崩  れ  山(四鬼)

@ikku0909

崩  れ  山(四鬼)

 梅雨になる前に山仕事を終えたわけだが、六月も中程を過ぎ、休む間もなく陸奥松山領へ急ぐ。仕事場から十里ほどだから大した距離ではない。そして半ばまで来たのだが、その間に四人の骸にぶつかった。それらは早くも狐狸や猪が集り、村人に回収される頃にはひどい状態になっていることだろう。だがそれに拘わってはいられない事情が在った。今度の仕事は木曽屋の依頼だ。しかも緊急性がある。とは言っても興味が無ければトボケ通すのだが、材木屋にも互助組織がある。材木を融通し合うのだ。その一員となれば放ってはおけない。四人の現在があるのは木曽屋のお陰だからだ。そんなこともあって足を向けたのだが・・・。

 「酷ぇもんじゃな」北国の飢饉の悲惨さは何回か見ている。二毛作が出来ないからモロに天候の影響を被る。つまり裏作という安全弁が無いのだ。だから出稼ぎが大きな収入源になるのだが、戦乱がそれを大きく阻害し、益々もって農民を窮地に陥れている。こういえば政が悪いからということになるが、どっちもどっちというのがオラ達の考えだ。国土が無限にあるのなら子沢山でも構わないが、限られた土地を相続出来るのは一人だけだ。その答えは応仁の乱でとうに結果が出ている。それに懲りずに子作りに励む。その結果が相続人以外は、女なら売られ、男なら追い出されて終わりだ。だから男子は水子にされることが多いと聞く。なまじ育てられて家でこき使われ、相続人が嫁を取った途端に追い出されるなら、水子の方が幸せかもしれない。全て親の責任で、政以前の問題だ。

『気の毒だが手に負えん』布で鼻と口を押えた怒鬼兄が応えた。縁も所縁もないオラの村人を百人から葬ってくれた兄達だが、滅多に死者を葬ることがなくなった。敵対する者達を余りにも殺してきて、生者にしか興味が行かなくなったのだ。

「国のおまんまを作っているのにな」オラもまた同じ感覚だ。同情はするが、災難が我が身及び知己に降りかからない限り死そのものには殆ど興味が無い。

 夜中に出発して六七里歩いたころ空が菫色に染まり出した。そして橙色が混ざって青空が出たところでら明け六つの鐘が鳴った。

 臭覚が鋭敏な兄達は死臭が来ない山の斜面で歩みを止めた。山からの吹き下ろしの風があるからだ。獣の死臭は内臓を抜くから苦にしないのに、人間は内臓があるから独特のようだ。食うものと食わないものの差がそう感じさせるようだ。オラもかなり鋭敏な鼻をしているが、イマイチ嗅ぎ分けられずにいる。戦死者から鎧兜を剥ぎ取ったのは遥か昔だ。だからもう放置された死者の死臭の記憶が薄れているのだ。いい気なもんだと思うが、忘却は必要だ。前を向けなくなるからだ。

 四人は街道で車座になる。臭気に眉を顰め、布を鼻に当て十人前の人相だった兄達が何時もの顔を晒す。また変色した個性的な締め方の褌がすぐそこにある。だからせめてもオラは新の褌をキリリと締めている。四人が四人とも呆けて見られたら、真っ先にオラ達が行き倒れていただろう♉♉

 朝飯は材木屋で用意してくれた白米の握り飯と、五合徳利へ入れて貰った味噌汁と、焼き鰯と漬物だ。餓死者には申し訳ない気持ちだが、オラ達は生きている。だからタラフク食いもする。お陰で兄達は並みの大人の倍の大きさがあり、オラは瘡一つない健康な血色を維持している。それにはそれなりの努力も勉強もしている。またそのための投資もしている。だから四人とも障碍があっても平均的な庶民よりも稼ぎ、今のところ食うに困らない。例え一年間収入が途絶えても、食い繋げるだけの蓄財はある。

