第16話「回復魔法」
18時半と思われる時刻。
物理アラームで目をさました俺は、じんじんと痛む前頭部をさすりながら体を起こした。
一緒にお昼寝していたはずのネネは先に起きてたらしく、何がおかしいのか、手を叩いて俺のことを笑っていた。
どうやら物理アラームがツボにはまったらしい。
装備の準備をして、ついていくと聞かないネネを連れ、宿を出た。
もう日は傾き始めている。
ダンジョンが着く頃にはもう、夕焼けが青く色を変えていく時間帯になっていた。
それがどっぷり黒に変わるころになっても、シェリーヌが来る気配が無い。
火を起こす魔力も惜しいので、俺たちは暗闇に包まれていく。
ネネが暗闇を怖がったから、なんていうのはただの言い訳だ。
ただ、我慢できなかった。
俺たちは、シェリーヌを待たず、ダンジョンに入ってしまった。
ダンジョンも真っ暗だったが、かがり火を点ければ外よりも明るかった。
やがて、採掘場に着いた。
もう鉱夫も引き上げたのだろう。
中は、昼と打って変わって、閑散としていた。
暗く狭く暑苦しい場所だと思っていた場所が、人がいないだけで、広く感じた。
あの廃工場を思い出した。
雀みたいなかわいい鳥がいた。
3匹ほど。
クルックという魔物らしい。
長らくダンジョンにいたせいか、羽が退化して飛ぶことすらしないらしい。
なんなら、魔法を使わずに足で踏みつぶせるらしい。おいおい物理。
大した魔力を持ってないから、今いる人数で倒すのはもったいない、と言われて見過ごしていた。
だから、今は2人しかいないから、ちょうどいいと思ってしまった。
鉱夫が残した弁当の余り物でもつついている様子だ。
見た目がもう、ただの小鳥で、魔物という感じがまったくしない。
風魔法使いの魔物だから、火は使えないな。
俺のBBQ用のガスバーナー程度にグレードアップした火力程度じゃ、吹き消されかねない。
サンダーでも使ってみるか。
魔力が上がったから、中距離でも気絶するくらいはできるかな。
そんな感じで、気軽に近づいた。
クルックは残飯をあさるのをやめて顔を上げ、雀のような黒い瞳をこちらに向けた。
逃げられたらいやだな。
そう思って、足早に距離を詰めた。
油断だった。
ネズミだって、猫をかむんだ。
クルックだって、人を襲う。
それに、彼らはダンジョンの生存競争の中で生き抜いてきた猛者。
シェリーヌはともかく、新参者の俺らが、なめきっていい相手ではなかったんだ。
突風が吹いた。
それは春一番のような、女子スカートを巻き上げるのを期待する程度の風。
魔法でガードするほどのもんじゃない。
手で目元に砂ぼこりが目に入らないように覆った。
ネネは俺のとなりにいて、風が吹いたときは、俺のズボンをつかんでいた。
この程度の風でも、体重の軽いネネにとっては、支えが必要らしい。
倒れられて頭ぶつけられても困る。
しっかり掴んでいてもらいたいな。
そんなことくらいしか考えてなかった。
しかし、すぐにネネの掴みが外れた。
視線をネネに向けると、ネネが風に押されて後ろに倒れていくのが見えた。
子どもってやつは、こんなにもバランス感覚がないもんなのか。
ネネの背中に右手をのばし、体を支えてやった。
ギョッとした。
ネネのノドがぱっくり切断されていた。
何が起きたのか分からなかった。
一瞬、頭が真っ白になった。
致命傷じゃないか、これ。
血はあんまり出ていないようだが、ちろりちろりと首筋を伝い、服を赤く染め上げていく。
手が震える。
震えてる場合じゃ無い。
早くキズをふさぐんだ。
でも、どうやって?
