夕  凪 (四 鬼)

@ikku0909

夕  凪 (四 鬼)

赤石での仕事を終えた沖楽国までやって来た。そして白くて大きな砂浜が気に入って、汐見村の小港という漁師町で足を止めた。梅雨入り前の穏やかな気候にマッタリしながら砂浜に腰を下ろしている。兄達は例によって汚い褌一丁になって泳ぎ回っている。馬鹿につける薬も無ければ利口につける薬もない。だからオラは波の音に耳を傾ける。波打ち際の波の音が心地いい。ザーッと寄せて、シュワシュワと砂に水が吸い込まれてゆく。そしたまにドーンと波が打ち付ける。空高く鳶の声、近くのカモメの声。シューシュー鳴る山の風の声、忙しげに鳴く小鳥の囀り。そして啄木鳥の音。海と山では対照的な景色と音。だが双方共に絶妙な調和を保っている。その調和を乱すのは何時も彼奴等だ♆

「こら¬―! 何をしてるー♆」西の方から怒声が聞こえる。彼奴等はオラに尻拭いさせる気満々だ。阿保面下げてヘラヘラしていれば災難は通り過ぎて行くと思っている。

「済まん! 賠償はする!」

子供の声に三人の漁師が振り向いた。普通は惚けるのだが、即答が有ったのは彼方此方で同じことを繰り返しているのだと合点した。声を掛けなければそのまま盗人をする輩だ。相当質が悪いと見当をつけた。

だが子供の所へ行くと、村の子供よりもこざっぱりした形をしていて新の褌が眩しい。

「歩かせて済まなかったが、先に言っとくとオラは碌に歩けねえ。また兄達は耳が聞こえん。それでオラが尻拭い役じゃ。そこを承知してくれ」年に似合わぬしっかりした話しようだ。

「他は知らんが、ここは入会権に厳しい。グズグズしていたら役人を呼ぶところだったずら」一番年上の男が言った。

「何処もそんなもんじゃ。ところが岩場を見ると潜ってみたくなる質じゃ。夏も冬も関係ねえ。凍っていても川へ飛び込む。そんな訳じゃから堪えてくれ」

「冬でもか⁉」

「呆れ返るが本当じゃ。先に払うか採った物を見ていくら払うかを決めてくれ」

「普通じゃねえじゃん!」一番若いのが言った。

「オラ達は何も彼もが普通じゃねえ。ほれ上がってきた。だが先に言っておくが、オラ達は強い。役人総がかりでも返り討ちにする。その辺を心得ておいてくれ」

 三人は鼻の先で嗤った。だが兄達には興味を持った。それで収穫を待つことにした。

 間もなく兄達が上がってきた。それも褌を解いてのフリチンだ♉ 獲物は褌に包んできたのだ。それを波打ち際へ空け、汚い褌を洗って締め込んだ。

 近づいた三人は顔を見合わせた。褌を身に着けると鮑を体に貼り付け出したのだ。中々出来る♉ そして栄螺を太腕に乗せてゆく。なおも近づくと体の大きさが判った。鍛え抜かれた筋肉が全身を鎧っている。そして立ち上がった時には恐怖さえ覚えた。漁師には体の大きい者が多いが、それ等を凌駕していた! あながち子供が言ったことが真実味を持った直後に仰天した! とてもじゃないが真面には見えなかった。こんなのに暴れられたら村が持たない♉♉ 三人はそそくさ子供の所へ引き返した。

「ああ見えても情も深くて頭も良い。それで何ぼじゃ?」

「鮑が二十ほどで栄螺が三十ほどだったずら。百文のありゃあ十分ずらよ」

「なら百二十文払う。迷惑料込じゃ」

「そりゃあ悪いわ!」

「遠慮をするな。ちいと間浜を借りなきゃならねえ。昼飯がまだじゃからな」

「なら浜小屋を使えばいいづら。火の始末さえしてくれたらいいづら」どうやらオラは信用されたようだ。

「なら遠慮しねえ。汚さんようにする」

 「大丈夫けえ?」

「づら。惚ける心算があるならハナから勝ち目がねえづら。それに二十文の気持ちを汲んでやれや。何をしているか知れねえが、あの四人が生きて行くのは大概の事じゃねえ。決して馬鹿じゃねえづら」形は兎も角子供が大人のようにしっかりしている。普通なら隠したいことを先に明かしたのは悶着を避けての事だ。からかいに頭の一つも叩いたら取り返しがつかないことになっていたかも知れない。