 腹がくちたら寝袋を出して一眠りだ。兄達は仕事の疲れを残している。オラはそれに便乗する💛


 日の光に起き出す。行き倒れと間違えられて埋められたくはない。寝起きにそんな冗談を考えられるくらいオラは絶好調だ♪

 五つになると村人が動き出す。畑仕事ではない。押しつけられた日役のことだ。城下町や門前町では賤民を囲っているが、通常の村では村民が死体の処理に当たる。上からの命令もあるが、気味が悪いし病の原因にもなるから自発的に処理している。

 見当で杉の屋近くに差し掛かった時、川向うで数人の男達が穴掘りをしているのが見えた。

 永吉は荷の軋み音が止まったのに気付いて振り返った。街道添いだから道聞きが多い。

「ちょっくら尋ねる。材木屋の杉の屋を訪ねている!」背負子に乗った子供から川のせせらぎを物ともしない声が掛った。

「半里ばかり行った所じゃ!」勘が当たったことに気をよくして永吉は応えた。

「有難うよ! ついでに聞くが、ゴロ太山が分かるか?」

「ここからじゃ見えんが、峠から見てズングリした山がそうじゃ」

「そうかい! 骸の始末ご苦労じゃなあ」

「解るのけ?」

「道中八つも見たからな。飢饉のときはこんなもんか?」

「程度に因るが、本当の惨状は端境期のこれからじゃ。山菜を食い尽しちまって、木の皮を齧って、にっちもさっちもいかなくなるだ。こう言っちゃあ悪いが、迷惑な話じゃ!」

「生き残った者の業じゃな!」

「愚痴を言えるのも生きているからと諦めとるわ!」

「その通りじゃな! 有難うよ!」

 巧者気な事を言って先に進む四人連れを見送る。子供のくせに八つもの死体を見ても動じていないのが見て取れる。肝の太さは相当なものだ。そう思いながら鍬を突き立てた。

 「お天道さんにゃあ誰も逆らえんな。山一つでこんなになっちまってな」日当たりの良し悪しが明暗を分けている。

『勝てる者がいたら既存の宗教は滅びる」呑兄が手振りで応じた。

「そうじゃな。呑兄の言う通りじゃな。勝てるとしたら伴天連女だけじゃな。伴天連教もお手上げじゃからな」最後の望みの悪魔祓いをしてもらったが、結局術が解ける事はなかった。それでも何とか生きている。このことが魔女の誤算であることを望む。


 村人が言う通り、峠から奥羽の山並みの手前に小さな山並が見えた。その中に丸みを帯びた雑木山が見えた。その山は名の通り巨岩があちこちにあり、時々それが崩れるようだ。その圧迫感が近在の樵の腰を引かせているようだ。遠目には扱い易く見えても、現場へ行くと先入観を裏切られることは多い。だから樵の仕事は危険が多く、必然的に手間賃は良い。


 杉の屋は新興の材木屋だ。度重なる戦が材木の需要を増やし、これに便乗したのだ。だから子飼いの山師の数が少なく、往々に四鬼のような流れの樵を頼らざるを得ないのだ。だが当人たちを見て腰を抜かしかけた。体つきだけを見たら確かに超人だ。だがその他は眼を覆いたくなる。子供は確かにしっかりしているし、それに山へ入るわけではないから歩けなくても問題ない。だが大男がいただけない。凄腕を寄こすと言っていたのに、聾唖の上に涎まで垂らしている。これは手違いか嫌がらせか?

 「オラ達の心配(しんぺえ)よりも先に山を見せてくれ」挨拶の後小鬼が言った。

「では若い者を呼ぶ」戸惑いながらも決断した。身形は割としっかりしているから木は伐れるのだろう。そう云う事で妥協せざるを得なかった。差し迫った領主直々の要請を反故には出来ない。

「ご亭主も一緒に頼まあ」

「何故私が?」思いがけぬ要請に流石にムッとして声を荒げた。

「木を伐るなんざ造作ねえ。問題はその後じゃ。木曽屋の親方がオラ達を呼んだのはよくよくのことじゃ。腕っ扱きは幾らでもいる。その手を回せば済むことじゃ」

「・・・確かに・・・」理はある。

「なら頼まあ」

 支度のために家の中へ引き返した卯之助は舌打ちした。雇用主を歯牙にもかけない図太さがある。もしかしたら子供もイカレているのか?

