第 肆拾弐 輪【人としての甘さ】

 長いようで短い時を共に過ごし、充実感と万能感に体が満たされていた。


〝この時が永遠に続けばいい〟と冗談半分で思っていた矢先。


 互いに寄り添いながら談笑する中で、浜悠はある事に気が付いていた。


 葉が擦れ土を舐めまわす雑音。耳を塞ぎ嫌悪感を抱く程の不快音。呼吸が乱れ苦しくてはち切れそうな心音。

 

 それら全てを混ぜ込んだ得体の知れない存在に――


(今までにない気配と胸騒ぎがする。ついでに嫌な予感しかしない。とてもとても……ね)


 方角へと振り向き様。先程までの笑顔から反転して、目の色を変え柄に手を掛ける。


 まるで息をするように抜刀し、一切乱れることなく正中線上に構えた。


 曇天の空から漏れる光によって、辺りを仄かに照らす刀身。


 不気味なほど静寂に包まれた闇夜の森を眼光鋭く見つめる。


 瞬きの間に臨戦態勢となった浜悠と、何事かと状況が呑み込めていない鬼灯。


 表情は見えなくとも、声だけで分かる戸惑いの言葉を口にした。


「おいおい、いきなりどうしたんだ。俺には何も感じないぜ?」


 大袈裟な手振りを交え首をかしげては、困り顔で同じ場所を凝視する。


 視線を右へ左へと走らせても見えてくるのは、ぼんやりとした複数個の陰影ばかり。

 

(俺には理解が追いつかねぇけど。一体、


 返答もないせいか戸惑いつつも、頑なに同じ箇所を見つめる。


 けれども、日々の闘いの中で研ぎ澄まされた第六感を持つ浜悠と花の守り人ですらない鬼灯


 両者が見ている世界は、事実――大きく異なっていた。


 彼女にとってせんさきを見据えるのは、然程難さほどむずかしい芸当ではない。


 修羅の道を行く花の守り人として、積み重ねてきた時間や経験。


 これまで流してきた血の一滴に至るまで、文字通り雲泥の差があるからだ。


 浜悠は不安感を与えないように、前へ歩むと笑顔で振り向き逆手で制止した。


「驚かせてごめんね鬼灯君。危ないから私の後ろに隠れてて……」


 当たり前である筈の息を呑む音さえ、躊躇ためらう程の静寂に包まれた。


 例えるならば、それは底の見えない〝深淵しんえん〟とも呼ぶべきか。


 今まで経験してこなかった空気感が、頭から爪先にいたる全てに重くのし掛かってきた。


 堂々とした後ろ姿でありながら、浜悠の声色がいつもより殺気立つ。


「――来る、私から離れないで!!」 


 それが合図であるかのように、闇より出でて姿


 時折左右へ揺れながらも、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 やがて、ぼんやりとした影が形を成し小さな人型となった。


 浜悠は尚も構えを解かず相手の出方を伺っていた。


 ようやく闇に包まれた〝正体〟が確認出来たのは、時にして僅か三分弱後。


 たった百八十秒ながらも、体感では倍以上に感じる程だった。


 すると、背後に隠れながらも疑問に感じた鬼灯が、指を差しながら思わず口に出す。


「んっ。ありゃぁ、って奴か? 」


 しかし、その考えは半分だけ間違っていた。

 この場所を知っているのは浜悠と鬼灯を除いて一人だけ。


 土地勘のある本人が狙って行かない限り、辿り着くことが困難な場所である。


 つまり、浜悠の――


。全くもう、随分探したんだよ? こんな所に居たんだね。僕と一緒に早く帰ろうよ!」


 聞き慣れた声、幾度も見合った顔、両親譲りの癖毛。

 それら全てが紛れもなく本人であることを証明している。


 れもこれも大切な浜悠の一部同然だった。


 両親が亡くなり、花の守り人を目指した理由でもあり、命を賭けて必ず守ることを誓った存在。


「青葉……」


 力なく小さな声で呟いた浜悠。

 しかし、実の弟を前にしても刀を向け続けたままだった。


「姉さん? おいおい、びっくりしたぜ。まさか、浜悠の弟君がこんなところに来るなんてなっ!?」


 初めて〝青葉〟を見た鬼灯が〝植魔虫〟でなかったことに、肩透かしを食らったのも束の間だった。


 何の前触れもなく空間を駆け巡る一陣の風を、直に体へ受けたせいか視界が不明瞭となる。


「うっ……目がっ!!」


 直後――落下物の音が耳へ、振動が足に。

 まるで不安感をあおるように伝ってきた。


 再び視界を取り戻した頃には、数十M程の距離を一瞬で進んだ浜悠の後ろ姿が見えた。


 手には横一閃に振られた〝未蕾刀〟。


 何かを斬った証拠に刃先から黒くよどんだ液体が滴る。


(何が起こったんだ……?。いや違う、それ以上に気になるのことは浜悠が何故、!)


 目まぐるしく変わる感情は、動揺に次ぐ急展開によって思考を鈍らせた。


 不思議と硬直状態が続き、微動だにしない浜悠を心配して歩を進める。


「おいおい、大丈夫か―」


 しかし、三歩目を踏んだ際に奇妙な違和感を覚える。


 足元から伝わる違和感と生々しい肉の音が、〝触覚〟や〝聴覚〟を多重に刺激したからだ。


(まさか弟君の〝〟が足下に……?)


 到底理解しがたい想像が脳裏をよぎり、内から涌き出る吐き気をもよおした。


(うっ……。強烈な臭気で鼻がやられそうだ)


 全身がこわばり肺が締め付けられて幾度も咳き込む。


 それと呼応したように、雲で覆われた空から一筋の光が差し込む。


 場を包んでいた暗闇が晴れてゆき、真実を照らす淡い月明かりが徐々に地上へと降り注ぐ。


(びびるな俺、万が一に備えろ……浜悠はそんな子じゃないだろ。信じてやれ……)


 覚悟を決めたのか一息ついて、恐る恐る視線を下へ落とす。


 鬼灯の瞳には成人男性の両手ほどある、芋虫型の植魔虫が映る。


 見事に両断された個体は先の一撃により絶命。

 その後、刀の効力によって塵となって土へ還っていった。


「気味悪い物を見ちまったけど、取り敢えずは良かった……のか?」


 想像していた最悪の結果ではないことに胸を撫で下ろすと、気を取り直して浜悠の元へ走り寄った。


「いや~、花の守り人ってやっぱり凄いな! おい、さっきからどうしたんだよ。浜――」


「来ちゃ駄目よ、離れてっ!!」


 鬼灯が悠長に名を呼ぶ前に、力強い言葉によって掻き消された。 


 温厚で優しい顔しか思い浮かばない、浜悠から発せらる突然の怒声。


「どうしたんだ浜悠の奴。そんなに怒ることもないだろうに……」


 鬼灯には、一体何が起きているのか理解に苦しみ、お預けをされた犬のように地団駄を踏む。


 ふとした瞬間に視点を下へ変えたことで、行動の意図をようやく理解した。


 目を疑いたくなるような信じられない光景が、思考を、空気を、浅はかな希望でさえ軽々と呑み込む。


「嘘だろ……おい。何でだよ――」


 人は自身の理解を超越した物を目の当たりにした時。


 


 人が生きるために無意識下で行う呼吸を、忘れていた鬼灯。


 その視線の先には実の弟であり助けた筈のの手首が、非情にも浜悠の右腹部へ深々と突き刺さっていたのだ。


 

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