 小屋の中は十畳ほどの広さだった。その板の間の真ん中に囲炉裏が据えてある。そこに熱を感じるのは体を温めていた名残だ。梅雨前といえども海は冷える。

 兄達が荷を持って来た。オラは灰をどけて榾をくべる。そして燃え上がった火に当たって燠が出来るのを待つ。

 「おん前等は貝を採って気分がいいか知れねえが、漁師にも生活がある。山奥じゃあ獣を狩ったら喜ばれる方が多い。また食うや食わずの時に密漁したことで生き抜いたこともうる憶えに憶えちょる。オラを喜ばすためなのは重々承知しておる。じゃから尻拭いは厭わねえが、次からは許可を取ってから海へ入れ。じゃがな、オラにだって自尊心はある。そこを考えてくれ」

 我鳴らないオラに三人がシュンとした。

『次からそうするじゃん』狂兄が詫びる。多分本当の故郷はここのような気がする♪

『僕も反省している。だが海を見ると・・・』

「じゃから事前に許可を受けろと言っているんじゃ」

『俺も自信がないど。だけど頑張る』

「そうしてくれ。信じるぞ」

『うん』

 どれだけ本気で反省しているか分からないが、漁師にも生活があることは理解している筈だ。

 

 いい具合に燠が出来たころ表が騒がしくなった。漁師の家族が三食食べるかどうかは知らないが、昼飯が終わった頃だ。

 子供が中を覗き込んだ。そして嬌声を上げて逃げ出す。何処でも見せる反応だ。好奇心が強く、反面臆病で、慣れたら傍若無人に振舞う。

 金網の上に貝を並べてゆく。足音が近づく。そして中を覗き、そっちを見ると逃げ散って行く。

 「お前(まん)等何処から来た?」無害だと知ると話しかけてくる。

「山奥じゃ。赤石の山奥じゃ」

「本当け?」

「本当じゃ。人間の子供を食いに来た」

「人間を食えるけ! 馬~鹿!」

「頭から塩をかけると美味い。焼いて食っても美味い。嘘だと思うなら中へ入って来い」 

「うわー!」

 子供は嫌いじゃないが、飯ぐらいはゆっくり食いたい。それに兄達は仕事の疲れを残しているから纏わり付かせたくない。

 だがここの子供はオラの上手をいった。暫くして小屋を棒で叩きはじめたのだ。

「静かにしろ! 静かにしたら菓子をやる!」

「・・・本当か?」引っ掛かった♪

「嘘は言わん。今は貝を焼いちょる。じゃから子供は食えん」

「毒が入っているずら!」

「なら食べなきゃいい。鬼が怖くて泣いて帰ればいい」

「・・・どんなお菓子づらか?」突っ撥ねられても菓子に釣られている。

「煎餅じゃ。残り少ないから早いもん勝ちじゃ」

 外でヒソヒソ話の相談が始まる。兄達の大きな体を見ているから半信半疑だ。

「毒が入っていたら石を投ぶつけるづら!」年上の男の子が首だけのぞかせて言った。

「死にはせん、寝小便の薬じゃ」

「そんな物食えるか♆」

「じゃがオラはそれで強くなったぞ。ほれ」言って小太刀を振り回す。

「本当づら!」西牙の子供の弟子よりも見事に見える。

「鬼は二日に一度寝小便をする。しねえ者は弱いから食われてしまう」

「なら舟助は強くなるかな? 毎晩垂れてるじゃん♪」凄い身内の暴露話♉

「多分な。じゃから揶揄(からか)ったり虐めたりしたら仇を討たれるからな」

「なら舟助が一番に行け」

「おっかねえ!」

「大きくなったら強くなるづら」悪たれらしく頭が良い♉♉

 期待を一身に受けて入って来たのは六つ位の洟っ垂れだ。尻が引けている。

「ほれ、勇気に免じて二枚やる。手を出せ」

オズオズしながらも、渡すと笑顔を浮かべた。そしてダッと表へ出て行った。

「旨いかどうか食ってみろ!」

「二回寝小便ねをしたら叩かれるづら!」嘘だと思ったが本当のようだ♉♉ 

「旨い♪」だが食欲に負けた♉

 「一列に並べ!」子供達の警戒心は一気に食欲に掻き消された。年量順、男と女順に十五人程が並んだ。そして煎餅を渡すと小屋を飛び出して行く。それでも女の子は最後の子が貰うまで待った。矢張り女の方がしっかりしている。