 外へ出ると大男達も山袴を着け、大分見栄えが良くなっていた。子供は籠を外した背負子様の物に乗せられている。それを見ると工夫を感じる。だが初見の印象が強烈すぎた。誰かに作ってもらったと考える方が無難だと思った。

 手代の巳吉は卯之助の脚を心配しながら先導する。一里も離れてはいないが、街道を三町も入れば山道になり、悪路が続く。それにしても木曽屋ともあろう者がこの四人を何故寄こしたかという疑問は卯之助と同様だ。農繁期でなかったら店の手の者を使えるのにと臍を噛む。

 約半刻の後谷川越しの山へ出た。谷川には巨石が折り重なり、落石があったことを物語っている。それに山肌にも無数の巨石が剥き出しになっていて、作業が困難を極めることが想像出来る。それを口実に断る心算か?

 「見て貰いてえのは上の方じゃ。山が崩れかかっちょる」予想外のことを言った!

「ほかの山より緩らかに見えるが」

「それが曲者じゃ。周りの山は既に崩れ落ちちょる。この上流と下流とここでは川岸の地形が違う」

「先に見ておるのか?」

「見ちょる。金に困らん限り興味がねえ仕事はせん。一服したら崩れかけている現場に案内する」

 卯之助は巳吉と顔を見合わせた。店の者が下見した時には岩が崩れそうだと心配していただけだ。卯之助は混乱した。子供が言っているのが本当なら、非凡な眼力を備えていることになる。だが見た目が悪すぎる。山袴で褌を隠しても、締まりがない顔と聾唖は隠しようがない事実だ。

 一休みの後今度は四人が先に立った。その脚の確かさは修験者のようだった。枝が当たる子供が背負った男を怒鳴りつける♉ 常識の範疇を四鬼は超えている事だけは確かだ♉

 現場は山頂から六間ほど下った所だった。確かに頂上付近から削れたようには見えるが、大概の山は其処彼処に地滑りは付きものだ。それを畏れていたら山仕事など出来ない。

 「それを言っていたらお終いだ」卯之助は不快感を露骨に示した。

「その通りじゃが間もなく梅雨じゃ。先にも言った通り木を伐るのは造作さねえ。問題なのは何時この斜面から安全な所へ運ぶかじゃ。崩れなきゃ儲けもんじゃが、崩れた時にゃあ殆どの材木を失う。間が悪けりゃ人夫が死ぬ。この事をどう考えるかじゃ」

「それは困りますなあ」嫌な所を突いて来る♉♉

「それだけか?」

「と言いますと?」それにかなり理屈っぽい。

「どうしたら安全に、しかも迅速にここの仕事を終えるかじゃ。その段取りを考えておいてくれ」

「・・・」そんな事は樵や山師がすることだ。店主が考える事ではない。しかし四鬼を手放して期限を遅らせて領主の機嫌をそこねたら・・・。

「御覧の通り私は山仕事の素人だ。そちらに任せたいが」

「オラ達のやり方に一切口を出さねえと約束してくれたら仕事を受ける」

「ならば言う通りにしてくれ」そう答えざるを得なかった。手強い♉♉


 一旦話が決まると四鬼の行動は迅速だった。大男達は直ぐに山へ引き返し、木を伐るという。そして五十人もの人手を集めると言った小鬼は街道の辻に陣取った。食い詰めた難民を人夫にするというのだ。

 「大丈夫ですかねえ?」卯之助の妻のこといが不安を口にする。期待に反して無様な姿が瞼に焼き付いている。

「いや、只者ではない。頭がキレ過ぎる」人夫の待遇から宿泊先の心配までキチンとしている。若いのに相当に仕込まれている。そしてそれを身に着けている。そんじょの盆暗には一生かかっても身に着かないものだ。初めは木曽屋を恨んだが、小鬼の言う通り『木曽屋の手の者を寄こせばそれで済む』と言ったのがズシンと響いた。


