。


 馬に乗っているときだって、こんな感覚にはならない。

 体のすべてが後ろに引っ張られる。


「うおおお!」

 後ろで叫び声が聞こえた。

 それと同時に、大きく家が右に傾いた。


「おい! エンジン班! 早く持ち直せ!」

 ヒデオの声と同時に家がバランスを取り戻していく。

「お前らが少しでも間違えば、全員死ぬからな! 心してかかれよ!」

 ヒデオはそう活を入れ、ふう、と息を吐いた。

 こいつはこいつなりに、命を賭けているんだ。


「ら、ラジャー!」

 エンジン班と呼ばれたデヒキ隊の面々がそう答えているが、こんな振動の激しいところで、態勢を安定したまま、一定の魔力で魔法を発し続けるのはそう簡単じゃない。


「ヒデオ! これをずっと続けるのは難しいわよ! あとどれくらいやればいいの?」

 このエンジンという部分も、外の風の音も、声をかき消すほどにうるさいので、自然に声が大きくなる。

「あともう少し踏ん張れ! ある高度になれば安定する! たぶんな! それまでは死ぬ覚悟でやれ!」

「たぶん!?」

 あたしが言葉をそう返した時、ふわっと体が軽くなった。


「みんな、ご苦労。とりあえず、第一の死線は越えられたな」

 ヒデオがそう労う。

 外の風の音も静かになった。


「第一ということは、第二、第三もあるのね」

 あたしがそう言うと、

「当たり前だろ。俺たちは戦争に来ているんだぞ。戦場にもまた着いてないってのに」

 もっともだと思った。

 もっともなことをヒデオが言うと、なんだか意外な感じがする。


「それよりも、こっち来いよ。見物みものだぞ」

 促されるまま向かうと、大きな透明な板に映し出された、青い青い空と、緑色の地平線が広がっていた。

「きれい……」

 思わず、そう言葉が漏れた。


「そうだろ? 俺の魔法は最高にかっこいいだろ?」

 ヒデオが自慢げにそう言う

「調子に乗らないでよ」

 そう言いつつも、あたしはその景色から目が離せないでいた。




「見えてきたぞ」

 ヒデオがそう言う。

「そうね」

 そう答える。


 人が、兵士がまるで蟻の大群のように見える。

 ここが、あたしが来たかった場所。

 命を賭ける場所。

 我が国と敵国プキトルとの、

 前線。


「あっ」

 思わず叫ぶ。

 あの丘、あの湖、あそこは、

「あたしの村」


 あそこは見晴らしがいい。

 あたしの故郷でもあったけれど、同時にこの国の重要な東の守りでもあった。

 今は逆に、プキトル国の最西端のかなめになっている。


 今まで一度も前方から目を離さなかったヒデオがこちらを見る。

 そして視線を前に戻した。

「すぐに故郷を取り戻そう」

 ヒデオが柄にもなく、そんなことを言ってくれる。

「故郷はこの国すべてよ。この国になることだけをやる」

 それに、もう本当の故郷は奪われている。


「じゃあ、ちょうどいい」

 ヒデオがそう言った。


「どうやらここが敵国の防衛戦線で、軍は攻めあぐねているようだ。お前の故郷を救うためではなく、我がラピュン国を救うため、我がDr.ヒデオ軍の第一戦はここを奪取する! まあ、結局お前の故郷を取り戻すことになるが、準備はいいな?」


「何を言っているのよ!」

 私はそう返答する。

 ようやく、私の戦争が始まる。

「ヒデオ軍じゃない、ミグラス親衛隊よ!」

 私はそう言いながら、胸の高まりを感じた。

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