 「また食わしてくれるか?」女の子が出て行くと早速催促が来た。

「煩くしなかったらな。オラ達に付き纏ったら絶対食わせねえからな」

「本当づらか?」

「嘘は言わん。鬼の約束じゃ」

「なら約束を守るづら💛」

  時間はかかったが兄達を休めることが出来る。焼き上がった物を肴に兄達は酒を飲む。オラはご機嫌で海鮮を頬張り、握り飯をパクつく💛 


 漁師が三々五々集まって来て、オラ達は菓子の礼の言葉を受けながら小屋を辞去した。それから岬の際の道の下へテントを張った。地盤が土交りでしっかりしていたからだ。

 直ぐに兄達は昼寝に入った。矢張り疲れているのだ。オラは残った鮑と栄螺を袋へ入れて海水に漬けた。そうすれば死なないことを知っている。

 兄達が夕方起き出した。それで買い物に怒兄を連れ出す。行先は米屋だ。肩車で出掛けるのは久振りだ。視点が上がることで、前を見て進むことで、視界がとても新鮮だ♪ 背負子を改造して欲しいが、それでは会話が出来なくなる。オラは構わないが、兄達が許しそうにない。

 米屋は汐見川を渡って直ぐの所にあった。そこで米と麦粉を三升づつ買い付けた。そして水飴か黒糖を売っている場所を聞いた。港町はこういう時に便利だ。大きくはないが良い湾がある。そこに五百石船が何隻も停泊している。それだけ流通が活発なのだ。

 黒糖を多めに一貫目買った。水飴を作る原価を考えたら高価だが、ずっと甘いし、使い勝手がいい。それに菓子代わりにもなる。

 帰り道に着いた時、チンマイ侍が苦情を言った。

「その方等は寝小便の菓子を配っているではないか」

「何か問題か?」その姉らしき女が子侍の手を引く。

「・・・ムム! 布団が汚れる」

「言われてみりゃあそうじゃな。じゃが強くなれる。それに好評じゃ。汐見郷の子供に確かめろ。心配なら明日辰刻(朝八時)岬の所の浜で菓子と団子を作る。見に来りゃいい」

「偽りを申したらたたっ斬る!」

「良いぞ。拳固の一つも覚悟してな、キャハハハ!」

 なおも詰め寄ろうとしたチビ侍を女が抑えた。そして軽く頭を下げた。侍の娘にしては出来が良い。普通は侮辱されたと柳眉を逆立てるからだ。

 材料が揃えば調理器具が要る。漁師小屋に立ち寄って鍋や釜の貸し出しを頼む。

「それじゃあ悪いづら! 貝(けえ)の代金を取ったずら」先刻の漁師が言った。

「浜を貸して貰っているんじゃ。それに煩くなきゃあ子供が好きじゃ。またここに限った事じゃねえ。みなが楽しくなりゃあ少々の出費は惜しまねえ。こう見えても樵と狩と出店で飢えたりはしねえ」

「そんなに働いているいるずらか?」

「まあな。それにたまの贅沢も知って貰いてえ。大層な銭がかかるわけじゃねえ。酒代をちいとばかり節約すりゃあ出来るこった。迷惑なら他でするが?」

「ならば試してみてくりょう。悪い者じゃねえことは承知ずら」村役の威厳を持つ者が快諾した。

「ならば女手がすく辰刻から始める。協力を頼む」

「承知しやした」


 辰刻になると大勢の女子供がやって来た。二十数軒だと聞いていたが、漁師以外は総出のようだ。百人近くいる。

 「沢山出て来て貰って有難ぇが、各家一人づつにして貰いてえ。米を炊いて練る者が七人、麦粉を練って煎餅の生地を作る者が七人。あとはタレと味付けに回って貰いてえ。煎餅は生姜味とニッキ味と抹茶味にする」

「そんなに作るづらか!」

「配る量は多くはねえが、多くの種類を知った方が良いじゃろ」

「願ってもねえづら♪」

 女なら物の値段を知っている。少々値が張るのは黒糖だけだ。だが季節によっては甘味の代用品はいくらでもある。例えば柿もあるし、無花果もあれば野イチゴもある。普段甘味を摂る物ばかりだ。

「作り方は紙に書いておく。字が読める者に聞けばいい」

「仮名ぐらいは皆読めるずら♪ 汐見神社と西牙様が界隈の者に教えてくれてるづら」

「なら簡単じゃな」武術場は先刻見ている。ただ西牙とは確認していない。一寸ヤバかったかも♉♉

 女達は手慣れた様子で作業を進めて行く。オラはその監督と味見が仕事だ。女達が喜々として、嬌声を上げながらやっているのが気持ち良い。

 表に昨日の姉弟が来ていた。だから中に入って見物するように勧めた。娘は興味津々で彼方此方を覗いて回り、チビ侍は恥ずかしそうに姉の後をついて回った。こんな時は女の方が度胸を決めるのが早い。中へ入ってあれこれ質問したり感心したりしている。村人は侍の娘というよりも近所の娘のように接する。かなり違和感。

