第 参 輪【どんな所にも壁に耳あり障子に目あり】

 手を握り続ける老人は、桜香の身なりやを凝視しながら、他の人へ指示を出した。


「ほぉ~桜香とは良い名ではないか!! どれ、今日は疲れただろう? みな、このに着替えと食料を用意してくれ!!」


 貫禄ある老人の鶴の一声により、蜘蛛の子を散らすように家を出る人々。


 一人だけ残った村の女性と一緒に、居間の奥にある小さな客室の様な所に案内された。


 そこは4畳程の小さな個室で、中央に申し訳なさそうに布団一式があり、どうやら来客様の部屋みたいだ。


 室内は電気が通っているようで少しだけ明るく、格子こうしがある小窓から差す月明かりも手伝って、気味の悪い暗さは無い。


 色褪いろあせていた包帯に代わって、新しい物を用意してもらう。


 家で巻いた真っ白の包帯は、所々が血に染まっており、肌に接着し固まって変色している。

 剥がす際は瘡蓋かさぶたが引っ掛かり、傷口が開いた箇所もあった。


 包帯の交換を終えると、本日の寝床である周囲を見渡しながら、隅で正座している女性に恥ずかしそうな顔でお願いした。


「何から何までありがとうございます! あの……ちょっと、恥ずかしいので1人にしてもらってもいいですか?」


 桜色に頬を染めながら少しだけ可愛らしく、もじもじとしてみる桜香。


 だが、女性には今一つのようだ。


 気まずい顔をする桜香と真顔の女性は互いに硬直する。


 それから数秒後、先に動いたのは女性の方だった。


「それでは、ごゆっくりと……」と一言だけ伝え、年期の入ったふすまを閉めて戻っていった。


 出ていって直ぐ様、壁に耳を付けながら女性の足音を確認した。


 天道虫ななちゃんの事もあり、底知れない不安と心配が混じり合う。


 呼吸が乱れながら高鳴る鼓動が、大音量で部屋中に鳴り響いてるようだ。


 まばたきするのを忘れる程、桜香にとって長い数秒が経過した頃。


 床を鳴らす足音は、段々と奥へ戻っていくのが分かる。


 それを聞いた桜香は、張り詰めた緊張の糸が少しずつほぐれてくる。


 胸を押さえながら安堵の表情を浮かべ、「ふぅ、良かったぁ……」とため息混じりに言った。


「何だか落ち着かない。知らない人の家で寝泊まりするってこんな感じなんだろうな……」


 相手は女性とはいえ、着替え中も凝視ぎょうししてくる辺り、何だか監視されているみたいで良い気はしなかった。


 だけど、森は夜も深くなってきて、折角の村人達のご厚意を受け取らないのは失礼かな……と自己解決する桜香。


 上下左右を見渡す限り〝天井〟〝畳〟〝壁〟〝壁〟とあり、この部屋には自分一人だけというのを確認後。


 開放感を噛み締めながら、顔を枕に沈める桜香。


 瞳を閉じて顔を擦り付けながら、安心した様に深呼吸をする。

 気のせいか少しだけカビの臭いがした――でも、祖父の足の臭いに比べればへっちゃらだった。


 久しぶりの柔らかい感触の確認を終え仰向けになると、口から漏れる息が白くなっている。

 それもその筈だ、室内には暖房だんぼう設備もなく、体を温めてくれるのは一枚の薄い布団のみ。


 だけど、それでもを充分に感じる桜香。


 今日も〝生きている〟と祖父や母に感謝すると共に、一時ひとときの幸せを噛み締めながら小声で独り言をする。


「ふぁ~、良い人達で安心した。明日には出発したいな。誰かに〝花の都〟の方角聞かないと……。寝る前にちょっとだけ、お話してこようかな!!」


 ゆっくりと上半身を起こし、布団の脇に置いた腰袋を開ける。

 

 になった野草入れで、ぐっすりと寝ていた。


 起きて活発に動かれても困るので、開け口をしっかりと結んで布団を被せる。


 小さいとはいえ〝植魔虫〟である天道虫ななちゃんが、突然飛び出すと大問題になりかねない。


 ふすまに手を掛けようとしたその時、楽しそうな談笑が居間から聞こえてくる。


 女性が静かに笑い、男性が豪快に笑う……それはごく普通の他愛ない会話の様だった。

 

 自然に混じ合わせながら、溶け込むような小声が桜香の耳に入る。


「もうそろそろ、の狩りが始まる時間だぞ? ちゃんと礼品を用意しないとな!!」


のお陰で怯える事は無くなりましたね。本当に感謝だわ……」


「そう言えば村長の所の孫は、〝花の守り人〟になりたいとかって言ってんのか?」


 村人達の不思議なやりとりに、桜香は気になって頭を悩ます。


(さっきから出てる、あの方って誰だろう?……かな?)


 自らが口にしたという言葉で、驚き顔をした桜香は、大事な有る事に気が付いた――


(そう言えば、お母さんの花弁四刀かたみ、泥棒から取り返さないと駄目だ……)


 やっと気付いた桜香は、その場で膝を着いて項垂うなだれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る