 「三食付きで一人扶持(玄米五合)の仕事がある。期間は一月じゃ! ちときつい仕事じゃが、難民も受付ちょる! 暇を持て余しちょる男はおらんか!」人が通る度に声を張り上げる。その声に人が立ち止まる。

「本当じゃな?」疲れ切った様子の老人が念を押した。

「間違えねえ。そこの材木屋を訪ねて行け。今飯を炊いている」

「こんな年寄りでもか?」

「足腰が立って、二十貫(七十キログラム)ばかりの物が担げりゃあいい」

「ならば大丈夫じゃ!」老人の眼が輝いた。当時の人間は驚くほど力が強く、然も持続力がある。だから大きく腰が曲がっていなければ十分使える。

 そこに集まって来た数人が礼を言って老人の後に続いた。平泉の配給所へ行く前に飯と仕事にありつけるなどは夢にも思っていなかったのだ。

 日が暮れる時分には四十名を超える手が集まった。地元の若者も十人程加わっている。これに杉の屋の山師三人が加われば人手の心配がない。

 店の者が呼びに来て背負子から立ち上がった。その背負子を下女のとらに担がせ、小鬼は杖を突いて杉の屋へ向かう。その後を追って二人の難民が追いすがる。その二人をキリにと心を決めた。これは慈善事業ではないからだ。

 材木置き場には集めた者達が寛いでいて、小鬼の姿を見ると一斉に立ち上がって口々に礼を言った。口減らしのために街道を上って来たのだ。救いの神に出会ったと感謝しても仕方ないことだ。

 そして兄達が戻り、四人はハイタッチを交わした。そして直ぐに狂兄の背負子へ乗って、小籠を抱えた。宿を提供してくれる家々を回るためだ。

「急なことで済まん。万が一の事があったら責任を取る。こりゃあ挨拶代わりの品物じゃ。一つ受け取ってくれ」言って手提げ袋を渡す。商売用の物だ。なるべく地味な物を選んだが、気に入ってくれることを期待する。

 お供をするとらは眼を瞠った。自分も欲しい💛 初見で最悪の印象を持ったが、山から帰った主人に粗相が無いようにきつく言われている。とらはとらなりにその意味が理解出来た。自分とは住む世界が違うのだと。


 「端材を使って人夫小屋を用意した方が良い。緊急の仕事が入ったらどうにもならんじゃろう? 今日は他人の不幸を利用したが、縁を作りゃあ人手に事欠かんことが解ったじゃろう? 領主は勝手じゃ。じゃが大きな仕事をくれる。飯場一つなんざ安いもんじゃ」

「全く以てその通りで」卯之助は格の違いを見せつけられて謙(へりくだ)った。

「じゃがこの仕事の正念場は十日間じゃ。本降りになったら一旦中止する。それまでに百本程度は確保出来る。それで間に合わなかったら木曽屋に泣きつけ」

「ですが敷居が高くて・・・」

「まだ解っていねえようじゃな。オラ達は山師を大事に思っちょる。じゃからこの仕事を受けたのじゃ。山肌が安定しちょっていたら手など付けねえ」

「・・・はい」子供に完膚なきまでに遣り込められるとは考えてもいなかった。

「夜討ち朝駆けで寝不足じゃ。明日が早いから休ませてもらうわ」

「どうぞご随意にして下され」身勝手だが理はある。


 翌朝早く五十五人を引き連れて山へ入った。全員鉈や鎌を借りている。これを三班に分けて材木を運び上げるための道を作らせる。大した距離ではないから丁寧な仕事が出来る。何しろ生木は重い。直径一尺で六間(十一メートル弱)の物でも二百貫近い。だから一尺三寸以上の物は今回は手を付けない。それでも三百五十貫ほどになる。これを二十二人づつで安全と思われる所まで運ぶ。一日で十本ずつも運べたら、その上の大きさの木を伐る。