 昼前には御手洗団子が出来上がり、煎餅が焼き上がった。それを家族の人数分持たせてお開きにした。

 「おん前等も人数分持って行け。・・・そうじゃな、芋の葉か蕗の葉を取って来い。持って帰る袋はこっちで用意しちゃる。遠慮は無用じゃ。オラ達には余る位の量が残っている」

「そんなの悪いですわ!」

「少しばかり色が褪せちまって売り物にはならねえ物じゃ。じゃから少々気が引けるが堪えてくれ。西陣じゃがどうせなら映える者に持たせてえと思っていた物じゃ。気に入らなかったら捨りゃあいい」

「そんな事はありません!」耳まで赤くして抗議した。こうした商売人に慣れていないのだろう。かなり反省する。チビ侍は全てに興味がない面持ちで渋い顔をしている。 

「有難う御座います」十になるかならないかの姉が礼を言って帰ってゆく。手提げ袋が気になるようで、目の高さに上げて色々な角度から査定する。その辺の好奇心は庶民と同様だ。女の本能なのだろう。チビ侍はそれに手を伸ばして背中で拒絶される。侍の子供らしく明ら様にブー垂れないが、不機嫌なのは見て取れた。

 四種類の菓子をお茶を手にパクつく。出来は良い。兄達も満足げに召し上がる。日持ちが良い煎餅ばかりでは飽きも来るが、御手洗団子が新鮮なのだ。だが手間がかかるからごくたまに食わせることに決ーめたっと💛


 男達が漁を終えて三々五々帰ってくる。それを待っていた子供達が手を引く。一刻も早くおやつ食いたいからだ。男達は疲れを忘れて、ニコヤカに礼を言う。想像以上に沢山だったようだ。

「気にするな。皆が喜んでくれりゃあオラも嬉しい。声を出して賑やかに騒ぎたい事もあるからよ」この一言で皆納得した。オラの決まり文句だ。

 女達は浜へ残り、魚を捌いて行く。釣った魚だから量は多くない。一般の漁師が網を使うようになったのは遥かに後年の事だ。定置網は網元だけのもので、豪農のように権勢を誇っている。


 ここでの滞在は二日だけにした。口々に礼を言われるのはこそばゆい。それだけではないが、汐見川を渡った所に港町があり、十日市を開いていると聞いたからだ。人口三万人程の中規模模港町だが、物流は盛んだという。海産物に茶に和紙。これが主な産物だが、品質が良いらしい。ご当地自慢は何処も同じだが、需要があるのはそれなりの理由があるからだろう。


 かなり広い汐見川の手前に関所があり、ここでは信長発行の身分証を使って難なく通過した。信玄に思い入れがあっただけに割り切れない寂しさがある。しかし武田は滅びたのだ。だが戦国の世が終局に向かいつつあることは喜ばねばならない。


 旅籠の外にも百姓家や漁師家が臨時に旅人を泊める。今回は梅雨明けまでの一月か二月の長期になるので百姓家の一室を借りることにした。その方が盗難や喧騒を避けられる。とりあえず一月分の二両三分を先払いして、売り物の整理に掛る。ちなみに民家は木賃宿扱いで、文字通り薪代の四五十文を払えば泊まれる制度になっている。それで四人分二両三分の支払いだ。稼ぎは有るが、宿無しだからこうした出費が半端なく大きい。

初めての場所での商売は期待と不安が混じる。だからこそ商売は楽しい。十日毎に市が開かれるから工夫が出来る。ただ良い生地が入りづらい。皆衣類を大事にするからだ。伴天連相手なら高値の生地でも商売出来るが、庶民に五百文は高すぎる。

用意の物は袋物が二百ほどに足袋が二百。そして鹿の干し肉が十貫目、猪が三十貫目。これが全て売れたら五十両を超えるが、三分の一売れたら上出来だ。

市には日にちがあるので、兄達と共に早速海辺へ出た。五百石船が数隻停泊していたからそれなりに流通が活発なのだろう。大きいとは言えないが、岬に囲まれた良港だ。それに立派な店構えの問屋や商店が街道沿いに並んでいる。北側の城下町は知っているが、あまり見劣りはしない。

