第 拾漆 輪【欲望に溺れた相容れない存在】

 材質が木製のせいか奇音と共に、開かれた扉から漏れ出る不可視の空気。


 歩んだ道中の倍以上も不快感を与え、強烈な緊張感と重苦しい瘴気しょうきを漂わせていた。


 露出した顔や手の甲には、まるで鋭い針に刺された様な感覚が常時襲う。


 原因は同じ空間内にいる森の魔物〟が、餌を待ちわびているに他ならない。


 長時間の滞在で暗闇に目が慣れ始めている頃でさえ、対象の輪郭の影さえ見えない。

 

 何れも、ここまで来た鬼灯に後戻りと言う


 入り口付近から常に、鬼気迫る圧力と精神負荷を掛られ事による死への


 それは低級の植魔虫の常套手段じょうとうしゅだんであり、〝森の魔物〟はそれを得意としていた。


 獲物を力任せの一撃で倒すのでもなく、罠を駆使した狡猾こうかつな物でもない。


 腹が空けば一重にその場に居るだけで、


 只そこに居座るだけで食事へとありつけ、労せず〝影〟から村を支配できる。


 必要な時に家畜を喰らい力を蓄え、〝花の守り人〟に狩られる事なくここまで成長出来た。


 そうした積み重ねで幾年も鬼灯は利用されていたのだ。


 幾度となく耳へと伝わる咀嚼音そしゃくおんだけが、この場を支配し進めば最後。


 まさにとでも言える状況だった。


 もし、叶うならば今すぐにでも逃げ出したい。


 この先、何が起ころうとも、後悔や振り返る事さえ出来ない。


 だが、鬼灯の瞳には〝勝機〟の灯火が確かに宿っていた。


 どんなに恨まれようとも、たとえ取り返しのつかない〝嘘〟をついたとしても、。


 ある者は己の〝未来〟への扉を開けるために歩を進める。


 植魔虫として生まれた理由、はち切れんばかりの〝欲望〟を呑み込むために、ある者は本能のまま〝人命〟を喰らい続ける。


 狩る者と喰らう物、まさに〝光と影〟〝表と裏〟――そんな両者が満を持して対面する時がやって来た。


 今ここに、互いに譲る事のない〝食欲〟と〝希望〟が激突する。


 その腐った連鎖を断ち切るために鬼灯は、覚悟と共に意を決して行動に移す。


(今の俺は無敵だ。花輪刀があるから平気……絶対に大丈夫さ)


 家畜に繋がる手綱を強く握りしめ、自身の手すら見えない暗闇の中で、そこに存在に向かって叫ぶ。


「よぉ、〝薊馬アザミウマ〟久し振りだな。大好物の家畜えさ持ってきたぞ!?」


 明るい声色で自然かつ勘づかれない様に、


 案外、これが一番難しいと感じる鬼灯。


 緊張による油断やほころびは、命をもっとも危険に晒す脅威でしかない。


 そんな鬼灯の挨拶に対し、複数の声が混ざりあっている様な、人では発し得ない聞き苦しい音が返ってきた。


「あら、ヒサりだわ。今日キョウ1段イチダン美味オイしそうな御馳走ゴチソウれているみたいね」


〝森の魔物〟もとい、薊馬アザミウマから成る声は空間を反響し、まるで呪文の様に精神を……怯えた心を揺さぶっているようだ。


 放心状態となっていた家畜達に恐怖が蘇ったのか、反響音に混じって悲鳴にも似た鳴き声を発する。


「「びゃーびゃーっっ!!」」


 それこそ口から血がしたたる程、必死に命掛けで……。


 姿をこの目で見ていないのにも関わらず、声を聞くだけでも全身が総毛そうけ立っていた。


 鬼灯は手綱を引く逆手を使い、壁掛けの〝松明たいまつ〟に火を灯す。


 粘液等で湿気っていたのが数本程あり、まばらに1本。


 また1本と灯りが増える度、闇が覆っていた空間を徐々に照らし始めた。


 松明に宿る〝火〟独特の温かさは、鬼灯達に少しばかりの安心感を与える。


 たが、それも一瞬の出来事でしかなかった――


 部屋全体が視認できる程に明るくなると、ようやく姿を確認した頃には、偽りの仮面を被った表情が一気に曇る。


(しばらく見ねぇ間に随分でかく……。嫌、前とは比べのにならない程に禍々まがまがしくなった。これは、早々に始末しないと危険だな……)


 数M程の天井付近までにも及ぶ巨体に加えて、だらしなく脱力した不規則に脈打つ多腕。


 一度ひとたび笑えば、醜く歪んだ顔と鋭利な歯から滴る肉片肉汁の数々。


 常識では考えられない於曾おぞましい姿に、人間としての本能――


 否、生きとし生ける全ての命に刻まれた〝恐怖〟のせいか、自然と体を震わせ


 深呼吸で荒ぶる鼓動を無理やり静めると家畜達を引き連れた鬼灯。


 強烈な異臭を放つ死骸や異物を踏み歩きながら、薊馬アザミウマへと近づいていく。


ちわびたわ。ハヤ此方コチラへ……」


 木製の檻は見る限り力任せに握られて、多少細くはなっている箇所もあるが、最低限の拘束はしているようだった。


 檻へと近付きつつ細心の注意を払いながら、

 ゆっくりと慎重に歩を進める鬼灯。


 薊馬アザミウマに少しでも違和感や疑念を感じさせないためにも、必死に態勢を整え場を繋ごうとした。


「どうだ今回も上物だろ? 楽しみにしててくれ!!」


 そう言うと笑顔になりながら手綱で引く〝牛〟や〝豚〟、手に持つ籠の〝鶏〟を見せる――が、眼の奥は笑っていなかった。


 長い舌や指先をいくつも出し、待ちきれない仕草が徐々に強くなっていく。


 薊馬アザミウマが手を伸ばしても、離れず近付き過ぎずの距離を保ちながら言った。


「あんまり近付き過ぎると、俺も危なそうだからここで勘弁してくれ」


「えぇ、そこでいいわ。


 それは薊馬なりの〝いただきます〟の合図の如く、奇怪な多腕は高速で伸縮を始めた。


 一歩にも距離感の中で、次々と無作為に襲う触手。


 鬼灯から奪い取る様に〝鶏〟が入った籠を乱暴に掴み、すり抜けながら〝牛〟や〝豚〟を軽々と持ち上げる。


 命果てる断末魔の叫びさえも、満たすために行う食事の調でしかない。 


 叫び声は無惨にも遮断され、優しく包み込むように握りつぶす。


 辺りに木霊こだまするのは、骨が鳴り肉が断たれる音のみ。


 あまりにも凄惨な光景に唖然とする鬼灯を尻目に、無数の鋭歯が連なる大口へと放り投げた。


 噛む度によだれや血肉とも見て取れる雫が滴り、赤黒く淀んだ水溜まりを形成する。


 あまりの美味しさのせいか地響きがする程、地を叩き檻を揺さぶり喜び躍る薊馬。


「アァァア!、生物ナマモノ本当ホントウ最高サイコウねぇ。鮮度センド抜群バツグンナニより、〝コワしがいがある〟もの……!!」


 正に欲望に忠実その物。


 その光景を目の当たりにした鬼灯の中で、確固たる決意に一瞬の迷いが生じていた。


〝こんな奴に俺が……が勝てるのか〟――と。

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