 仕事振りを見て一人の老人を呼びつけた。老人は凄く怯えた眼をしてやって来た。昨日脅かし過ぎたようだ。

 「おん前にゃあ計測係をさせてえ。眼は大丈夫か?」

「へえ・・・」老眼にはなっているが、物が二重には見えない。だが計測係など聞いたことが無い。

「兄達が今朝の内に何か所も木に板を取り付けた。その板の先にピッタリと目標の赤い球が付けてある。それが僅かでもズレたら鐘を鳴らして知らせろ。横にずれても上下にずれてもだ。責任は重大じゃぞ」

「へえ・・・」

「赤い布が巻き付けてある木がある。こちら側と向こう側に四本ずつある。早速回って眼を慣れさせろ」

「へえ、承知しやした!」お払箱にならないことを知って顔が輝く。行き倒れを覚悟の口減らしの旅に出たのだが、救いの神がいたことに胸が熱くなった。然もその四人が四人とも豪い業を負っている。だが少なくともここでは微塵も業を負った者には見えない。世の中は解らないものだ。

 兄達は軽快な音を立てて木を伐って行く。その仕事の早さに舌を巻きながら、杉の屋の山師がその枝を払い、六間の長さに切って行く。店主の卯之助には内々粗相が無いように釘を刺されていたが、一遍に魅了された。仕事が早いばかりではなく、伐口がきれいだ。こんな樵は見たことが無かった。

 昼になると持たされた握り飯を皆が和気藹々頬張った。だが計測係にした又吉には冷たい視線を向けた。当然の反応だ。

 「脅かして申し訳ねえが、この山は崩れるかも知れねえ。そのための計測じゃ。いわば又吉は皆の命を背負っておる。それを承知で申し出るなら係を代えちゃる。又吉は始めは拒んだが、年寄りには年寄りの経験と責任感がある。そう諭て承知をしてもらった。代わりを希望する者は申し出ろ。又吉は喜んで役を代わる」これはハッタリだ。

 皆が下を向いた。本心を見抜かれたという恥かしさがそうさせたのだ。

「済まんかった! 小鬼様はワシ等を難民と承知で雇って下さった。しかも泊めてくれる家にゃあワシ等じゃ買えんような物を配ってくれなすった。物乞いをしても誰も振り向いてくれなかったのに、手当付きの仕事をくれなさった。その小鬼様が見込んだ者を嫉妬したのが恥ずかしい限りでごぜえますだ。どうかお許しを!」初めに声を掛けて来た和助だ。期待したわけではないが積極性は見込んだ通りだ。

 何でも時の勢いがある。和助の詫びに皆が声を揃えた。神経を使う仕事に不協和音は兄達に大きな負担を掛ける。


 懸念した不和が解消されたところでオラは呑兄に負われて杉の屋へ引き返した。水飴作りが待っている。足場が悪い所での材木運びは心身ともに疲れる。その気分転換を図るための道具が甘味がある菓子だ。

 「色んな事を出来るねえ」とらも手提げ袋を貰っている。娘の嫁入り道具にするつもりだ。そんな事もあってすっかり心証を良くしている。

「役に立ちそうな事は忘れんようにしちょる。みんな他人の知恵を拝借し、僅かばかり工夫をしとるだけじゃ。そうするだけの時間があるからな」百姓に嫁いだら自由時間を持つなど不可能に近い。農作業に子育てに夜営みの相手。疲労困憊していて他に手も頭も回らないのが現状だ。いや、女に限らず男にも同じことが言える。だから世の中は好転しない。

 先ずは米粉での餅作りだ。これを生乾きにしてタレを塗り、短冊に切って焼く。或いは蒸してからタレを塗る。この場合は黄粉でくっつくのを防ぐ。だが余り金を使いたくない。菓子自体が贅沢品だからだ。

 芽を出させた麦を乾燥させて粉に挽く。これを焦げないように時間をかけて煮込む。その温度が大事だ。沸騰させたら甘味が止まる。低くても甘みが増さない。不思議な現象だが事実だ。

