異世界肝試し~教会裏手の墓場の怪~
八百十三
教会裏手の墓場の怪
「さあ、体調は万全ですね?心の準備はOKですね?一度立ち入ったら神様に祈ったって引き返せませんからね?」
そんなアナウンスが、ヘッドマウントディスプレイを被った俺の耳に届く。俺の隣できっと、美沙紀も同じものを聞いていることだろう。
俺こと
ファンタジーな世界観の中で、廃墟、墓場、洞窟、密林、古城などなど、複数の舞台の中から一つを選び、中を冒険しながら迫りくる恐怖に立ち向かい、外の世界への脱出を目指すゲームだ。
いくつものバリエーションが用意されているとはとても思えないほどに、緻密に作りこまれた風景と世界観、襲い来る恐怖存在のリアリティさが売りで、タイミングによっては三十分待ちや一時間待ちなんてザラだったりする。
俺と美沙紀の二人はデートでお台場に遊びに来た流れで、この「異世界肝試し」をやりに来たのだ。
それにしても、脅し文句が随分と怖さを掻き立ててくる。中に入ったら本当に神様に祈る羽目になりそうだが、彼女の手前大っぴらに怖がることは出来ない。そう思って気持ちを奮い立たせた。
それと同時に、俺の隣に立った美沙紀が、俺の右手をぎゅっと握ってくる。
「竜太くん……」
「大丈夫だって、俺が隣に付いててやるから」
不安そうな声で小さく零す美沙紀を安心させるように、俺は美沙紀の左手を強く握り返した。
その間にも耳元では、「異世界肝試し」のルール説明や舞台説明が行われている。今回は墓場ステージを選択したから、墓場特有のギミックなんかの説明が為されていた。
「舞台は真夜中の墓場です。ゴーストにゾンビ、スケルトンがあちこちに。墓場の出口には、立ち入った者を逃がすまいとレイスが待ち構えています。
死霊に対抗できる唯一の武器である、火が尽きない魔法のカンテラを落とさないよう、気を付けてくださいね?」
「は……はい」
「分かりました……!」
アナウンスを聞きながら、俺は左手をぐっと握りこんだ。アンティークなカンテラの形をした作り物が、俺と美沙紀の手には握られている。これがこのアトラクションにおける入場証であり、重要アイテムであり、武器でもあるのだ。
二人して、上ずった声でそう返答を返す。それが聞こえたことで、いよいよゲームスタートのスイッチが押される。
視界に表示されていた解説画像が消え、真っ暗な闇の中にローディングバーが表示された。
「さて、いよいよ真夜中の冒険の始まり始まり!無事に帰ってきてくださいねー。いってらっしゃーい!!」
底抜けに明るい声と共に、ローディングバーが満タンになって。
一気に視界が開けるように、俺と美沙紀はVRの世界へと放り出された。
そこは、満月が頭上で輝く深夜の墓場。周囲には墓石が立ち並び、土葬された死者がこんもりと盛られた土の下で眠っている。遠方には教会らしき背の高い建物が見えた。十字架のようなものはどこにもなかったけれど。
そして、ひんやりと肌に触れる空気は非常に湿り気を帯びた、怖気を感じるもので。灯りなんて手元のカンテラ二つしかないはずなのに、薄ぼんやりとした光がゆっくりゆっくり、いくつも飛び交っていた。
「竜太くん、あ、あれって……」
「お、お、脅かすなよ美沙紀……そんな、軽率に人魂だって、言えるわけねーじゃん……」
腕に縋ってきた美沙紀に、俺は口元が引きつるのを感じながら笑いかけると。
美沙紀の背後、俺の視界の中で揺れていた青白い光が、スピードを上げてまっすぐこちらに近づいてくる。
そうして距離が詰められると同時に、俺は
青白い光は、炎のように揺らめいていて。その炎の内側に浮かんでいるのは。
と、美沙紀の頭のすぐ傍まで飛んできて、俺とまっすぐに向かい合った光が。
「クケケケケ!!」
カタカタと、
「わーーーーっっ!?」
「きゃーーーーっっ!?」
びっくりした俺の声に驚いた美沙紀も悲鳴を上げ、開幕早々俺達は大声を上げる羽目になった。
驚かせることが出来て満足したのか、頭蓋骨はこちらにつるつるの後頭部を向けて、ふいよふいよと去っていく。対して俺達は既に目の端に涙が浮かんでいた。
「ちょ……っと、りゅ、竜太くん、び、び、びっくりさせないでよ……!!」
