第5話 悲鳴
赤い小部屋を抜けた先は、道のない広場で、赤と青のおどろな極彩色の空の下、そこには狂気の笑みを浮かべた血まみれの亡者たちが満ち、あちこちで、手足を重い鎖でつながれ身動きのままならない罪人を取り囲み、足蹴にし、石や角材で打ち据え、リンチしていた。
なんなんだこれは、と翔矢は心がざわざわとそそけだった。
混沌が広がっていた。
見せ物としての秩序はなく、罪人とはいえ、抵抗のできない者を容赦なくいたぶって、それでケタケタよだれを垂らして喜んでいる亡者たちは、完全にサイコだった。
これでは悲鳴なんて上げることもできない。連中はみんな狂って、暴力に夢中になっている。みんな自分の行為に夢中になっているが、それを悲鳴なんかで邪魔したら、その狂気が今度はこっちに向かって来るような狂った空気に満ちていた。
天井は赤と青にだんだらに染まり、向こうの夜の闇に出口があるようで、翔矢は罪人をリンチする亡者たちのグループの間をそうっと抜けていった。
途中、一つのグループにリンチされている罪人を見て、足が止まってしまった。
あの女だった。
このグループは女の亡者が中心で、明瞭な言葉になっていないが何か口汚く女の罪人をののしり、よってたかって足蹴にしている。女の罪人は手足を縮込めて背を丸くし、ひたすら耐えている。
翔矢はまた腹の底がどす黒くなるようなむかつきを覚えた。
肩をべたりと触られてぎょっとした。小汚い中年女の亡者がニタニタした顔を寄せ、翔矢にも罪人女を蹴ってやれと指差した。
「放せよ」
むかついている翔矢は乱暴に女亡者の手を振り払った。
「マナーのなってないお化け屋敷だなあ。客に触ってはいけないってのがお化け屋敷のお化けのルールだろうが?」
しかし、女亡者たちは手を伸ばして翔矢に取り付くと、ほらやれ、と、わざわざしゃがみ込んで足を持って、無理矢理に罪人女を蹴らせようとした。
「馬鹿野郎! 放しやがれ!」
翔矢は暴れたが、女どもの力は意外に強く、その手や腕の感触が濡れたゴムみたいに気色悪く、なんなんだこいつら? と冷たい汗を感じている内に、足を罪人女の丸めた背中にぶつけさせられた。
靴の底が女の背に当たった瞬間、心臓がどくんと躍り上がり、胸に何とも嫌なきしみのような物を感じた。足裏に直接女の背中を踏みつけたような、生々しく嫌な感触を覚えた。
罪人女の顔が横を向き、また何とも恨みがましい目で翔矢を見上げた。
翔矢は背中一面にざわっと冷たい汗が噴き出すのを感じた。
女が背中を丸めているのは、胸に何か白い物を抱えているからだった。
それは石の地蔵だった。
足を掴む女亡者がまた罪人女を蹴らせようと振り上げさせた。
「やめろ!」
翔矢は怒鳴りつけ、本気で体を揺すって取り付く女亡者たちを振り払った。
翔矢は罪人女に手を差し伸べようとしたのだが、女の自分を見つめる目にギクリと固まり、気がつくと、辺りの亡者たちがみんな翔矢を睨んでいた。
顔を憎々しげに歪めたかと思うと、ゆらりゆらりと体を揺すりながら、男亡者は手にした角材を振り上げ、勢いよく振り下ろした。
翔矢がとっさに防御に振り上げた腕に当たると、角材はまるで砂糖細工のように粉々に砕け散った。
そうだ、これはお化け屋敷で、こいつらみんな従業員の俳優なんだ。
そう思いながらも、人間をやめてしまったような獣じみた憎々しげな顔で迫ってくる亡者たちは、とても演技でやっているようには感じられなかった。
俺はいったいどこに紛れ込んじまったんだ? ここは本当にお化け屋敷なのかよ?
