第 拾参 輪【聞いていないけども聞いたことにします】

 温泉の効能なのか昨晩はぐっすりと眠れた翌日の早朝。


 少しだけ名残惜しいながらも宿を後にした桜香達。


 目的地である百日草ひゃくちにちそうへと向かっていた。


「肌もお腹も張りがあって幸せだ。おまけに入浴用の桃も大量に貰っちゃったしさ。これ、止められない止まらない感じで美味しいんだよね~」


「もうあまり食べないで下さいね? 虫歯になってしまうです。と言うか、そもそも食べる用ではないのですが……はぁ」


 能天気なのか天然なのか、桜香の食いしん坊ぶりにため息を吐いた。


 状況が分かっている素振りもなく、複雑で悩ましい気持ちになる。


 当の本人には不安の種など露知らず、お腹を太鼓に見立てて両手で交互に叩く。


「平気、平気。食べ過ぎで壊さない程度にするからさ」


「そう言うことではなく!! と、取り敢えず清くえりを正しましょう。〝百日草ひゃくちにちそう〟は目と鼻の先なんですから」


「ふぁ~い。怖い顔してると早くけちゃうよ?」


「んもぅ、桜香様よりも一つしか違いがありません!!」


「はははっ、むきになってる~。楓美ちゃんてお姉ちゃんみたいに世話焼きだよね」


 幼子のように悪気無く笑う桜香に、母のように頭を悩ませ困る楓美。


 それこそ片や薄い桃色に、もう一方は真っ赤に頬を染め上げていた。


 しばらく歩いたところで昨晩の食事の話になる。


「まさか静恵しずゑさんから貰った御饅頭おまんじゅうだけで、本当にお米五杯も食べちゃうなんて驚きました」


「お米はおかずにもなる万能な食べ物だからね! 固めのお米に柔らかめのお米を掛けてもお米を食べれちゃう位好きだよ!!」


 思い出しただけでよだれが出たのか、振り袖で口元を拭う桜香。


 まだまだ成長期は止まることを知らないようだ。


(あ、忘れてたけど珍しく七ちゃん静かだったなぁ。この巾着袋よっぽど居心地が良いのかな? まだ寝てるみたいだしこのままにしておこう)


 時折、和柄の巾着袋を気に掛けて撫でる仕草が見受けられた。


 その光景を不思議に思いながらも、楓美は楽しく会話を続ける。


「おまけに配膳された物も綺麗に平らげて、挙げ句の果てには御代わりまでしたものですから、おば様の仲居さんが腰抜かしてましたです」


「へへへっ、褒めたって何も出ませんよ~。私ってこう見えても育ち盛りですから」


 誰が見ても分かりやすく照れるが、視線を横へ向けた際に現実へと戻された。


 楓美の育ちの良い全身を見回した桜香は、目の前で握り拳を強く固めた。


「みっ見てろ、数年後には勝ってやるもん!!」


「ええっ、何がですか!?」


 桜香は勝手に楓美を意識して対抗心を燃やす。


 そんな面白おかしいやり取りが幾度も続いた。


 宿を出てから十数分で目的地である百日草は、もう目と鼻の先まで差し迫る。


 活気に溢れている商店街を抜け、人の気配がまばらになってきた頃。


 目の前には頂上の見えない長い長い石階段と、両脇には見上げる程に高く群生する木々が姿を現した。


「うわ~こうして近くに来たら上何て全然見えないや。楓美ちゃん。ここって食堂とかお土産屋さんとかあるかな?」


「流石にそれは無いんじゃないですか? 辺りから良い香りはしますけど」


 今は緊張感よりも好奇心が勝っていた。

 それこそ、周りの事柄が気にならないくらいに。

 

「お~い、そこの~立ち止まりなさい!」


 何やら後方から男の低い声が聞こえた気がした。


 しかし、二人は親子ですら無いので聞く耳を持たずに着々と上っていく。


「誰かを呼んでるみたいだね楓美ちゃん。私、喉渇いたなぁ」


「そうですね。うち達ではないのは確かです。あ、小休憩しますか?」


 ほのぼのとした空気感でいると再び声がした、


「こらー! いい加減止まりなさ~い!!」


「「ん?」」


 進むこと五十歩ほどのところでようやく気が付いた。


 互いの距離は顔が認識できないほど遠く、声を張ってやっと聞こえるくらいに離れている。


「あの~どうしましたか~!?」


「こ・こ・は・百・日・草~」


「知ってま~す!! わざわざありがとうございます」


 桜香と楓美は大手を振り軽く会釈をすると再び階段を上っていく。


『案内人も居るなんて親切な所だね~』


『ですね~』


 そんな会話を交わせていると、溜めに溜めた強い怒号が飛び交う。 


「だ・か・ら。まずは資格を示しなさい~!!」


(今、何て言ったの?)


