第 肆拾伍 輪【私はあなたをいつまでも信じています】

(初めてで上手くいったかは分からないけど……。いつか伝わるといい……な――)


 直後、全身の力が抜けそのまま倒れてしまう。原因は限りある生命力を刀へ宿したからだった。


 地を這いながらそれでも諦めない浜悠は、刀を杖のように両手で握り締め突き立てる。


 左右へ揺れながらも覚束無おぼつかない足取りで、眠りにつく青葉へと近付いていった。


 側に着くと崩れる体勢で地に膝をつけ、吹き付ける吐息が汗ばった髪を揺らす。


 一言も声を口にすることなく、癖の強い無造作な頭を優しく撫でた。


 幼き頃に父がそうしてくれたように、母がそうしてくれたように、次は自身が与える番だ。


 寝ているときは見えなかった両親の表情も、今ならその時の気持ちもほんの少しだけ理解出来た浜悠。


(本当に大きくなったね。これからの成長が直接見れないのは辛いけど……あなたの姉で誇らしかったよ?)


 青葉にはここまで来る道中に駆け回った証――所々に小さな擦り傷や泥汚れが見受けられる。


(暗い中で一人いっぱい頑張ったんだね……偉い偉い。いつの間にか頼もしくなったんだね? でも、あまり無理はしてほしくないかな)


 愛しそうに微笑みかけては、何処か寂しそうな表情を浮かべた。


 おもむろに羽織を脱ぎ肌寒そうな青葉へ掛け、嘘みたいに熟睡した寝顔を見て安心する。


 そして、己の〝魂〟とも呼べる刀を静かに横へ置く。


 浜悠にとっては命と同等であり、片時も肌身離さず大切に扱ってきた代物。


 花の守り人の基礎知識である、持ち主以外に扱えないのは百も承知。


 それでも御守り代わりに『心は直ぐ側にいるよ』と伝えるためだった。


 必死に抗う浜悠の意思に反して、体は不自然な痙攣けいれんを幾度も繰り返す。


(はぁはぁ……。もう駄目かな……思ったより時間がないや。そろそろ、お別れだね)


 息も絶え絶えになりながらも凛とした顔をして立ち上がり、言うことの聞かない手で握り拳を作る。


 感覚が無いせいか加減が分からずに血を流すも、意に介さず硬直する両足に強く叩きつける。


 生々しい鈍い音を辺りへと打ち鳴らし、自分の意思で歩みを無理矢理進める。


「ぃか……な……きゃ」


 浜悠から発せられた声は、静寂な夜の闇にさえ呑まれるほど、弱々しく今にでも消えそうな物だった。


 ふと、過去の言葉の羅列が断片的に脳裏をよぎる。


『たとえ……どんな姿になっても――。だって私は、あなたの……』


 まるでのように、思い出は無数の穴だらけになっていく。


え……なぃでょおぉ……」


 圧倒的虚無感に対して、堪らず頭を抱え訳も分からず流れる涙。


 だが、願えども願えども全てを思い出すことは叶わなかった。


 代わりに意識を簡単に刈り取られてしまうほどの、辛く苦しい症状が浜悠を襲う。


 頭痛、吐気、寒気、痙攣、倦怠感、嫌悪感、不快感、その他諸々。


「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っー!! ゔぅ゙っ……」


 虫酸が走る耐え難い苦しさで体中を掻きむしっては、到底声とは呼べない叫びを出す。


 頭皮は無惨にえぐれ、とうの生爪は剥がれ落ちる。


 無理矢理にも引き裂いた服は散り散りとなり、皮膚下に糸状の触手が這い廻っていた。


 簡単には治らない物でさえ、自傷した箇所だけは底の見えない再生を繰り返す。


 人へ寄生し食す〝植魔虫〟の再生力や能力は、宿主の生命力に大きく依存するためだ。


 故に単体では非力な植魔虫は、より強靭な肉体を欲する。


 若くして花の守り人となり生涯を捧げた彼女にとって、現在の姿はあまりにも凄惨で、報われない。


 そして誰かに仕組まれたように現実は残酷だった。


(あれ、私……。いま、何してるんだっけ。手が、足が、動かしてる感覚も分からないや。あっそうだ、今日も月が綺麗だ――)