オラは小籠を背負って呑兄の肩車で古着屋を探す。そこで五着の古着を買った。矢張り目ぼしい物はなかったが、派手な色合いの布を継ぎ足すことで見栄えが全く変わる。アップリ何ジャラの手法を採り入れるのだ。手間はかかるが作るオラは苦にならない。単純な仕事に変化は必要だ。

その間に怒兄と狂兄が海へ入った。呑兄は気もそぞろでオラを宿に送って飛び出して行った。岩場が多いからとデレデレ顔だった。

生地を並べて試行錯誤する。この時間が一番楽しい。信玄袋に手提げ袋。それに伴天連のバスケット・バッグ。ただ西洋物は着物に似合わない。勿体ない限りだ。

兄達は貝や蝦を捕まえて漁師に渡すことにして食べる分だけ只で持ち帰ることにしたようだ。説教が応えたというより、元々が双方の利益を考えている。その上で楽しめれば良いという考えだ。

ただ魚が獲れないのが気に食わなかった。そこで小さな弓を作り、意気揚々と出掛けたが、湿気で竹が弾力を無くし、使い物にならないとショゲ返った。弓を竹筒で雨から守っている者としたは大チョンボだ♪ オラは嬉し笑いをした💛


市では大体場所が決まっていて、飛び入りは松林の端の方に店を開いた。今日は狂兄が店番で、オラの後ろに控える。というより寝ている♉ だがその方が都合がいい。ウロウロされたら客が逃げる。短袴で褌を隠してあるが、顔は隠せないからだ。以前菅笠に日除けの布で顔を隠したら、怪しすぎると役人にこっ酷く叱られてからそうするようにしている。客は一元だからどうにもならない。

始めは冷やかしばかりだったが、先ず肉と足袋が売れ出した。収入が多い関所の役人だ。酒の肴に、或いは緊急事態に備えた保存食用だ。魚の干物には飽き飽きしているのだ。

そうした客が一段落すると、ボチボチ袋物を手にするものが出て来た。主婦の手が空いた頃合いだ。買ってくれた客の袋物には詰め物をしてそのまま手に提げて帰ることを勧めた。風呂敷で包まれたら宣伝にならない。

「ほれ見栄えが良くなった! 別嬪さんにはよく映えらあ」

「口が上手いねえ♪」満更ではなく笑みを浮かべる。

「似合う者にゃあ何でも似合うねえ! 亭主にヤキモチ焼かれんように気を付けておくれ!」

「厭だよう💛」

 客が付き始めたらこっちのものだ。口達者が最大限に発揮出来る。周りの馴染み相手のボソボソ声の商売とは違う。呼び込まなかったら商売出来ないからだ。

 当初の予定より売れた。街並みの良さと、領民の裕福さがそうさせているのだろう。こう言っては何だが、只で配りたくなるような貧村がいかに多いことか。だから儲けられる時には儲けることにしている。

 肉が大方売れると店をたたんだ。十日後には店を出せる。その時に品物が不足していたら見栄えが悪い。そんな考えがあってのことだ。

 店仕舞いをしていると先日の姉弟がやって来た。袋物で見当をつけて来たのだ。やった手提げ袋が着物によく映える。

 「先日は有難うございました」

「礼を言いたいのはこっちの方じゃ。お嬢ちゃんがそれを堤て外出してくれたから評判が立った」

「そんなこと・・・」また赤面した。

「それより寝小便はどうじゃった?」

「・・・拙者は強くなれぬのか?」

「心配ぺぇはねえ。稽古を続けりゃ強くなれる。後で筋を見ちゃる」

「本当で御座るか?」

「ああ。勝とうという気が勝り過ぎては駄目じゃ。今はどう受けてどう切り返すかの反復練習の時期じゃ。攻撃は元服過ぎてからで良い。なまじ今強い奴は先が伸びねえ。一緒に来るか?」