 ようやく届いた言葉を受け取った桜香。

 歩みを止めると疑問符が頭に浮かぶ。

 分からないことは隣にいる楓美に確認する。


「私さ、かた……か、硬い麺棒と巾着しか持ってないんだけど資格とは如何いかに?」


「はい。確かこの様に現役又は引退した花の守り人。しかも位は〝蕾〟以上から、直筆の推薦状すいせんじょうを貰わないといけません。うちのはこれです」


 胸元から取り出したのは筆文字で書かれた一枚の手紙。


 桜香は目を丸くして固唾かたずを飲む。


(うん、全っ然読めないや。嬉しくて踊る鰻みたいな字)


 内容は分からずとも今現在、手元に無いのは明らかだった。


「本物だ。おまけに拇印まで押してある。これ、私もいるよね? 絶対に必要だよね? もしかしてのもしかして、入れなかったりするのかな……」


「んっと、これはどちら様から?」


「そうですねぇ。不思議な格好の方でした。水面色の深編笠ふかあみがさを被った方で一人はあの――」


 話を聞き終えること無く、みるみるうちに青白くなっていく桜香の顔色。


 冷や汗が滝のように流れるのを目の当たりにしても尚、笑顔で明るく振る舞う楓美だった。


「でも、きっと大丈夫です。桜香様は食堂の担当なのでいらないかと思いますです!! これで一安心!」


「違うよ。本当に私が成りたいのは――」


 眩しいほどの屈託の無い笑顔は今の心情には正直言って〝毒〟その物。


 もう駄目かと思い肩を落としていたら、聞き覚えのある鳴き声が空からした。


「チュイ……チュイ……チュイ……」


 それは微かな音も無く、ましてや風も起こらず、流れに身を任せた故の出来事。


 瞬間、男の声が張りのある物へと変化した。


「御勤め御苦労様です國酉様!! 只今、怪しい者達を引き留めていました!」


 諦めるしか他にない絶望へ落とされた直後。


 名を呼ぶ一言によって希望の流れがやってくる。


 姿は見えず声も聞こえずとも、心落ち着く安堵は計り知れない。


「え、國酉こくゆうさん? ってことは藏芽くらめちゃんもいたりする?」


「もっ、もしかして。〝花鳥風月〟の方とお知り合いなんですか!?」


「うん、ちょっとだけね。前に助けてくれた人で、ここに来れたのも國酉さんのおかげなんだ」


 数少ない知り合いに会えて妙な嬉しさに包まれる。


 おとぼけてはいるが、陽気な性格で優しさと思い遣りに溢れた人柄。


 きっと、力になってくれると直感が告げていた。


(内容は聞こえないけど掛け合ってくれてるみたい。一期一会の出会いに感謝だね)


 ふと、何かに気付いて互いに顔を見合わす。


「ってことは――」


「「推薦状だ推薦状です!!」」


「でもでもでも、そんな簡単にいきますかね?」


「たっ、多分……」


 恐る恐る結果に耳を澄ませ立ち止まる二人。


 桜香は七ちゃんが入っている巾着を抱き締め、深呼吸して落ち着いている様子。


 楓美はまるで自分のことのように、心臓の鼓動が大音量で辺りに響いてないか心配になる。


 唇も渇いて一抹の不安いちまつのふあんに駆られること数分後――


何だか優しい笑い声が聞こえ下を覗くと合図を送っているようだった。


「あっ、桜香様見て下さい」


「指を奥に差してるよ! もしかして行って良しってことかな?」


「恐らく。嫌、間違いなくそうです! 自信を持って行きましょうよ!」


「やった~!!」


「もう、また吐きそうになりましたです!!」


 木漏れ日差す穴空きの箇所を踏み締め、迷いの無い爽やかな表情の御団子頭をした桜髪。


 新緑色に染まり七つに別れた髪の束が、木々を揺らす風に吹かれて仄かに馴染む。


 まるで元々こうした風景画のように、周囲と一体化し溶け込み混ざり合い調和する。


 その後ろ姿は中々どうしてさまになっていた。




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