第 肆拾陸 輪【いつの日か託され託す思い】


 浜悠の笑顔がまるで解ける筈のない呪いにかかったように、脳内で鮮明な映像として再生された。


『平穏を獲るために人を助け、己が欲のために乱す魔を斬る――それが私達〝花の守り人〟なの! 帯刀してるからって、危ない輩と勘違いしないでよね?』


『しー……。。私の手の中に。でも、残念だけど見せないよ?』


『ふふふっ……。私さ、あなたと一緒だと心が落ち着いて、自然体の自分を表せられるんだ。これが、普通の女の子になった気分かな?』


 その〝夢〟も〝理想〟も、今となっては、文字通り〝絵空事〟で終わってしまった。


 例えがたい胸の苦しみに反して、幾多の思い出が涙と共に溢れてきた。


 自ら命を断つ選択をした今、面と向かって話すことさえ許されない。


 けれども、記憶の中の彼女はまゆうは変わらず寄り添ってくる。


「……」


 手の届くところまで近付くと、綺麗な姿が醜く上書きされ胸を指し示すとこう言うのだ。


『――私を必ず殺して』


(そんなの……出来る筈がないだろ) 


 浜悠の変わり果てた姿が 脳裏に焼き付き、吐き気と嗚咽おえつが止まらなかった。


「浜悠、どうしでだよぉ!!  ぢぐじょう……ぢぐじょぅ……うぅっ……」


 少しでも紛らわそうと額や拳を何度も地へ叩きつけ、流血し感覚が無くなるまで無心で行った。


 どうして誰も〝心〟の痛みに気づいてやれなかったのか?


 どうして誰も〝嘘〟に気づいてやれなかったのか?


 どうして。どうして。どうして――


「わ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ただ壊れゆく自我を保つためには、餓えた獣のように喉が潰れるほど叫び続けるしかなかった。


