第 肆 輪【授かった名は体を表す】


 片膝を畳へと付けながら「ふぅ……」と、胸に手を当てゆっくり深呼吸を数度繰り返す。


 そして立ち上がる桜香は、気持ちを入れ換えてふすまを開く。


 無防備な眼前には、先程の老人が気配を消して立っていた。


 不意に目が合ってしまった桜香は「うわ~っ!! お化けが出っ、でた~!!」と言って、尻餅を付きながら壁へと背中を合わす。


 あまりの衝撃的な出来事に、静まった鼓動が再び激しく脈を打ちつけるのが分かる。


 多少、大袈裟気味おおげさぎみだったが驚いたのは本当であり、心配は他にあった。


(どうしてここに居たんだろう? もし、天道虫ななちゃんがいることが見つかれば――)


 無言で部屋に入る老人はゆっくりと桜香に近づき、敷いてあった聖域ふとんへと足を踏み入れた。


 尚も続く老人の進撃あゆみは、布団中央付近で立ち止まる。

 視線を老人から少し下の布団端部の小袋へと落とす。


 幸いにも天道虫ななちゃんがいる小袋は、絶対に踏んでないと言える……だろう。


(表情で悟られちゃ駄目だ。笑顔だ、常に笑顔を作るんだ桜香!! ――でも、ちょっと怖いよ……)


 自らを鼓舞する様に何度も、己を励ます言葉を繰り返す桜香。


 不安感にさいなまれる桜香に対し老人は、しわだらけの顔で笑顔を作ると言った。


「桜香さんや、待たせてすまんね。夕食を用意したので是非とも……」


「えっ!?……あっ、夕食ですかぁ!!」


 桜香は驚きのあまり気づかなかったが、泣きじゃくる我が子の様に、愛しそうにお腹をさすり、腹の虫が大音量で鳴いている。


 照れ隠しと恥ずかしさのせいか、頬を瞳に似た桜色へと染め上げ、頭を掻いて笑いながら口を開いた。


「へへへっ……!! あの~、良くしてもらってるのに驚いてごめんなさい!!」


 考える事は山程ある……だけど、母の形見も勿論大事だが、それには先ずは自分自身の命の確保と怪我の治癒を行う事。


 そうすればきっと――母の思いが込められた、近付いてくる気がした桜香だった。


「では行きましょうか」と老人に連れられて部屋を出る際に、小さく天道虫入腰袋ななちゃんいりこしぶくろに向かって手を振る桜香だった。


 どうやら、先程の村人達が食料や酒等を持って戻り、再び大宴会が開かれているようだ。


 先程の村人達に加え、1人だけ服装が異なる男が、酒を酌み交わしながら胡座あぐらをかいている。


 室内にも限らず豪華な羽織を纏い、堂々とする姿に加え、その足元には一本の刀がある。


 男を目の当たりにした桜香は、直感で気付いた。


 恐らく〝花の守り人〟だと言う事に。


 鞘も含めて白を基調とした〝花弁四刀かべんしとう〟に比べて、男の刀は全体が黒い上に倍の刃幅がある。


 ほのかな灯りに照らされた横顔は清清しい程の、美形で勘違いして好きになりそうだった。


 桜香が思わず見とれていると、村には珍しい若い娘に気付いた男は、持っていたさかずきを置き、手を伸ばして自己紹介をした。


「おっ、村長が旅人の娘を連れて来たか!! 俺の名前は鬼灯ほおずきってんだ!!」


 鬼灯と名乗る男は、酒のせいか少しだけふっくらとした頬が鮮やかに赤く染まっていた。


 おまけに、家中へ響く程に凄く笑っており、一片の曇りもない爽やかな笑顔を桜香に向けた。


 一目見て鬼灯の年齢は恐らく20代後半の印象。


 それでいて瞳は大きく端正な顔立ちであり、髪止めを使い後方で黒髪を結っているようだ。


 普段ならば起床から就寝にかけて、祖父の顔を年中無休で見ている。


 たとえ本人を見ずとも、似顔絵だって細部まで描ける自信さえあった桜香。


 男とは、それ即ち〝〟だ――


 指折りで数えきれる程の印象しかなく、男性に対して免疫がなかった。


 差し出された手を握り返すと、思わず体が火照り、まるで沸騰した様な温かさが桜香を包み込む。


 壊れた人形の様にぎこちない動作と、普段使い慣れない言葉を口にする桜香。


「どっ、どうも初めまして。私は桜香です! 花の守り人目指してて、明日にはここを出て〝花の都〟に出ますが……何卒よろしくお願いします!」


 気を良くした鬼灯ほおずきは、「あぁ、よろしくな桜香ちゃん!」と言って、手を上下に振った。





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