第4話

 振り向いたら、そこには、人が現れていた。


 背丈は僕と変わらないほどの、腰まで伸びた黒髪の女性。なんというか……、いろいろと成長しているって見た目だ。

 この人は僕と同じように日本の、東アジア人みたいな顔だ。


 服装も今まで話していた少女の薄い灰色の、何というか、カーテンをまいたような服とは違い、現代的だ。黒いパンツスーツを着ている。

 ネクタイもきちんと絞めて。


「やっぱり、経験が浅いから。まだ説得は無理ね」

 その人は泣きじゃくっている少女のもとに歩み寄り、そのれているこうべでた。

「あなたが説明したいと、責任を感じているから申し出たのはいいけど……。あなたにはまだ説明も説得も早い。あなたは感情移入しすぎてしまう」


 頭を撫で続けて、年長者が幼子をあやしている光景みたいだ。

 そしてその女性が僕の方を見た。


「それに、この人間の死はあなたのミスではない。あれはイレギュラーな何かが起きた結果。私たちの調整を上回る力が働いていた。そのはず。そうに違いない」


 そしてまた、横にいる少女の耳に顔を近づけ

「だからもう泣かないで。ねえ、メル。あなたの責任じゃないの」


 メルっていうのが今まで僕と話していた子の名前なのかな。



 そのまま……、どれほどの時間が過ぎただろうか。

 女の子はようやく泣き止んで、話は再開した。


「君は、バタフライエフェクトって言葉を知ってる?」

 唐突にスーツの女性が、そうたずねてきた。

「ああ。何だっけか、確か蝶の羽ばたきがどこかの遠い離れた所の嵐につながる、とかだっけ?」

「そう、カオス理論の。それは単なる考え方の一つなのだけどね……。

 だけど人間たちのその考えは正しいの。運命には鋭敏性えいびんせいというものが……、ほんの小さな出来事が、いずれ大きな歯車となって運命が変わってしまう。それを私たちは防いでいる。

 まあ、でも……。どうしようかな。そんな説明よりも……」


 そして女性は溜息ためいきをつき、こう告げた。


「最初に言っておく。君の姉の死を決めたのは私よ」


 その言葉を聞いて、うまく反応ができなかった。




「そうね……、私がハーモニーのリーダーをつとめている。

 バルクっていう名前を与えられている者よ。まあ遅かれ早かれ言わなければいけないことだからね。

 私が君の姉を殺すことを決めたの。文句があるならどうぞ。

 今のうちなら、聞いてあげるわ」



 自分の体の中で、血液が沸騰しているんじゃないかと思うほど熱くなった。

「ゴウゥッ」っと血潮が、血管を通っている音が頭の中に響いて伝わってくる。



「どうして、姉さんだったんだ?」

「どうして、ね……」

 目の前のそいつは僕の周囲を、僕を中心にゆっくりと歩き出した。


「君のような人に上手くわかってもらえるか自信はないけど。

 さっきのカオス理論の話をしてもね……。


 まあ要するに……、運命は、人の命はめぐってくるものなの。まわりまわって、運ばれて。それがこの世界の安定のために必要なこと。誰かの死が、誰かの生へと繋がっていくの。

 全ての人が100歳まで命をまっとうできて、誰も死なないような世の中は崩壊する。

 それは過去に実証済みの事柄で、綺麗ごとじゃあこの世界は保てないの。

 つまりそういうことよ」

「どういうことだよ!何であんたは姉さんを殺したんだ!」

 思わず、声が大きくなってしまった。


「はあああ」

 そいつはまた、深い溜息をつき、学校の嫌な教師みたいな顔をして僕を見た。

 何を言ってもどうせわからないだろうという、そんな顔を。


「勘違いしないでほしいのは、私たちは人類の死をもてあそんでいるわけじゃない。見守って、できる限り多くの人たちに幸福でいてほしいために存在しているの。だけど君の世界では誰かが死ななければいけない。それが世の理というもの。それは誰にも変えれない絶対的なモノ」

「そんなもの……姉さんを殺したっていう理由になっていないだろ!」


「それでも、その結果として、君の妹は姉の臓器を移植できて今でも生きているでしょう?

 姉が死に、何かに集中したかったから、君は一念発起して勉学にはげみ、地域で一番の学校を受験し、合格できたでしょう?

 今まで無気力で、何にも打ち込んでこなかった君が。自分でも、それはわかっているでしょう?

 なにより、姉を殺した相手方の賠償金で、自分の家に余裕ができたでしょう?