 人を想う気持ちが枯れた先にあるのは、決して埋めることの出来ない――


 。 


 やがて、時は無情にも過ぎて温かな何かが鬼灯を差す。


 咄嗟に瞳を閉じると無意識に手でさえぎった。


「うっ……」


 と低く呟き、朧気な頭でようやく理解する。


 今の時刻は長い長い夜を越え、いつの間にか明朝を迎えていということに。


 命宿すものなら誰にでも平等にやってくるべきものが五感を刺激した。


 森を吹き抜け優しく頬を撫でる微風そよかぜ

 太陽を中心に放射状へと広がる朝焼け雲。

 起床した小動物達が餌を求めて地や空を自由に駆ける。


 鬼灯は、誰もが日常的に拝むことの出来る権利を持ち。

 籠の中の鳥のように現状で満足しては、到底見れない景色を目の当たりにしていた。


「はははっ……こりゃぁ、たまげた。今まで見た何処よりも、綺麗じゃねぇかよ……」


 力が抜け膝から崩れ落ち、涙で滲んだ視界をも幻想的にする一部となっていた。


 全ては悪い夢――そう、


 しかし、辺りを力無く歩くと直ぐに現実へ連れ戻される。


 時間が経ち地面へ吸収されても尚、色濃く残り続ける血溜まりの跡。


 彩飾豊かな布地は破れ散り、所々に落下した血肉の付いた皮膚。


 それらを結び合わせ辿ると、あるのは気絶し横たわる弟と託された一本の刀。


 浜悠がここで戦った証でもあり、苦しみもがいたことを容易に想像させた。


「青葉君、帰ろうか?家へ――」


 半ば抜け殻のようになりながらも、いまだに気絶をしている青葉と共に祖父の待つ家へと向かう。


 子供とはいえ人を抱きながらの道のりは、想像よりも数段と苦しい物となる。


 時折、休憩を挟みつつ眼を閉じることもあり、無防備の状態も多々。


 それでも植魔虫と対敵することは一度もなかった。


 到着する頃には多少の傷等が数ヶ所あれど、呼吸もあり何より大事な命がある。


 崖から出発して幾時間も掛けた頃には、いつの間にか頭上に陽が上っていた。


 鬼灯が意識朦朧とする中で玄関扉を無我夢中で叩きつける。


「あの……すみま……せん」


 何度も何度も繰り返しているうちに、家の奥から駆け出す音が耳へと届いた。


 やがて、扉一枚隔てたところで止まり金属音を鳴らして鍵が開く。


 開いた先には浜悠達の祖父の姿があり、孫娘が所持していた刀を一目見て直ぐに悟った。


万年青はまゆうが死んだ〟〟と言う事実を――


 祖父は感傷的にならぬよう咄嗟に振り返ると背中越しに言葉を口にする。


「旅の方や。今日はもう、充分に疲れたんじゃないか? さぁさ奥の部屋で休むといい。青葉そのこも重かろうに……」


 鬼灯は何も言い返せずに軽く会釈だけすると、青葉を抱えながら静かに玄関を通った。


 目の前にある腰の曲がった老人は、鼻をすする音と共に小刻みに震えていたからだ。


 そこから先の記憶はとても曖昧で、衝撃的な事柄の連続が鬼灯を襲う。


 眼を覚ました青葉に詰められ、逃げるようにその場を後にした。


 後日――浜悠が落ちたとされる崖下では、全身を脱力した状態で頭上程の高さで見つかる。


 頭から爪先まで目立った肉体の欠損は無く、〝死体〟とは言えないほど綺麗なものだった。


 目を見張るものが有るとするならば、地から生えた得体の知れない触手が腹部を貫通していたこと。


 それらはうごめき、絡まり合い、愛撫あいぶするかのように奇妙な動作を繰り返している。


 周囲の草木が徐々に枯れていることから、どうやら栄養を吸いとっていると気付く。


 一見して新たな〝生命の誕生〟を連想させ、混沌とした雰囲気に魅了されていた鬼灯。


「本当に……本当にごめん。俺はもう一度だけ、君と他愛もない話をしたかっただけなんだ」


 浜悠の忠告を無視し万に一つの〝奇跡〟を信じて、その時が来るのを待ち続ける日々を過ごす中。


 晴天もあれば荒天があるように、雨の日も風の日も飯さえも食わぬことさえしばしば。


 出産を待ちわびる母のように返答がなくとも、話し掛けては小さな動きを観察をしていた。


「今日も駄目そうだな。そろそろ起きてもらわないと……この場所の緑が無くなっちまうな」


 「はははっ」と乾いた笑い声を上げた。


 困り顔で呟いた溜め息交じりの一言は、我が子を見守る母のように


 今までとは明らかに違う異変が起こったのは、浜悠が死亡してから二十一日。


 発見してから二十日が過ぎ、湿った空気が漂う夏の夜が更けた頃。


 心配して小突いたりもしたが、全くもって微動だにしなくなったのだ。


「君にさえ俺が見えれば、生きてさえいれば、またやり直せるから。頼む、また側に居てくれないか?」


 冷たくなった触手に額を合わせ、祈り続け功を成した。


 結論からして鬼灯の願いは叶ったのだ。


 激しい痙攣けいれんうめき声を経て、人の殻を破り捨てた。


 浜悠ではない――。


 ゆっくりと地へ降り立つ〝それ〟は、産まれたままの姿をしていた。


 驚きもありつつ、自身のしてしまった後悔よりも好奇心がまさってしまった。


 だって、もう一度生きて会えたのだから。


「浜……悠……なのか?」


 名を呼んだ。抱き締めた。泣き喚いた。

 場所も構わずに、大きく、強く、枯れるほどに。


 しかし、それらに対して一切の返答はない。


 凝り固まった体を充分にほぐすように、人の可動域を無視して骨を鳴らす。


 そして、耳元で告げられた。


 待ち続けた彼女とは〝異なる名〟……〝薊馬アザミウマ〟――と。


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