第6話 恐怖を知る

「うわあああ……ああっとっと……お?」

 翔矢は、とんとんとん、と、歌舞伎の六包みたいに片足で飛び跳ねてバランスを取った。しっかり地面を踏みしめている。

 カサカサいう頭にかぶせられた物を取ってみると、それはスーパーで揚げ物なんかを包むありふれた茶色い紙袋だった。

 そこは、背景に黒い丘のある、血の池地獄で、池の中から腕が突き出したり、生首が恨めしそうな顔で浮かんだりしているが、いずれも一目で作り物と分かる。

 最後にいた場所と似ているが、直感的に全然別の場所だと分かった。空気感が違う。こっちはいかにも狭い室内に埃っぽい空気がこもった感じがあるが、さっきの場所は、もっと湿った感じで、今にして思えば煮えたぎった血の湯気が広い場所に拡散した感じだった。

「怖かったでしょう?」

 声に振り返ると、三角頭巾に経帷子というおなじみの幽霊スタイルの紅倉美姫が、芙蓉美貴をとなりに、ニヤニヤしながら立っていた。

 翔矢はカアッとなって怒鳴った。

「怖かねえよ、むかつくだけで! なんなんだよ、あの悪趣味!? みんなあんたの仕業か!?」

 いったいどうやったのか考えるとこの紅倉という霊能師もかなり不気味だが、頭に血の上っている翔矢にそこまで考える余裕はなかった。

 女相手に今にも飛びかかっていきそうな構えをすると、冷たい顔の芙蓉がすっと前に出た。

「ああ、いいから、美貴ちゃん。ま、あんなところに放り込まれたら怒るのも無理ないわよね。あなたの先生の、武田哲章さんに頼まれたのよ、怖い物知らずのあなたに恐怖を教えてやってくれ、って」

「ああ、そんなことだろうと思ったぜ。俺なんかにバラエティー番組の話が回ってくるなんておかしいと思ってたんだ。最近哲章さん、やたら心配性になってな、年だよな、あの人も」

 翔矢はせせら笑って紅倉を睨んだ。

「残念だったな? 俺は今度の大スタント、断る気はねえぜ? また大成功させてみんなの度肝を抜いてやるぜ」

「あーあ」

 駄目だこりゃというように紅倉は両手を広げて頭を振った。

「しょうがない。それじゃあ鈍感なあなたに解説してあげましょうか。ギャラに合わないんだけどなあー。

 あなたは、3歳の時にマンションの5階のベランダから転落して、奇跡的にかすり傷程度で済んだことがあるんですね? その体験が今、命知らずのスタントマンをやっていることにつながっているんですね?」

「まあな」

「その時のこと、覚えてます?」

「いや……、さすがに3歳だからな、なんだか周りが大騒ぎしていたなあ、くらいにしか覚えてねえな」

「その3日後にお母さんが交通事故で亡くなった」

「ああ、そうだよ」

 怒ったように答えた翔矢は、何か脳裏にフラッシュする物があって、ギクリとした。紅倉はかまわず続ける。

「高いところから転落して、奇跡的にけがをしないで済む、というのは小さい子どもにたまにあるようですね。でも5階の高さからというのは、ちょっと普通では考えられませんねえ。普通じゃないってことは、奇跡です。何がそんな奇跡を起こしたんでしょうねえ?」

「あんたも俺のおふくろが自分の命と引き換えに奇跡を起こしたって言いたいのか?」

「そうですよ。他に誰が、あなたの為に奇跡を起こしてくれます?

 あなたのお母さんは、あなたがベランダから落ちていくのを見ていて、とっさに祈ったんです、どんなことでもしますから、この子の命をお助けください、ってね。

 それを天の神様が聞き届けて、あなたの命を救ってやり、約束通り、お母さんの命を代わりに奪ったんです」

 翔矢は荒んだ目つきで紅倉を睨んだ。

「そんな陳腐な話、誰が信じるかよ」

「あなたは、なんでベランダから落ちたりしたんです? これもよくある事故ですよね? 何気なく置いていた荷物に、小さい子どもが遊びで登って、誤って手すりを乗り越えて転落してしまう。あなたの場合はどうだったんですか?」

「覚えてねえよ」

 翔矢は手を握りしめ、そこにじっとり汗をかいているのに気づいた。

 紅倉はころっと話を変えた。

「さっきのお化け屋敷、最後の場面、罪人の女が必死にお地蔵様が血の池地獄に落ちるのを防いでいたわよね? お地蔵様というのは、釈迦不在の現世にあって、六道を輪廻する衆生を救う菩薩とされますが、まあ、一般的には子どもを守る神様として信仰されているわね。

 地蔵菩薩。元のサンスクリット語ではクシティ・ガルバって言って、クシティは大地、ガルバは胎内、子宮の意味で、合わせて地蔵って訳されたわけ。

 あの女の人が必死に守っていたお地蔵様には、どういう意味があるのかしらねえ?

