第 肆拾参 輪【姉として花の守り人としての決断】

 寒空に冷やされた鮮血は太腿ふとももを通り過ぎ、ゆっくりと乾いた地を濡らした。


……!!」


 今までにない激痛に耐えながら浅い呼吸を繰り返す浜悠。


 手を静かに抜き去られると、抑えた部位は肉がえぐれ深く陥没していた。


 頭では冷静に状況を理解しつつも、刀を地面へ突き立て膝から崩れ落ちる。


「間に……合わなかっ……た……。ごめんね……青……葉――」


 泡沫の如く現れる後悔の念が、脳裏に浮かんでは消えてゆく。


 浜悠とて、不測の事態を予想をしていなかった訳ではない。


 他人の不幸を全部纏めて、自分が背負えばどうにかなると思っていた。


 望んでいた理想像と現実では、くも越えられない差があるのか?。


 突然の出来事に最愛の弟の顔さえ見えないほど痛感させられる。


 鬼灯が自らの名を呼び、叫ぶ声すらその耳に届くことはなかった。


「今、お姉ちゃんが……助けてあげるから。もう少しだけ……待っててね?」


 振り絞られた言葉を紡ぐ度に、胸が圧迫され呼吸が辛くなっていく。


 次々と溢れでる自分自身の体液で、地上にいながら溺れそうな感覚に陥る。


 どうやら抜き手の際に、内臓系統を多少なりといじられていたようだ。


 羽織りの上から力強く抑えても、左手の指から吹き出る血は止まることを知らない。


 現時点では気力と精神力を、無理に磨り減らしながら意識を維持しているに過ぎない。


(早く治療をしないと体が保たない……。いや、そんなことよりも優先すべきは、


 しかし、必ずしも精神と肉体が連動しているとは限らない。


 最善の策を頭では分かっていても、人であるが故のかせが選択権を失くしているからだ。


 それでも、形振なりふり構っている余裕も考えている時間もなかった。


 下手に動けば傷口は開くばかりか、只一つの命を失いかねない。

 

 未知なる恐怖で震える右手は、筋肉を固めることで矯正させた。


 次に行うのは指先に全神経を集中させ、ありったけの力をつかに込めること。


「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!」


 握った拍子に爪が肉に深く食い込み、血飛沫ちしぶきをあげながら鈍い音が辺りへ鳴り響く。


 鞘に沿って赤黒く流れる血は、重力に従い数本の道筋を作った。


 日々の中で何百何千と行ったこと――呼吸を整え、刀を握り、正しく構え、振り切る。


 平常時では容易い動作でさえ、今の浜悠にとっては激痛を大きく伴っていた。


 けれども、そんな些細なことなど気にも止めず。

 両の足で力強く地を踏み、腹から声を張り続けた。


「立つ……んだ……。たとえ……どんなに格好悪い姿でも――誰かの希望で……あるために!!」


 自ら鼓舞する浜悠の背中を、亡き父と母が押してくれた気がした。


 時折、左右へよろめきながらも眼光鋭くひたすらに前だけを見つめ続けた。


 そして、背中に一本の芯が通っているかのように姿勢を正す。


 この時に激しく脈打つ鼓動とは相反して、見える世界がゆっくりと確かな時を刻む。


 鬼灯が来るまでのおよそ数十秒は、命を賭す覚悟を決めるには充分過ぎた。


「弟を解放してくれるかしら……


 浜悠の言う通り寄生にはそれぞれ種類がある。


 一時寄生〝産卵や食事のために一定期間寄生〟

 定留寄生〝同じ宿主へ生涯に一度のみ寄生〟

 異種寄生〝最終宿主へと至るまで、二種以上の宿主を必要とする〟


 何れも宿である。


 内部に浸入し脳を支配すること、即ち肉体の権限を完全に植魔虫へ移す行為。


 だが、青葉に寄生した個体はそれをしなかった。


 何故なら助かりようのない状態ならば、人質としての効力を失ってしまうからだ。


 事実、


 満天に散らばる星々が地上を照らし、月夜の風が静かに頬を撫でる。


 後頭部で束ねた白髪は、まるで意思を持った運命のように僅かに揺れ動く。


 時を同じくして、どちらかは悲しみを抱き、どちらかは微笑んでいた。


 寄生された青葉が、浜悠の口から流れ出る血を指でおもむろに拭う。


 それを我が子のように愛しく眺め。

 恍惚こうこつな表情で嗅ぎ。

 唇から僅かに出た舌先で舐め取り。

 目を閉じて咀嚼音そしゃくおんを聴く。


 飽きたかと思えば、まるで子供が遊ぶ玩具のように、嬉しそうな声を上げていた


「きゃっきゃっ」


 おもむろに両手で浜悠の頬を鷲掴み、不適な笑みと共に視線を合わせ口を開く。


 生まれてから何度も聞いた声は、何の悪びれもなくこうささやいた。


「ねぇ、1つだけ聞いても良い? どうして、この子が寄生されているのを?」


 質問の意図は至極単純――何故、命に手が届く距離にも関わらず自ら放棄したのか?。


 植魔虫は〝他〟よりも〝個〟を優先し、親、兄弟、異性、と言った血の繋がりに固執しない。


 目の前で〝障害となれば殺す〟特に理由等なくそれだけだった。


 産まれたいと思って産まれた訳ではなく、人を襲いたいと思って襲っているわけでもない。


 生きるために無意識下で選ばれる行為に、特別な意味などない。


 だが、この植魔虫は有象無象の他とは、少しだけ違った。


 目の前の人間が起こした到底理解が出来ない行動について問いたのだ。


 想定しえない思いがけぬ言葉に、自然と笑みが溢れる浜悠。


「ふふっ……何故かって? 知りたいなら教えてあげる」


 無知ゆえに首を傾げる姿すがたがあまりにも可笑しくて、腹を抱えて笑ってやりたい気分だった。


 絶望的な局面を前に気が狂った訳でも、ましてや打開策がある訳でもない。


 ――


 浜悠は口一杯に溜めた血の塊を地面へ吐き捨て、赤く染まった歯を剥き出しにして答えた。


「そんなの大切な家族だから……この命に代えても守りたいって思える存在だから――こう見えても私、優しくて……弟思いの格好良いお姉ちゃんだからさ!!」


 植魔虫はしばらく考え、淡々とした口調で冷たくあしらう。


「それもそうね。貴女が優しいのは。私もあまり〝宿主〟を傷物にしたくない。さぁ、早く始めましょう――」


 思いをありのまま力強く言った浜悠は、倒れ掛かるように青葉へ抱き付いた。


 もう1度だけ意識のある内に、抱き締めておきたかったからだ。


 数秒後、膝から崩れ落ち虫の息となった浜悠。


 顔を上げ最後に見た光景は、青葉の瞳から流れ出る大粒の――


『おいらはお姉ちゃんみたいな〝花の守り人〟になるんだ!!』


『青葉なら成れると信じてるし、私は姉として成らせないようにしたい』


 まるで発した言葉が、くさびとなって胸に突き刺さるようだった。


「ごめんね青葉。約束――守れそうにないや……」


 そう呟きゆっくりと瞳を閉じた。


 暗闇をうごめく幾多の触手が、無防備な浜悠を襲った。





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