 その加減が解らないとらに感覚を教えて行く。これは直ぐに覚えられるが、問題は居眠りすることだ。火の加減が出来なくなる。

 水飴作りにこといが興味を示した。麦から作るという話は聞いていたが、その過程を見るのは初めてだ。自尊心などとは言っていられない。小鬼から初日に貰った煎餅が店屋の品のように美味かったからだ。その作り方を憶えたら茶菓子やおやつに出せる。子供のころ抱いていたお嫁さんの仕事への憧れへの潜在意識に火を点けた。

 「女将さんの手を煩わせるのは気が引けるが、大いに助かる。一刻ばかり見てくれねえか」

「お安いことですよ♪」姑に何を言われようと譲れないこともある! 世間体を気にせずにやりたいことも在るのだ。

 最後の煮詰めを小鬼が担当する。それまでに沸騰させなければ何とかなる。そのコツは明日伝授すればいい。


 皆が泥だらけになって帰って来た。兄達は盥に湯が用意された。他は川での行水だ。皆疲れを見せていたが、笑顔があった。甘やかすだけならつけ上がって来る。その辺の匙加減が難しい。地位身分には関係ない。だから主導権を取るための試行錯誤を繰り返している。そのために仕事の手を抜けない。

 皆に一合の酒が振舞われた。人手への先行投資だ。この内の半分、もしくは家族を取り込んだら店の規模を大きくしても慌てる事はない。互いが納得して利益を得れば良いことだ。

 「どうだった?」

『上手く行ったじゃん。流石小鬼、頼りになるじゃん💛』狂兄が笑う。

「どうだか? 後で文句を言うなよ!」

『そんな余裕がないから大丈夫だ』怒兄が脅かす。

「そんなに危険か?」

『かなりね。前に同じような山が有っただろう? 本当の事は判らないが、それより危険だ。雑木の根がかろうじて支えていると思う』呑兄の見解だ。

「本格的な雨が先延ばしになればいいがな」

『三人ともそれを願っている。山師は守りたい』

「そうじゃな。オラも出来ることをする」


 山の仕事は順調に行っているようだ。だがついに雨が降り出した。山肌は滑るし、巨岩の恐怖が募る。死の道行きを覚悟しても、一旦助かると死への恐怖が増すようだ。だから又吉への期待が募る。それを意識して観測に力が入る。毛筋一つの変化を見逃すまいと力が入る。

 八日を過ぎて当初予定した物は運び終えた。次は値が張る二尺物だこれには五十人が当たり、順番に交代する命懸けの仕事だ。

 そして十日目に本降りになった。又吉は止めるのも聞かずに観測に出掛けた。そして下の瘤が一寸五分ほど持ち上がっていると血相を変えて報告した。良い観測士に育っている。

 仕事は休みになり、持ち合わせの猪肉を炙って薄切りにし、葱を刻んで乗せ、少量の味噌をつける。今回は狩りに出る余裕がないから少量の肉を暈増しするための苦肉の策だ。然も一人分づつをフキの葉に乗せた。取合をさせないためだ。

 「一体どんな生活をしていたんだい?」こといが聞く。

「慰労で料理屋にも行く。それで体裁の良い盛り付けも憶えた。正直言って樵は何時死んでもおかしくねえ仕事じゃ。家族がいりゃあ散財は出来ねえが、おら達は皆がみんな独り身じゃ。じゃから思い切って散財することだってある。経験が財産じゃ」

「賢いんじゃねえ」

「そうでもねえ。ご亭主と衝突していてもおかしくねえ。じゃが受け入れてくれた。じゃから全力を尽くす。他の者と大差はねえ」状況によるが、経験や見聞を生かせない者達の何と多いことか。それが餓死者の量産だ。今回もそうだが、生への執着が強すぎる。六道輪廻の転生のない伴天連教の方が人を自由にする気がする。


 翌日も雨が降り続いた。山に変化が無い。皆に疑心暗鬼が生まれた。オラ達だって山が崩れることを望んでいる訳ではない。ただ人足には手間賃が掛かっている。蓄えがあるオラ達とは根本的に違うのだ。

