第 参拾陸 輪【闇夜に溶け込む冷酷な判断】

 祖父の帰宅を待たずして、突然姿を消した浜悠。


 現在の位置は、夕暮れで黄赤色に染まる森の中。

 音や自然被害を最小限に留める〝舞落ぶらく〟を使い、自身が出せる最高速度で疾走していた。


 地面から見上げる程にある枝々の間を跳び、髪はなびき羽織が風を切る。


 人灯ひとあかりが点々とある見えづらい中で、とても正確に移動していた。


 下方を覗く視線の先には、追跡を振り払おうと縦横無尽に動く人影が1つ。


 葉が視界を遮り断続的に見えていたが、追い詰め過ぎず離れずの距離感を保つ浜悠。


 じっくりと観察する余裕もあり、細かな癖や体格だけで大まかな分析をしていた。


(へ~、いつ襲ってくるか分からない〝植魔虫〟に臆せずいる何て、ここら辺の人間じゃない事は確かだね。顔は隠れて見えないけど、歳も若くて体力もある男って所かな) 


 尾行されていた最初から今まで、危害を加える動作もなく、花の守り人の証である〝刀〟も背負っていない。


 溢れ出る疑問に次ぐ疑問は、より一層に深まるばかりだった。


「そう言えば、村の人以外をここで見るのは初めてだね。私の追っかけだったりして……何ちゃって!」


 口上手に呑気な事を言っている時は、大抵……


 ほんの少しだけ瞬きをした隙に、自らへ投げられた物の判断が遅れた。


 それが、目と鼻の先と同じ高さになった瞬間――


 一寸先も視認出来ないほどの白煙と爆音を撒き散らし弾けた。


(うっ、これは……!)


 肺に異物を吸わせないため、咄嗟に口元を袖で覆い隠す。


 視界からの瞬時に情報は無となり、進行方向とは逆へ飛び退く。


 ぼやけて歪む視界、甲高い響きの耳鳴り。

 加えて強烈な香料による場所特定への撹乱かくらん


 その1つ1つが浜悠の五感を狂わせる。


 不意討ちされた数秒程でも、一瞬と満たない〝虚〟に付け込まれてしまったのだ。


「しまった、完全に油断していた……」


 蹌踉よろけた拍子に木の幹に腕を置き、〝不注意と慢心〟を悔いて溜め息を吐く。


「はぁ。先ずは冷静になろう。私なら出来るから、落ち着いて行こう」


 乱れた思考を整えるのに必要なのは、〝体勢の再構築〟と〝最適解の把握〟。


 ――時にして十数秒弱を有した。


 これは常人や花の守り人の中で、早い立ち上がりにも関わらず、男の姿を見失ってしまう。


「昔、祖父じじが言ってたっけ? 〝人を隠すなら陽が落ちる森の中。影を溶かし音を殺すからだ〟。闇に紛れるって、この事……か。まんまとしてやられた訳ね」


 再び気合いの灯火を点けるため、風に当てられ冷たくなった頬を数度叩き声を張る。


「身のこなしといい〝逃げ慣れてる〟って、褒めればいいのかな。素直に凄い凄い。ん~、久し振りに


 そう意気込みながら眼を閉じ、腰を落としてかなり低い姿勢で構える。


 深く穏やかな呼吸を繰り返し――ゆっくりと白光が宿る瞳をあらわにする。


「行くよ」


 木々を揺らすことなく、葉を落とす事なく、音も出さずに場から消えた。



 追跡を撒いてから幾時間が過ぎ、男は息も絶え絶えになりながら木を背に隠れる。


 眼をらしながら覗き込み、注意深く辺りを見回す。


 張り詰めた緊張の糸が切れたのか、口元まであった布地をずらして笑みを浮かべる。


「はぁはぁ…。追ってきたみたいだが、後方も上方もいないな。はははっ、俺の巧みなる逃走技術で撒いてやっ――」


 安堵の笑いと自身へのおごりは、有ってはならない一瞬の隙を生む。


「凄~く、ご機嫌なところ悪いんだけどさ。私、追い掛けられるのは好きじゃないんだよね。貴方、一体誰なの?」


 木の裏から息を切らさぬ浜悠が話し掛ける。

 しかし、返答も弁解もその耳には届かない。


 何故なら喉元に当てられた鞘が、深く喉元に突き刺さり体を浮かしているからだ。


 代わりに苦痛でもだえる声だけが、闇夜の森へ溶け込む様に響き渡る。


「ぐっ……苦しっ……離――」


 四肢を振り回し暴れても、自身が知る女子供の力じゃない。


 呼吸困難になり真っ青な顔をしていたが、とてもじゃないが逃げれなかった。


 抵抗虚しく徐々に締め上げられながらも、〝答え〟が出るまで質問を繰り返す浜悠。


「ねぇ、私の〝話〟を一字一句ちゃんと理解できる? 貴方は一体〝誰〟で、目的は〝何〟で、どうして〝私〟を付け回したの?」


 意識を失い掛けながらも、淡々と繰り返される言葉の羅列。


 この時、男は悟った――止めどなく沸き立つ冷や汗は、時として〝死〟を連想させる……と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る