 記憶が曖昧になり悶え苦しんだとしても、体を突き動かすのはがあってからこそ。


 硬直する鬼灯との通り過ぎざまに、混濁こんだくした声色で口を開いた。


「もう大丈夫ダイジョウブだから。青葉アオバを……ワタシオトウト……を、ムラまで……ツレれていってあげて」


「おい、いきなり訳のわからないことを言うんじゃねぇよ!」


 鬼灯は怒声を発しながら肩を強く掴むと、無我夢中で力任せに引き寄せた。


 その拍子で乱れた髪の隙間から僅かに見える顔があらわとなる。


 あまりの変貌ぶりに月明かりも手伝い、思わず呼吸を忘れてしまうほどに驚愕した。


「何だよ……それっ……!!」


 どう足掻いても適切な言葉が見付からず、思わず喉に詰まってしまう。

 

 鬼灯は吐気を催す嫌悪感や不快感で、いまだかつて味わったことのないほどに震えていた。


 透き通っていた白色の瞳は寄生による変色で醜くよどんでいる。


 年相応のけがれのなかった肌は、幾多もの触手が内側から根を張り変わり果てた姿に。


「もう、かなきゃいけないの。時間ジカンがないから」


 冷酷な口調で手を無下に払い突き放す浜悠。

 その後ろ姿に鬼灯はありったけの思いを叫んだ。


「まだ……まだ間に合うだろ!? 花の守り人の特殊な〝刀〟って奴は、植魔虫に有効なんだろ!? まっまだ助かるかも知れねぇじゃんか!!」


 二人の距離は簡単に追い付けるのにも関わらず、口だけが先行しても体はどうしても動けなかった。


 すると浜悠は首を横に振り、時折言葉を詰まらせながら口を開いた。


「それは……駄目ダメなこと。やってはいけない、最悪サイアクなこと。いま一番イチバンやっちゃいけないのは……


「それに……約束ヤクソク約束ヤクソクだから。……ゔぅ゙っ」


 「俺は君みたいに強くあれない……。いつだって、守られる側なんだよ! そんな人間に託すんじゃねぇよ! 生きて、生き抜いて……俺は君と一緒にいたいんだ!」


 涙する鬼灯を見かねてか自らの髪止めを外し、震える体を抑えながら鬼灯に手渡した。


 想像を逸した耐え難いほどの激痛を受けている筈なのに。

 大切な人の前で醜い姿を晒すのは、何よりも苦痛な筈なのに。

 胸に秘めているやり残したことが沢山あった筈なのに。


 自分が自分ではなくなる瞬間まで、浜悠は〝らしさ〟を絶やさなかった。


『いい加減カゲンアキめなさい。ジキ意識イシキくなる。これはワタシだけのカラダになるのよ』


(えぇ、そうかもね。この命は、あんたにくれてやる。だけど……何でも思い通りになると思わないでよね)


 低いうめき声を上げながらも、最後まで抗うことを止めなかった。


「もしつけても……ぐにヒトんで……。躊躇タメラわないでワタシを……カナラず――コロして!!」


 そう言い残すと最後の力を振り絞って、勢い良く崖の先端へと向かう。


 何かを察して咄嗟に駆け出した鬼灯。

 しかし、追い付くことは出来なかった。


 浜悠は小さく手を振って背中からゆっくりと、崖下へ向かい真っ逆さまに飛び降りていった。


 刹那――限られた時の中で互いに目が合う。


 その瞳に映ったのは、いつもと変わらぬ表情で微笑む浜悠。


 もはや二人の間に明確な言葉は必要としなかった。


『私の髪留め大事にしてね。一番のお気に入りだからさ。鬼灯君は顔が良いんだから絶対似合うと思うよ? それとね、恥ずかしくていままで言えなかったんだけど……あの時、出会ってくれてありがとう。だって――』


 自らの危険を省みずに手を伸ばす鬼灯は、寸前のところで浜悠の指へ僅かに触れた。


(俺は君を絶対に助けるんだ!!)


 しかし、その想いが叶うことはなく握り返してはくれなかった。


 虚空こくうを掴み絶望を引き寄せ、形として残らない僅かな温もりを手にした。


「うわあぁぁぁぁぁっ!!!」


 己の不甲斐なさにやり場のない雄叫びを上げる鬼灯。


 自身のことを嘆く叫びを耳にしても驚くほど冷静な浜悠。


 精神力の限界が近付き、意識が途絶える寸前。今際いまわきわに鬼灯を思う。


(短い間だったけど、あなたと居れた日々はとても楽しかったよ。今は頼る人がいないから村の人や青葉をよろしくね。いつか、――さようなら、私が愛した人)


 数秒後、肉塊が破裂した音が辺りへと鳴り響き、眠る小動物達がざわめき始めた。


 それは、一つの命が終わりを告げる〝別れの便り〟だった。

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