「姉上、如何いたしましょう?」先日よりは大分しっかりしている。

「ご迷惑でなければ」

「どうせ暇を持て余しておる。稽古の間お嬢ちゃんは袋物を見るが良い。それで気に入った物が有ったら持って行け。今回の市はお嬢ちゃんのお陰で上手く行った」

「・・・そんなこと・・・」

「オラはこういう性分じゃ。嘘は吐かねえ」

「ならお供します」

 今回は背負子の上に乗る。それを兄弟が不思議そうに見る。

「脚が悪い。それでじゃ」

「挫いたのですか?」

「それなら良いが、毒茸に当たっちまった。ほれ行くぞ」

「はい・・・」

 二人は無言で後を付いて来た。渡季竹千代だと名乗ったチビ侍は姉の彩(さや)の顔を幾度となく見上げた。オラの腕を信用出来ないのは頷ける。

 宿に帰ると彩には売れ残りを見せ、竹千代には型をさせる。前のめりが強くなりたい一心を表している。

 「師匠の構えを真似てみろ」

「こうじゃ!」大分姿勢が良くなる。

「懐が深い浅いは聞いていよう。今の姿勢が懐を深くする。ゆったり構えて剣筋を見極める。刀は軌道を曲げられぬ。それが出来るのは天才中の天才じゃ。じゃが弱点を持っておる。その辺の講義は師匠に聞け。もう少し胸を張って素振り百本じゃ。出足鋭くな」

「承知仕った!」満更馬鹿ではなさそうだ。どうしたら刀が切れるかは教育されている。

 打ち合うには六歳の子供では面倒臭い。だから二刀流でオラの型を見せる。受けて斬り、受けて突く。初めて見る型に竹千代は眼を白黒。

「一刀流が全てじゃねえ。それだけ知れば滅多にゃ斬られねえ。そこそこ強くなっても斬り合いはするな。上には上がいるからじゃ。その見極めをつけるための稽古じゃ。解ったか?」

「大分」

「なら優秀じゃ。稽古を続けろ」

「はい!」

 「気に入った物があるか?」

「みな見事な出来です」

「家では裁縫をしているのか?」

「女の嗜みですから」

「なら一つ作ってみたらどうじゃ? オラ達は当分ここへ逗留する」

「そんなの悪いです!」

「厭なら勧めはしねえ。弟を呼んで茶を飲んで返れ」オラだって暇を持て余している訳ではない。

 彩は気分を害して弟を呼び、そそくさと帰って行った。庶民慣れしてはいても武家の矜持は健在だった。


 兄達は海へ入ることが目的で、十分楽しむ。その獲物を使って燻製を作り、家主に分け与えた。鮑に蛸に魚にと食べていくうちに煙臭さに慣れ、味の良さを認識していった。それは亭主に限らず家族全員が馴染んでいった。そして寄合に持参して肴にした。魚には厳しい界隈の者達も直ぐに馴染みの亭主を介して注文がきた。だからそれに使う木を指定した。何でも香りが良い燻製が出来る訳がないからだ。

 

二度目の市は雨模様だった。だがオラ達に心配は要らない。テントで雨露を凌げるからだ。そうしたことも評判になり、品物は大方完売した。

 「たのもう!」店仕舞いした後に彩の家族がやって来た。偉丈夫な主人に美形な奥方。それに姉弟と幼児の三兄弟だ。

 「娘の様子がおかしいので問い質したのだが、挨拶が遅れて申し訳なかった」

「気にしないでくれ。みんな押し付けたのはこっちじゃ」

「そうであろうが彩も竹千代もいたく感謝しておる様子。餅に菓子に稽古の件厚く御礼申し上げる」

「武家に礼を言われる筋合いはねえ。オラ達はしたいことをさせて貰っただけじゃ。武家相手に出過ぎた真似をした思いがねえ訳じゃねえ」

「そんなことは御座らぬ。ただ一つ確かめたいのは死鬼殿か?」

「それを聞いてどうする?」

「我ら西牙は死鬼殿には手を出すなとのお触れが列姫師範から有り申した故。お人違いとは存じますが、口が滑り申した」

「迷惑な話じゃが、振舞には気を付けよう」関所の方も調査済みとみた。油断ならない相手が手を引いたのは朗報だ。一番警戒していた相手だ。

「その上で頼みたいのは彩の嫁入り修行と竹千代の指導で御座る。舟戸師範からは了承を受けておる。型の修得に対する考えにいたく感服なされて御座ったゆえ」

「買い被られて身も蓋もねぇが、全国を廻って得た豆知識を伝授することに抵抗はねぇ。間違っていたら切捨ててくれ」

「お願い申す」西牙の懐の深さは兄達が口にしていたが、門弟にまで徹底しているのだろう。

「ならば兄達の稽古を見てくれ。こりゃ! さっさと支度せい!」

 兄達は松林で一対一の稽古を始めた。手の内を見せる筈はなく、道場稽古を真似たやりかたに始終した。だが竹刀の速さに渡季駿河は驚嘆した。忽ちに頬が強張り、目付きが鋭くなった。その太刀筋が出来るのは師範級だけだ。