「だ、だって美沙紀、お前、ま、マジもんの人魂だぞお前、それががーっと傍まで接近して笑うんだぞ!?びっくりすんだろ!?」
抱き合うようにしながら、互いにやいのやいのと口論をする俺達だ。傍から見たら大層滑稽なことだろうが、今の俺達にとってはこの墓場がまさしく現実なわけで。
初っ端からこんな威力の高い恐怖が襲ってくるだなんて。ネットで下調べはしていて、「ものすごく怖い!」「超リアル!」「どのステージも凝ってる!」と星5をつける意見をいくつも見てきたが、これは予想外だ。
ともかく、スタート地点から動かないままではお話にならない。神に祈ったって引き返せない、とはさっきのスタッフの言。先に進んで脱出しなければ。
美沙紀の背中に回していた腕を離して、俺は恐怖を振り払うようにぶるっと首を振った。
「と、とにかく先に進もうぜ。このままここで突っ立ってても、な、なんにもなんねーだろ」
「そう、そうね。進まなきゃ……そうよね」
そう言いつつお互いに身体を放し、しかしカンテラとお互いの片手はしっかりその手に握ったままで、俺達は墓地の中をおっかなびっくり歩きだした。
改めて周囲を見回してみると、結構な数の人魂が飛んでいる。カンテラのおかげもあって視界はそんなに悪くないが、あれだけたくさん人魂が飛んでいるのは、非常に不気味だ。
そしてその人魂に照らされるように、ガイコツやらゾンビやらが獲物を求めるようにのったりのったりと徘徊していて。
人間だったり、エルフだったり獣人だったり、色々な種族のゾンビやガイコツが歩き回っているのは、さすがファンタジー世界だなと思わなくも無いが、感心している余裕なんて、これっぽっちもなかった。
そんな墓地の中、墓石の向こうを覗き見るように様子を伺う俺の後ろで、不意に美沙紀の短い悲鳴が上がった。
「きゃっ!?」
「ど、どうした!?」
「い、今、誰かに肩を……」
カンテラを持っていない方の手で肩を押さえながら、ぷるぷると小さく震える美沙紀に、俺は急いで彼女の背後や周囲に視線を巡らせた。
肩を叩くようなゾンビも、ガイコツも、付近には見当たらない。人魂も近くは飛んでいない。
首を傾げつつ俺は美沙紀に不思議そうな視線を向けた。
「……なんも、いないぞ。何かがぶつかっただけじゃないのか?さっきの人魂とか……」
「違うもん!トントンって、二回しっかり叩かれたもん!」
はっきり叩かれた、と主張を続ける美沙紀。それをジトッとした目で訝しむように俺が聞いていると、暗闇の中からぬっと手が伸びてきた。それがおもむろに、美沙紀の肩をぽんぽんと、二度叩く。
俺が目を剥くと同時に、ハッとした表情になった美沙紀が自分の肩に触れる『それ』を鷲掴みにした。
「なんっ、う、うわっ!?」
「ほ、ほらまた!このっ、なん……いっっ!?」
それを目の当たりにした俺も、それを自分の手で掴んだ美沙紀も、一緒になって竦み上がった。
美沙紀の手に掴まれているその手は、もふっとした毛に覆われていて。指には鋭い爪が付いていて。表面の毛皮や肉がところどころ腐り落ちて骨が見えていて。
暗闇の中からゆっくりと、美沙紀の顔の傍まで顔を近づけてきた犬獣人のゾンビが、口から腐臭を吐き出しながら囁くように怖気を催す声を発した。
「ヴァァァァァ……」
「キャーーーーーーー!!」
絹を裂くような悲鳴を残し、犬ゾンビの手を払いのけた美沙紀が一目散に駆けだした。俺が引き留めるよりも早く、灯りの点されたカンテラを振り回しながら墓地の向こうへと走り去っていく。
まずい、と思う他なかった。こんな状況ではぐれたら、ゲームクリアどころか合流するのさえ大変だ。
「美沙紀!?くっ、このっ、こいつっ!!」
俺はすぐに、自分の手に持ったカンテラを棒立ちになっていた犬ゾンビに突きつけた。光を間近に見たゾンビが、びくりと身体を強張らせてからぐずぐずと崩れ落ちていく。
「ヴァッ、アァァァ……」
「はぁ、はぁ……み、美沙紀、どこ行った……?」
その場に崩れ落ち、消え去っていったゾンビから視線を外して、俺は慌てて視線を巡らせた。
カンテラの光は見えない。足跡なんかも残っていない。ただ、墓場が広がっているだけだ。