 それで君の父親が社長を務めている製薬会社も倒産の危機には陥らずに、新しい薬を作るための研究を行える。

 それが多くの病を患っている人々のためになる。

 本当なら社長の妹である、君の叔母がその役目を継ぐはずだったのだけどね」


 意味を、分かりたくなかった。

 理解を、したくなかった。

 その現実を、事実を、認めたくなかった。


「姉さんが死ぬ必要は……」

「それが一番穏便に済むやり方だったからそうしたまでよ。君や妹の死ではだめだったという未来がこちらには見えていたの。父親と母親、どちらか片方でもダメだった。

 君の家族の誰かの死が必要だった。それはもうこちらでは変えようがなかったこと。それがどうしてかはまだこちらも調査が終わっていないけどね。


 わかる?

 君がいた世界では毎日どれくらいの人間が死んでいるのか?

 不慮の事故なんてものはどうして起きてると思う?

 いくつかはイレギュラーなものもあるけど、すべてが偶然の事故だなんて思う?

 それらすべては、今を生きている人間たちのため。この世界を成り立たせるのに必要なこと。そうしないと世界が崩壊してしまうの。君にそれが想像できるかはわからないけど。


 自分の身近にいる人間だけは死んでほしくないなんて、子供じみた欲求で、わがままを貫き通していいわけじゃないの」


 何一つ、言い返せなかった。唇をかみしめて、ただその言葉をじっと聞いていた。



「私たちの主な役目は人々の運命の調整。

 この世界にはバランスというものがあるの。この世界の安定のための、決して崩してはいけない約束事として。

 私たちのこの仕事はそのバランスの調和のために動いていたの。

 だけど君が死んだ日。

 あの日は運命が大きく私たちのレールから外れてしまった」


 僕のことなんか気にしないといった感じに話は進んでいく。さっきまで泣いていた少女は下を向いて、今は申し訳なさそうにうじうじしている。


「ねえ、ちょっと。聞いてる?」

「ああ、ちゃんと頭に入ってるよ。僕が死んだのは予想外だったってことだろ」


「そう。君の死はどうにも不可解。唐突に運命の所が書き換えられた」

「運命の書って?」

「文字通りの物と思ってくれたらいい。

 とにかく、私たちでは対処できなかった。

 あの時、君が死んだとき。私たちの知らない力が働いていた。君の死がどんな影響を及ぼすのか私たちでもまだ把握できていない」


 そいつは頭を掻きむしりながら溜息をついて、また僕の周りをぐるぐる歩き出した。僕を気にせず、自分に問いかけているって感じに。


「あの時、君の運命の書は何度も何度も……、書き換えられていた。メルが何度も救済の道へと進ませようとしても、どうしてもうまくいかなかった。こんなことは聞いたことがない。前代未聞。

 何万人の運命が一度に書き換えられたことはあってもこちらが修正すればそれは済んだことになるはず。私たちの時間が足りないということもあるけれど、今回の場合は私たちの力が全く及ばなかった。

 おそらく……いえ、絶対に私たちよりも上の方の力が働いている。単なる人間の仕業なんかじゃない。

 人間にできるはずがない。

 ……。


 最後の方はメルに頼られたから私も加勢したのだけど、全く無力だった。たった一人の人間の運命を私たちは変えられなかったの。あり得ない。

 大統領だとか、戦地の最前線にいるだとかの特殊な状況ではなかったのに」


 ぶつぶつと同じような言葉をその後も繰り返している。


「なあ、つまりどういうことだよ」

 辛抱しんぼうできずに問いただした。


「つまり、ね。

 君の運命は私たちが想定していた道から大きくそれてしまった。それはおそらく、誰かが、運命をいじったからだと思う」

「誰かって……、君たちの仲間が?」

「いいえ、それはない。断言できる。だって何の得がないもの。それに私たちの勢力以外で人の運命に干渉できる存在なんて……」

 そこから先はうまく聞き取れなかった。僕や横にいる少女に向かってではなくずっと自分に向かって、また、独り言を言っている感じだ。


 そしてその女は、僕の方を、上から下までじろじろ見ている。

「だからね、この子が。メルが君に直接語り掛けて謝りたいという許可は私が出したの。

 どっちみち私も君に直接問いただしてみたかったから。

 普通は肉体が死んでしまった人間をこの場に、しかも記憶も何もかもをそのままにしておくなんてないんだからね」


 女は両手を広げてこの何もない、白い世界を見せつけている。


「それで、質問。君の身近にいる人で変わった人はいなかった?