縫い合わせる道具もないし、あったとしても、やったこともない。
また、風が吹いた。
思わず、ネネをかばうように、風に背を向けた。
ピシッと小石が跳ねたような音がして、風が当たる。
ハッとなった。
もしや、と思った。
自分の後ろに手を回して、風が当たった、背中から後ろの首筋にかけて、なでてみる。
ぬるっと、暖かい液体に触れた。
その手を自分の目の前に持ってきて、それが何なのかを確認した。
俺の血だった。
そこでようやく、ネネのキズと、クルックの風が結びついた。
そして、自分の愚かさを知った。
俺たちは、魔物を相手にしてるんだ。
「ガード!」
風がガードに傷をつける。
穴が空いた瞬間、またガードをかける。
俺の激弱ガードなら、簡単に穴を開けてしまうくらいの威力。
ガードを補修しながら近づき、足でクルックを踏みつぶした。
こんな小動物を殺すなんて気が引けるな、なんて安穏と構えていた自分を呪う。
こいつらだって生き物だ。
生物である以上、生きるか死ぬかだ。
しかも魔物だ。
いつから上から目線だよ。
悠長に日本の価値観引きずってんなよ。
周囲の安全を確認した。
クルックはいないし、先ほどの騒ぎのせいか、姿を現している生物すらいない。
すぐにネネに駆け寄る。
血のシミは広がっていた。
ネネが口をぱくぱくさせている。
しゃべれないようだ。
不安で泣きそうな顔を必死で隠そうとしている。
泣きわめいたっていい年頃だろうに、何をけなげに耐えちゃってるんだよ。
「だいじょうぶだ」
そう、ネネに声をかける。
何が大丈夫なのか。
「今すぐ直してやる」
そんな言葉にも、ネネはにっこり頷いてくれた。
治すんだ。絶対に。何が何でも。
そうだ。
こういうときの、魔法だ。
落ち着け。
今の俺ならできる。
『できるのかよ。魔法博士』
声が聞こえた。
『俺のことを見捨てたお前に』
久しぶりだ。
この声が聞こえるときは決まって、血の臭いと廃工場の鉄と油が混じった匂いがする。
いつものやつだ。
ただの幻聴だ。
「静かにしろよ」
言葉に出てしまう。
何やってんだ、ネネが不安がるだろうよ。
それに、もう昔の俺じゃないんだ。
今の俺は、本当の魔法博士なんだ。
回復魔法だって使えるし、ネネだって救ってみせる。
『あの時だって、この子の母親を見殺しにしたのに?』
分かってるよ。
でも、大丈夫。
今なら使える。
信じろ、自分を。
イメージ、そう、イメージなんだ。
回復魔法に、魔法に必要なのはイメージ。
信じなかったら、魔法は使えないんだ。
あの時に回復魔法が使えなかったことも考察済みだ。
俺はあのとき、あの神秘的な緑の光にとらわれていた。
それは、たぶん不正解だ。
もっと具体的なイメージが必要だ。
俺がやりたいのは、緑色の光を発生させることじゃない。
治療だ。
人体の修復だ。
イメージは、人体であるはずなんだ。
ネネのノドに触れる。
傷はやはり深い。
血で見えなかったが、切れているのは筋肉だけではなく、骨まで到達しているようだ。
こりゃ、そうとう痛いだろうに。
怖いだろうに。
イメージするんだ、ネネの体を。
体内の毛細血管一本一本に至るまで。
ネネに隠された苦しみを、感じろ。
ネネがパクパクと言葉を発しようとしている。
その度に出てくるのは言葉ではなく、血からふくれる気泡のみ。
「黙ってろ。今治してやるから」
集中する。
ノドは、皮膚のすぐ後ろが気道になっていて、軟骨で覆われている。
よく観察しろ。
どう治したいかイメージしろ。
俺の魔力すべてを、ネネの細胞に届けろ。
「………!」
ノドの毛細血管が、緑色の光を帯びる。
できている、のか?
でも全然傷がふさがらない。
これじゃ、全然意味がない。
俺の考えは間違えているのか?
考えろ。
何が原因だ?
まさか……。
もう魔力切れか?
ネネが苦しみ出す。
ノドをかきむしろうとする仕草を見せたので、あわてて手を押さえる。
やめろよ。
もうあと何年も魔法が使えなくたっていい。
この傷だけ、治させてくれよ。
頼むよ。
今ネネを救えなかったら、魔法を使える意味なんて、ない。
『同調とタイミング』
王子の言葉がよぎった。
こんなことなら、もっと早く聞いておくんだった。
いや、何言ってんだ。
今、気づけばいいんだ。
俺は魔法博士だろ。
こんなこと、朝飯前に分からなくてどうする。
ネネの呼吸が荒くなってきた。
何が起きているか分からない。
呼吸がうまくできていないのか?
ネネに残された時間はどれくらいなんだ?
呼吸?
脳みそに電気が走ったような気がした。
やってみる価値はある。
これから俺は、ネネに同調する。
ネネに、俺の魔力を合わせる。
ネネの呼吸に耳をかたむけ、空いてる左手をネネの胸におき、心音を確かめる。
ネネが酸素を取り込むタイミングと、心臓が血液を届けるタイミングで、魔力を送る。
ネネの呼吸は、浅く、短い。
ネネの小さな心音が、早い周期で波立っている。
それに合わせる。
ネネの体は生きたがっている。
それに合わせるんだ。
これが、俺の考えた、同調とタイミングだ。
どうだ!?
答えを出せよ!
緑の光が強まった。
骨の傷が、まるで薄い白い層が何層も折り重なるようにして、ふさがっているように見える。
皮膚も、細胞が生えてくかのように、ノド骨を覆っていく。
「はあ……!」
ネネが深く深く呼吸をし始めた。
「ハ…、カ、セ」
ネネが言葉を発する。
「黙ってろ。まだ途中だ」
そう言ったのに、
「あり、がとう」
ネネはそう言って、にっこり笑って、涙をぼろっとこぼした。
気づけば、もう傷はふさがっていた。
「大丈夫だって言ったろ。俺は魔法博士なんだから」
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