 盗賊団が襲った越後屋さんの犠牲者の中に、幼い子どもがいたわよね?

 あれはあの女の人には直接関係ないんだけれどね、実はあの人、自分の子どもを殺しちゃってるのよ。

 若い頃、貧しい村で、飢饉の時に、口減らしの為に幼い子どもを殺して捨ててしまったのね。

 その罪で、ああしてお地蔵様を守って、自分が死ぬ苦しみを味わい続けているわけ」

「それが俺とどういう関係があるっていうんだ?」

 言ってから、ハッと、自分と関係あるのか?と、翔矢は冷たい汗をかいた。

「お母さんの死は事故ということになっていますが、当初警察は自殺の可能性も考えていました。

 あなたがベランダから落ちたのは、お母さんに放り出されたのよ。

 その頃お母さんは育児ノイローゼになっていて、あなたをちゃんと育てる自信がなくなって、発作的に、あなたをベランダに連れ出して、ぽいと、捨てちゃったの。

 その瞬間に、ハッと、自分が以前同じことをしたことを思い出したの。

 前世の記憶ね。

 飢饉の為に、幼い我が子を殺してしまった。

 ベランダから放り出してしまってから、あなたのお母さんは死ぬほど強烈な後悔を感じた。また同じ過ちを犯してしまった罪に取り返しのつかない後悔を感じた。

 お母さんは天に祈った、わたしはどうなってもかまいません、どうか、どうかこの子だけはお助けください、ってね。

 祈りは届いて、あなたは奇跡的に助かった。

 お母さんは奇跡の代償に命を失ったけれど、

 お母さんの苦しみはその後もずっと、今に至っても、続いている。

 お母さんが必死で守っている地蔵は、自分の子どもの意味よ。

 子どもが死ぬ危険に遭う度に、ああして自分が身を犠牲にして守っているのよ。

 分かるでしょう?

 あのお地蔵さんは、あなたよ。そして、

 地蔵を、命を、もてあそんで喜んでいる小鬼たちも、実はあなたの心の投影なのよ。

 あなたが命も顧みない危険なスタントに挑むたび、あの世でああしてお母さんは、あなたを守って、地獄の責め苦に自ら飛び込んで、自分を傷つけ、罰しているのよ」

「そんな、嘘だ、でたらめだ、作り話だ」

 紅倉の瞳が赤く光り、翔矢の脳裏にこれまで挑んできた危険なスタントが思い出された。

 バイクと一緒にふっとばされて、紙一重でアスファルトに頭がこすられるのから助かった一瞬。

 工場の高い足場から、取っ組み合いの末にバランスを崩して転落するシーン、相手の俳優が襟首から手を放すタイミングが遅れて、予定と違う方向に投げ出されて、危うく張り出したパイプに側頭部を直撃されそうになり、体をひねってギリギリでよけた一瞬。

 工場地帯で連続する爆発をかいくぐって脱出するシーン、リモコンがショートして、一斉に火薬が爆発して、まっただ中でこけて、背中を真っ黒に焦がしたこと。

 本当に死んでいてもおかしくない一瞬はたくさんあった。

 それが思い出されて、腹の底がきゅうっと固くなり、下半身から力が抜けて、震えが来た。

「ご覧なさい」

 紅倉が指差すと、血の池にあの罪人女が、真っ赤に染まった姿で立っていた。肩が落ち、両腕がだらりと下がり、立っているのもやっとという有様だった。

「あの人が悲しんでいるのは、もう魂も限界で、次にあなたが命の危険にさらされてももう助けてあげられないからです。どうですか? あなたを二度も殺そうとした母親です、恨めしいですか?」

 翔矢は激しく首を振った。

「もうしない。もう二度と命を粗末にするようなことはしないから、お願いだ、もう苦しむのはやめてくれ。俺は母さんに感謝こそすれ、恨んだりなんかしない。ごめん、ごめんよ、母さん……」

 翔矢は涙を流し、女はかすかだが嬉しそうに微笑んだ。

 宙に地蔵尊が現れ、光を放つと、女はその光の中で白く輝き、消えていった。

 女が消えると、地蔵尊も幻となって消えていった。

 紅倉が訊いた。

「怖かったでしょう?」

「ああ、怖かったよ。怖くてたまらないよ」

 紅倉はうなずき、言った。

「それがまともな人間です」



 その後、翔矢は次の映画のスタントを断り、スタントマンから足を洗って、本格的な演技のできる役者を目指して勉強しているという。



 終



    2014年8月作品

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霊能力者紅倉美姫6 恐怖をあなたに 岳石祭人 @take-stone

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