 それを確かめると夫婦が退散した。口先だけの如何わしい者達ではないことを確認したからだ。

 「先日はご無礼申し上げました」彩が詫びた。

「構うもんか。竹千代は兄達に任せて小物作りじゃ」

「お願い申します」今度は素直に頭を下げた。

 和裁は基本的に裁断が少ない。生地を目一杯使うからだ。対して袋物は裁断抜きには作れない。だから西洋鋏が重宝する。また型紙を使うのも物珍しく、一心に目で追う。

「布は高価じゃから失敗が無いようにしなきゃならねえ。また模様合わせも必要じゃ。細かい仕事が多い。また縫い方も丁寧にせにゃならん。足袋と同じじゃ。それを心得たら造作ねえ。先ずは模様合わせからじゃ。底を決めてから始める。建物の土台と同じじゃ。見えんからと言っていい加減にすると品が無くなる」説明して型紙の裁断にかかる。これには数種類の薄板の定規を使う。それをなぞってヘラで印をつけて紙を裁断する。そして生地に仮縫いして生地を裁断する。同様の手法で五枚作れば箱型に出来る。後は模様を合わせて縫えばいい。小紋の合わせ易い生地を今は使っている。

 それでも彩は四苦八苦する。五枚を模様合わせしなければならないからだ。

「初めから完璧を目指すな。躾縫いで感覚を慣らせ。幾らでも縫い直しが出来る」

「はい」

「オラも最初は戸惑った。何で男が裁縫かと思った。じゃが兄達は裁縫を習いながらオラの物を縫い上げてくれた。それから方々でいろんな物を見て、商売出来る物を見つけた。それからじゃ、腕が上がっていったのは。じゃから着物なんざ縫う気がしねえ。単純すぎて面白味がねえからな」

「はい」

「まあやってみりゃ解る。講釈を聞くよりは実践だ」

 彩のように四苦八苦していた頃が懐かしい。兄達に散々ダメ出しをされて商売出来る物を縫い上げられるようになったのだ。だが未だに足袋は兄達の物には太刀打ち出来ない。常に使っている者とそうでない者との差が出るのだ。

 竹千代は出足と引き足を厳しく指導されている。歩けないオラは羨ましいが、本当はそうした指導をオラにしたかったのだと思うと胸が熱くなる。無い物ねだりになるが、一日も早く歩けるようになりたい。

 二人の修行は一刻で終わる。オラにも仕事が有るからだ。兄達は相変わらず海へ出かけて素潜りをする。そして土産を貰って帰宅する。小港の漁師や子供達が様子を見に来て、魚や野菜を置いて行く。だから彩に手伝わせてお礼の煎餅を焼く。彩も竹千代も本業の修行よりもそっちの方が楽しそうだ。矢張り食い物は身分を厭わない。

 彩は腕を上げて行き、細かい指導無しでも手提げ袋を縫えるようになった。竹千代の方は足配りが理解出来たようだ。そうすると伸びるのが早い。これを確実に出来るようになったら数段腕が上がる。


 兄達は狩りに出掛けた。猪に荒らされる場所を聞いていたから苦労はせずに一頭仕留めて帰って来た。内臓を抜いてきれいに洗い、味噌煮した物の一部を宿主にお裾分けした。魚で脂慣れした宿主一家は大いに喜んでくれた。オラ達は軽く湯透した内臓を焼いて食う。コリコリした触感と脂の甘味に最近はまっている♪

 そして三回目の市当日には前宣伝が効いて、多くの客が行列を成した。竹筒を下げてのお持ち帰りだ。関所の役人は大鍋を下げてやって来た。

 「大量買は有難いが、一日二日待ってくれ。その時にゃ猪一頭を持って行く。家族や親戚を呼んでも食いきれねえ。どうする?」

「偽りが御座らぬな?」

「ねえ」

「ならば引き下がる」余程お人好しとみえる♉

「有難ぇ。此奴は手付じゃ、持っていけ」

「逆では御座らぬか?」菓子が入った信玄袋に若い侍が戸惑う。

「ここは良い所じゃ。それも役人が領民を守ってくれちょる証拠じゃ。その感謝の気持ちもある。商売は治安が良い所に限るからな」

「ならばよろしく頼む!」商人の口八丁に陥落した♪ だが何となく人の好さに不安も♉

 

 翌々日には関所の裏に石を並べた竈を十作った。これには侍の子供達が手を貸してくれた。その気合の入れ方に驚かされた。猪一頭で足りるかという心配が芽生える。

そして閉門後に役人達の饗宴が始まる。下拵えした猪鍋を小鍋によそり、炭火を入れた竈へかけさせる。この変わったやり方に皆新鮮味を覚えたようだ。百人を超す大所帯だったが、どの顔も楽しそうだ。