 そうした空気を察して又吉が動きかけた。それを強い言葉で一喝した。時には人情で命を懸けることも必要だが、オラ達の名誉と皆の命を天秤にかけるなと。

 そして昼過ぎにそれは起こった。地面が揺れ、百雷が落ちた音が山の方から聞こえた。誰もが硬直してゴロ太山を眺めた。

 山は煙を上げて茶色の斜面を剥き出しにしていた。誰もが震え、声を上げれない。兄達でさえ大きく息を吐いた。

 奥から出て来た卯之助の足が震えている。もしも四鬼が送られてこなかったら皆を死なせてしまってかも知れない。その意味が骨身に染みた。

 「本当に恩人様だ! 人を死なせなくて良かった!」卯之助が頭を下げた。

「そりゃご亭主の判断じゃ。オラ達は請けた仕事はやり遂げる。じゃが安全は最大限に考慮する。その積み重ねが今のオラ達を作ってくれた。大それたことじゃねえ。日々と経験を大切にしただけじゃ」

 皆が崩落現場へ行きたがるのを制した。先程の衝撃で周囲の山も地盤が緩んでいる可能性があるからだ。慎重と臆病は違う。勇気と野次馬根性が違うのと同じだ。オラ達には皆を守る責任がある。


 一日置いて怒兄と山師の頭格の清吉と二人で現場を偵察に行った。責任を全うするには誰かが犠牲になるのも止むを得ないと考えているからだ。勿論清吉ではない。三人の兄達の内の一人だ。だから清吉を連れて行くことで行動を自重するという楔が打ち込まれるのだ。兄達は自分が無鉄砲な性格であることを誰よりも承知している。

 「皆の気持ちが解らんじゃねえ。じゃが五合の玄米と命を引き替えちゃならねえ。ここにいる以上飯が付く。それに五合の玄米は数日後に手に入る。家族の苦しみは理解出来るが、生きて帰ることを願って居る筈じゃ。それに死んだ者の手当てを配り歩くのも面倒臭え。その位察しろ!」

「その通りでごぜえますだ。我儘勝手な欲で不満を顔次出してしまったことをお許し下せえ」そんな顔を噯(おくび)にも出さない和助が詫びた。矢張り根性が据わっていた。こうした協力者を得ることで物事は飛躍的に向上する。だが物事が全て上手くゆくとは限らない。本格的な梅雨がはじまったばかりだ。そこでオラ達は決断した。梅雨明けの七月半ばにもう一度来るようにと言って、当初の約束通り一月分の手当てを前払いを進言したのだ。

「それは・・・」卯之助は渋る。相場屋以外はそんな事をしない。

「重々承知じゃ。じゃがオラ達は未来への投資は惜しまねえ。太っ腹なところを見せてくれ」

「・・・」

「物事は良い方に考えちょる。踏み倒したらそれまでの人間じゃ。戻って来た者を使えやあ良い。その戻って来た者達にゃあ子も孫もいる。長い付き合いってえのはそんなところから始まると思うがな。おかしなことを言っているか?」

「・・・ぐうの音も出ません」たとえ半分でも帰って来た者は信用が置ける相手だ。また協力を惜しまないだろう。例え全損しても十三両と二分だ。全ての材木を伐り出したら売値の一割にもならない。投資の本質が見え出した。

 オラは遣り込めるときは徹底的に遣り込める。兄達には怒られることもあるが、オラにも拘りはある。喧嘩になっても得る物を得て欲しいからだ。ただ聞き入れなかったら切捨てる。後は相手が勝手に腐心工夫すれば良い。オラだって絶対正しいことを言っているとは思っていないからだ。

 ゴロ太山の惨状は戦慄すべきものだった。巨石が川を塞ぎ、地形が別物になっていた。周囲の山同様に痩せていたのだ。

 『又助を選んだのは正解じゃん』

「必死になった人間の糞力を見て来ているからな」

『大分眼力が備わってきた』

「商売をしているからな。観察力はつけた心算じゃ。兄達が選ぶなら?」

『今回は又吉に尽きる。己の危険よりも皆の身を案じてくれた。だが皆根子は一緒だ。少なくても誰かのために死ぬ覚悟が出来ている者が殆どだ。侍よりも坊主よりも潔良い。だが無力で臆病だと決めつけていて、真の姿に気付いていない。単に位負けしているだけだ』