 例えば、いやに要領がいいとか、不自然な程に優秀な奴とか、身体能力がずば抜けている奴とか。

 まるで人生2回目みたいなやつとかさ」

「いきなりそんなことを言われても……」


 何も思い当たるふしは無かった。

 家族も友人も、身の回りにいた人たちに、怪しいと思うやつは見当たらなかった。




 突然、前振りもなしに、目の前の二人が何もない天井を見あげた。「ガバッ」と音を立てて。

 そのまま目をぱちぱちと、何回もまばたきをしている。

 何かの儀式なのか?


 まるでホラー映画のような光景だ。




 その後、二人は口を開いた。

「なるほどね。メルもいいんでしょ?」

「うん。大丈夫、頑張る。今度こそ……失敗しないから」


「新しく指令が届いたの」

 バルクが僕に近づきそう言った。


「君の死の調査を私とメル。そして君の3人でするようにって。

 ま、そういうことだから」


「え?」


「つまり私たちであなたが住んでいた世界に行ったり、こっちの世界に来たりして、あなたの死の因果を調べるの」

 メルという少女が、付け加えるように言ってもよくわからなかった。


「僕が住んでいた世界に帰れるの?」

「一時的にね。でも期待しないで。

 君の家族に君自身がその姿で会うわけにはいかない。話もさせない。それは私たちでやる。君はあくまで私たちの補助。

一時的に生き返らせて、一時的に現世に戻す。ただそれだけの事よ。君を元通りの生活に戻すわけじゃない」


 それでも嬉しかった。遠目でもいい。家族を見たかった。

 本当は親不孝者の僕のことを謝りたかったが、それはどうにかしてこの二人の目を盗んでできないか……、考えてみるか。


「でも、その……、どうやって?

 僕は今、何というか、魂だけの存在みたいなものなんだろう?

 新しく別人の体にでも生まれ変わるのか?赤ん坊からやり直すのか?」


「君はもう生まれ変わっているようなものよ。

 話を聞くために新しい肉体、というより前と同じもの、服もそう。それをそのまま君に与えたの。

 命をそのままに別の外見をした肉体を与えたら、拒絶反応が起きちゃうもの。

 一つ教えておくと、ただの命。そのままむき出しには、話しかけても何もできない。


 だから、君はもう、すでに、この異世界に転生しているのよ。こちら側の世界に。

 そしていまから、君は帰るの、自分の暮らしていた世界に。これは特例。謎を解き明かさなきゃいけないしね。


 あ、そうそうだからといって何もしないわけではないよ。

 最近君以外にも、妙なことが起きていて私たちも手が足りてないの。だから君の死について探るのと並行して私たちの仕事も手伝って。その許可をいま貰ったところだから。


 もう、君は私たちハーモニーの一員よ。それに今、色々と特殊能力を与えた。現世は君の死後60時間が経っている。混乱を起こさないように、顔とかはそのままだから帽子をかぶったり、日本だからマスクをしていたらいいわね。

 ちょうどいい。


 さ、帰るのよ。そしてすべてが終わったらまたここに戻ってきてもらうけどね。君は生き返ったわけじゃない、ただの命の仮止め。

 

 え? 見返り?

 そんなものはないわ。


 でも、君も自分の死の真相を知りたいでしょ?

 それにどうして君の家族の中で誰かが死ななければいけなかったのか、突き止めなくていいの?

 もしかしたらまた誰かが死んでしまうかも。君みたいに私たちでさえわからない謎の力によって。


 納得した、みたいな顔してるわね」


 図星だ。

 何も言えずにただその話を聞き入れるしかなかった。




「ねえ世渡せと。これからはそう呼ぶけど。いいでしょわざわざ名前を呼ばなくて苗字みょうじで」

「かまわないさ。普通に呼ばれてたことだ」

「そう、じゃあ行きましょう。セト、メル。

 これを解決しなければいけない世界の危機の、その可能性の一つよ。急いで支度したくをしましょう」


「あ、そうそう」

 一つ忘れてたとバルクが言い出した。


「今から準備しに行くこの世界、人間界の裏にある私たちの暮らしている世界は、わりと似たようなものよ。

 ただ機械文明っていう形ではないけれど。

 その代わりに……そうね、魔法と言えばわかりやすいかな。そういうもので私たちの文明は成り立っているの。

 この白い異空間も魔法で作った私たち3人だけの世界。君を色々と見定めようと思って作っておいたものなの


 こんなところが人間の創造する天国でも地獄でもないからね。

 一応、言っておく。とりあえずの説明はこれくらいかな」



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かつての理想郷へ みなほしとおる @peat_spica

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