 男達は酒の当てに、女や子供達は飯のおかずに。この辺は庶民と変わることがない。だがだらけ過ぎている♉♉

 「一緒に食べないのですか?」

「気にしてくれて有難うよ。じゃがこれも商売じゃ。料理人が客と一緒に料理を食うこたあねえ」

「そうですね」

「腹一杯食ったか?」

「はい、とても旨かったです♪」

「そりゃ良かった。今湯を沸かしちょる。口ん中をさっぱりさせるために茶を飲め。煎餅を食いながら飲みゃよりさっぱりする」

「有難うございます」

 茶を淹れて煎餅を持たせ、関所の濡縁を示す。彩は一瞬逡巡したが、素直に従った。いくら何でも立ったまま茶を啜ったり菓子を食うことは下品すぎるからだ。

 「何から何まで済まんなあ」彩の母親がやって来て礼を言う。

「なあにお安い御用じゃ。お祭り騒ぎが好きじゃからな」

「こうした物も自分の考えで?」

「見様見真似じゃ。流れの宿無しは多くの物を見聞する。その内の使えるものは自分のものにする。ただそれだけじゃ」

「それにしてもなあ」

「お嬢さんに袋物の作り方と煎餅を教えた。これを今後するかしないかじゃ。知識の習得と行動は別じゃからな」

「・・・賢いのう」

「それを言われるとこそばゆい。兄達に比べたらまだまだじゃ。茶が入った。お嬢さんと一緒に飲んでくれ」湯飲み茶碗と煎餅の入った竹筒を持たす。仕事の邪魔をされたくない。猪鍋の追加を頼まれるからだ。


 四回目は煎餅だ。一斗ずつの米粉で五種類の生地を作り、二枚づつの五組で十枚一組にする。この作業には役人の奥方や子供が手を貸してくれ、三百組三千枚を焼き上げた。そして菓子職人の苦労を知った。遊び半分では出来ない仕事だと。

 

 梅雨が明けて四人が出て行った。竹千代は砂浜で打ち込みの稽古を繰り返す。強くなるのはもっと先で良い。踏込みながら打ち、さっと引く。剣筋は変えられない。だから相手の剣筋を見極めて受ける。もっと腕力が増したら、受ける前に斬る。そのための足捌きだ。

 彩は貰った手提げ袋に自分で焼いた煎餅を詰めている。味も焼き具合も未熟だが、また来たら食べて貰いたいと思う。もし弟が噂を聞きつけなかったら出逢いはなかったと思う。また一人で出逢ったとしてもただの商人に過ぎなかったと思う。だが物知りで親切で、達筆で、気難しくて、朗らかで・・・。そして何より胸が高鳴った。そして恥ずかしくもあった。だが圧倒的な闊達さに引き込まれ、楽しい二月を過ごすことが出来た。金色に染まる夕凪の海を何回見たらまた帰って来るかなと考えて、胸がキュンと痛んだ。


 「狂兄の故郷はここじゃ! 間違えねえ」

『見覚えがないじゃん。それに甲州でも同じような言葉使いずら?』

「・・・まあな」

『早とちりは大局を見失うづら』

「っつたく♆」

 いくら賢いと褒められても兄達には適わない。足袋作りと同様に感性が違うのだ。状況的にオラは目先の対応に追われている。対して兄達は無駄な情報を遮断出来る。賢者が竹林を好むのを地で行っているようなものだ。

 「西牙が手を引いたのは大きいな」

『弟子は別だ。家来じゃないづら』

「大局は変わらんか」

『弟子を手に掛けたら黙ってはいられないじゃん。残念ながらこうした関係はづっと続く』

「一層のこと乗り込むか?」

『戦なら怨恨は残らないが、この場合は別づら。鉄砲を連ねて待ち伏せされたら勝ち目が無いじゃん』

「そうじゃがな・・・」

 こうした思考がオラには不足しているのだ。それが先の猪鍋だ。中途半端な接待になってしまった。銭を払ってもらった以上、女子供のために茶菓を用意すべきだったのだ。料亭、料理屋、飯屋と格があるが、料理以外にも接待に違いがあることを切実に理解した。解っているようでまだまだ理解していないことが多い。それに気付いただけでも良い経験だ。たっぷり儲けたし💛

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夕  凪 (四 鬼) @ikku0909

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