「その辺が理解出来ねえ」

『従属する事しか知らないからだ。武家社会よりもずっと厳しい村の規律の中で生きている。僕達とは対極だな』

「真面目で良質の気骨があっても、環境が己の限界を作ってしまうんじゃな?」

『そういうことだ』


 皆は十日分の稗一斗と前払いの二分とを懐に帰って行った。米など食えないから半分の値の稗を選んだのだ。皆を送りがてらに狩りに出かけた。一月後に戻って来た時には土産に肉を持たしてやりたい。死んだ者には興味はないが、生きようと藻掻く者には出来ることをしてやりたい。障碍を負ったオラ達を受け入れてくれた木曽屋の親方の背中が見本だ。

 

 引き上げた木の大部分は残ったが、流された木も多い。兄達の予想を超えて大きく斜面が崩れたからだ。この事は大きな経験になった。人間の小賢しい知識など圧倒する自然の凶暴さを。

 兄達は杉の屋の山師と共に縄張りをした。その区分けを又吉が熱心に質問する。僅かの間に一端の計測人の顔になった。全てがとは言えないが、非凡な才能を持った者が何処にでもいる。皆がオラ達をそういう目で見るが、オラ達が特別ではないのだ。皆良い頭脳を持ちながら、気付かずにいるのだ。だがオラ達も特定の人間にしか学ばせてはいない。全てを背負うだけの手段と能力が無いからだ。

 約一月のあいだ又吉を連れまわした。はっきり言ってオラ達の知識など微々たるものだ。予想が外れているのが何よりの証拠だ。それを言っても熱心に話を聞いた。字が読めたらいいのだがと考えて、杉の屋の亭主と共有するように図面を書き、説明文を書いた。忘れた所は卯之助に読んでもらえば良い。その先は又吉の習学次第だ。仮名は十日もあれば憶えられる。そのために漢字には仮名が振ってある。


 「恐ろしいお人達じゃった。儂など足元にも及ばぬ」山が崩れたその日に小鬼が役所に嘆願書を書いてくれた。いま手があるから復旧工事に使ってくれということと、傷ついた木材を無償で渡してくれるようにと。それを飯場の建材に使い、人夫を思いやってくれと。

 直ぐには戻って来れなかった者も若干いたが、結果は全員が戻って来た。そして復旧工事で余分の一月分余計の稼ぎを得たのだ。そしてその余分の分は四鬼を差し置いて卯之助が感謝された。自分自身が同様の悲惨さを味わった四鬼を救った木曽屋の親方が目の前にチラつき、往生していると笑いながら小鬼が明かした。

「ほんに飛び抜けておられました。お引き止めしたかったのですが」

「無理じゃ。どんな事情がお在りなさるか知れないが、天下の木曽屋さんさえ手放したお方じゃ。ご当人達は木曽屋さんに褒められたい一心で腕を磨いていると言って居ったが、あの腕と見識にも満足しておられないのだ。じゃからその日が来るまで静かに応援しようではないか。ワシ等の出る幕なんぞこれっぽっちも有りはしないよ」

 四鬼を見送った又吉は道泣き崩れた。初め依頼を受けたときには楽が出来ると思った。だがそれを見透かされた上で引き立ててくれたのだ。その恩義に報いるために全力を尽くした。その結果が皆に命の恩人と称賛され、そのことを誰よりも喜んでくれたのが四鬼だ。そして次の仕事があるからオラ達に代わって皆の命を守ってくれと言われた。その有難さに涙が止まらないのだ。

 「頼むぞ」卯之助が優しく肩を叩いた。

「へい・・・。身命を賭しやす!」口減らしの死出の旅立ちの果てに与えられたのは人々の命を守るための仕事だ。非力でお払箱を怯えたのがまるで嘘のように、生気が漲った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

崩  れ  山(四鬼) @ikku0909

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る