半信半疑に思いながら、翔矢は被い被さってくる亡者たちをかいくぐり、出口の暗幕向かって駆けた。
暗幕のカーテンをめくって次の場所に出ると、また地獄の続きのようで、うんざりした。
また真っ赤な景色が現れて、今度は丘があって、その上に奇妙な仕掛けがある。
櫓の上に前後にはしごが渡され、手前の先に縄にまかれた石地蔵がぶら下がり、奥に人間離れしたプロポーションの不細工な小鬼たちが、ぴょんぴょん跳ねてははしごを掴んでぶら下がり、そうするとはしごはシーソーになって手前が跳ね上がり、すると縄にくくられた石地蔵が勢いよく飛び上がり、後ろで小鬼たちがはしごから手を放すと、はしごは手前がバタンと下がって、宙でくるんとひっくり返った地蔵が落下した。
縄は千切れそうに伸び、丘の下に落下しそうになるが、そこにはまたあの罪人女がいて、石地蔵を落とすまいと抱きとめようとして、すると悪辣な小鬼がまたはしごに飛びついて、縄がピンと張った石地蔵は躍り上がり、抱きとめようとした女の顔面をしたたかに殴った。
女は顔面からだらだら血を流し、小鬼たちは飛び跳ねて喜び、汚らしい笑い声を上げた。
女は頭がくらくらするようにふらついたが、落ちてくる地蔵を抱きとめようと手を伸ばし、また小鬼どもに邪魔されて、飛び跳ねる地蔵に頭を殴られ、振り乱した髪からだらだら血を滴らせた。
それでもまだ女は地蔵を捕まえようと頑張り、肩を打ち、指を傷めて、それでもまだ地蔵に追いすがった。
翔矢はさすがに見ていられず、
「おい、あんた、もうやめろよそんな真似。なんであんな地蔵を欲しがる?」
と呼びかけながら近づこうとしたが、はっと、先へ進むのを躊躇した。
丘の陰になって気づかなかったが、女の周りには真っ赤に煮えたぎった血の池が広がり、地蔵を追って安全な足場から踏み出すたび、女の素足は赤い湯気を上げて焼けただれているのだった。
女は地蔵が欲しいのではなく、地蔵が血の池地獄に落ちるのを身を挺して防ぎ続けているのだった。
翔矢は腰が抜ける思いがした。これは全部作り物で、女は演技しているだけで、あの石地蔵は発泡スチロールのハリボテで、傷も血も特殊メークだというのは分かっている。
しかし、それでも女の様子はあまりに痛々しく、もう見ていられなかった。
「分かった分かった、降参だ! 俺の負けだ! リタイアするからさっさと種明かししてくれ!」
翔矢は両手を広げて天井に叫んだが、小鬼たちの女をいたぶる遊戯は止まらず、女も一心不乱に地蔵を守り続けた。
「おいっ、もういいって言ってんだろう? もうやめろよ!」
翔矢はどうせ絵の具で作っただろう血の池地獄に足を踏み込んだが、瞬間、
「ぎゃっ」
と悲鳴を上げて飛び退いた。熱い! 一瞬で骨の髄までやけどしそうだ。
翔矢は女の苦痛に歪んだ顔を見て腰が震えた。
まさか、そんなことはない、と思いながら、女が本当に激烈な痛みに耐えてこの残酷な苦行を受けているように思えたのだ。
「おいやめろ! やめろってば!」
翔矢は地団駄踏むように大声を張り上げた。
女がまた恨みがましく翔矢を見た。
「なんなんだよ、あんた! なんで俺をそんな目で……」
翔矢ははっとした。
女が恨んでいるような目をしているのは堪え難い苦痛からで、翔矢を見るその思いは、心の底から溢れ出る悲しみだった。
翔矢は戦慄した。
「なんだ……、なんなんだ、あんたは…………」
普通に考えて、連続するシーンに続けて同じ女優が別々の扮装で登場するのもおかしい。
ここでは、普通でないことが起こっているのだ。
女はまだ懸命に宙に躍らされている地蔵を血の池から守って傷つき続けている。
翔矢はわめいた。
「やめろおっ! なんなんだ、訳わかんねえよ! あんたなんでそんなことしてる!? おい!誰か! 責任者! 説明しやがれ!」
また地蔵が女の額を打ち、ばっくり割れた傷から血を噴き出させた。
「やめろおおっ!」
翔矢は感情を爆発させて叫んだ。その感情は、怒りと、なんだろう?
「ちくしょう!」
翔矢は爆発した感情のまま、血の池へ、女の下へ行こうとした。
突然、
頭からすっぽり何かかぶせられ、視界が真っ黒になった。
ガラガラガラ、と耳元で雷のような大きな音がして、それに驚くと、ふいに体の軸がぶれたようにバランス感覚が失われ、
「わああああ……」
翔矢は奈落に転落したように体を踊らせ、手足になんの取っ掛かりも得られずに、
底へ底へ、
果ても知らず落ちていった。
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