第2話 痛むのは
ドアを開けた先、手前のベッドに祖母が寝ている。
息をひとつ吐くと、カーテンを開けた。
「おばあちゃん、久しぶりだね…」
そう言って祖母に近付く。
後に続く言葉は無かった。
この時感じた衝撃をなんと表せば良いのだろう。
記憶に残る祖母とは全く違い、七十代手前の女性とは思えない。
九十過ぎにも見える。
そして、想像以上に痩せ細った身体。
頬の肉も削げている。
──ここまでだとは思わなかった。
いや、分かっていた。
死期が近いということは、こういう事なのだと。
──自分の描いていた想像が甘かったというだけだ。
荷物を置いて、祖母の手を握る。
「……ごめんね、来るのが遅れちゃって」
──重くなった心に引きずられそうだ。
足を引っ張られてゆく感覚から現実へ戻ると、眉の寄った祖母の顔が目に入った。
──今、彼女は何を思っているのだろう。
喋れない祖母の気持ちを測ることは、ぼくには出来ない。
だから、苦しみが少しでも
「じゃあ、先生の所に行ってくる」
そう言って、祖父は病室を出ていった。
「……変わっちゃったでしょう」
「…うん」
母の言葉にも、
「私、トイレに行くから」
「分かった。行ってらっしゃい」
母も出ていき、カーテンの中はぼくと祖母の二人だけ。
「おばあちゃん…」
──何か、何か話をしないと。
「あ、あのね…」
喉に言葉が詰まって出てこない。
会ったら話そうと思っていた話題も空気となって消えてゆく。
「あの………」
──泣くな。
泣いては駄目だ。
頼むから涙よ、出てこないでくれ。
辛いのは本人だ。
本人の前で泣くのは失礼だと思うから。
哀しませたくはない。
──笑え。
下手くそでもいいから、笑顔を作れ。
静かに深呼吸をして、口を開く。
「何を話そうかな…。あ、そうそう、小学生の頃母さんとおばあちゃんとぼくの三人で
普段通りを
一言口にする度に喉が焼けるようだ。
──痛い。
心臓が、さっきまでとは違う痛みに暴れ出す。
それでもぼくは笑おう。
せめて話している間は、楽しかったあの頃に心が
「……それでさ、あの時食べたアイスクリームを覚えている? 珍しいアイスなのは覚えているんだけど──どんな味だったかはもう思い出せないんだよね」
あの日食べたアイスクリームの話をして、また違う話へと移る。
「あとさ、いつだったかな…出かけた先のお土産屋さんでぼくに蛇のキーホルダーを買ってくれたのは覚えてる? ぼくね、アレを今も大事に持っているんだよ。ほら、今日も持ってきたんだ」
ポケットから出したキーホルダーを手の上に載せる。
固く握られた手を
──一回だけ鳴らした鈴の音は、今も心に残っているだろうか。
話しているうちに、自然な笑顔になれた。
それでいい。
少しでも安心してほしいから、ぼくは笑おう。
ぼくの事は心配しないで。
そう伝わるように。
「分かるかな。このキーホルダー、お気に入りなんだ。あの時は、本当に嬉しかったよ。ありがとう」
そう言うと、少し開いた口から声が漏れた。
「あ……あ………」
「おばあちゃん?」
それも、聞くことは出来ないから、ただ手を握っていた。
「どうだった?」
戻って来た母が聞いてくる。
「……うん、蓮祭りの話をしていたんだ。何か言おうとしてたけど…」
「そう………。きっと、優に言いたい事があるんだね」
眉を下げる母に自分もトイレに行くと言い、廊下へと出る。
トイレの個室へ入ると壁に寄りかかって上を向く。
両手で顔を押さえると、少しだけ手が濡れた。
不自然にならないように五分でトイレを出てまた病室へと戻る。
「あ、迷わなかった?」
「ああ、うん」
返事をしたとき、祖父が戻ってきた。
「……そろそろ帰るか」
「そうだね。あまり長くいるのもね…負担になると悪いからね」
荷物を取ると、祖母の手に載せたキーホルダーを返してもらい、強く手を握った。
「……おばあちゃん、またね」
熱くなる目元に力を入れて微笑む。
病院を出る前に振り返って、もう一度祖母を見つめる。
「っ……」
閉じたままの祖母の
閉まっていくドアの向こうに見えたそれは、ぼくの幻だったのだろうか。
消えた視界の向こうを確かめることは
◇
その夜、ぼくは布団の中で静かに泣いた。
この時の熱を忘れることは一生ないだろう。
最後の真珠 杏堂 水螺乃 @mirano69
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