「おいなんだよ……マジかよ、こんな墓場でボッチとかお互いにやべーやつだろ……」
「りゅ、竜太くん……どこー……?」
と、そこに微かに、美沙紀の声が聞こえてきた。声の聞こえた方に急いで目を向ける。教会のある方だ。
「くそっ、美沙紀、今――」
「キャァァァァァーーーーッ!!」
「美沙紀!?」
空気を裂くような甲高い悲鳴。それも今までのものより更に甲高い。間違いない、美沙紀は今まさにピンチだ。
俺はとにかく走った。墓地の中を、声の聞こえた方に向かって一心不乱に走った。道中でガイコツや人魂が追いすがってくるが振り払って駆ける。
そうして走る俺は、どんどんと薄ぼんやり見えていた教会の建物が近づいていることに、気が付いていなかった。
時は、少しだけ遡って。
藤間 美沙紀は獣人のゾンビに驚いて墓地の中を逃げまどい、走って走ってやっと足を止めた時には、自分が竜太と離れ離れになってしまったこと、今いる場所がどこかも分からないことをようやく認識した。
「りゅ、竜太くん……どこー……?」
薄暗い墓地の中で、辺りを見回しながら涙目になる美沙紀。こんな暗く、不気味な場所に独りぼっち。心細いなんてものじゃない。
そして自分の手元に目を落とした美沙紀は目を大きく見開いた。
「あっ、カンテラがない!?」
そう、この墓地を進むための心強い武器、火を絶やさずに点し続ける魔法のカンテラが、手元に無いのだ。
逃げている最中にどこかで落としたのだろうか。どこで無くしただろう、全く思い出せない。
「どうしよう……戻って探した方がいいかな……でも……」
人魂がぼんやりと光を放つ中で、辺りをきょろきょろと見回す美沙紀だ。しかし暗闇の中、墓石がどこにあるかも見えない。
泣き出しそうになるすんでのところで、彼女は視界の一点、ある場所に目を留めた。
「あれ?あそこ、なんか明るい……あそこって確か、スタート地点で見えてた教会?」
ゆっくりそちらに近づいていくと、確かに中では明かりが点っているのが確認できた。心なしか人魂もそちらには近づいていない印象がある。
もしかしたら、教会だから安全なのかもしれない。この肝試しのお助けポイントなのかもしれない。その割にはたどり着くまで随分走った記憶があるけれど。
美沙紀はそろーりそろーり、ドアが無く入り口が開いたままの教会の中へと足を踏み入れた。
「だ、大丈夫だよね、うん。お邪魔しまーす……」
教会の中はぼんやりと明るかったが、やはり視界が明瞭というほどではない。そして人気がなく、がらんとしていた。
ただ一人、講壇の向こうに立つ長い耳をした初老の神父が、一人こちらを見ているだけだ。
「おや、こんな夜更けに生ける来客とは珍しい……迷い人ですかな」
「は、はい……墓場に迷い込んじゃって、カンテラも落としちゃって……」
困惑した表情で神父の立つ講壇の傍まで走り寄ってきた美沙紀だ。人がいて安心したのか、表情がホッとしている。
しかし、そんな彼女の表情が一気に強張り、固まった。にこやかに笑う神父の、閉じられた聖書の上に置かれた左手が、すっかり腐れ落ちて骨しかない。
ゾンビだ。
「それはそれは……クククッ、死霊に対抗する唯一の武器を手放すとは、なんと愚かな」
「え……なん……!?」
にこやかに笑ったまま薄目を開き、その奥から嘲るような瞳を美沙紀に向けた神父が、右手に握った杖で床を叩く。
と、その背後からぶわっと影が立ち上がり、巨大な獣の姿をした死霊が姿を現した。
「カンテラを持たずにこの教会に立ち入ったのが運の尽き……!定命の者よ、ここで果てるのだ!」
「ひっ……キャァァァァァーーーーッ!!」
レイスとはまた別の、強大な死霊を身体から立ち上らせたゾンビの神父。
神父が杖を向けるや美沙紀に襲い掛かってくる、巨大な獣の姿をした死霊に身を竦ませながら、甲高い悲鳴が教会に、墓地に響き渡る。
死霊に覆い被さられる美沙紀の耳に、微かに自分の名を呼ぶ竜太の声が聞こえた気がした。
俺が教会の入り口まで来た時、まず目に入ったのは教会の床で仰向けに倒れる美沙紀の姿だった。
だが、その姿は半透明で、何とも実体がある感じがしない。
「美沙紀!!」
駆け寄って助け起こそうにも、手がその身体をすり抜けてしまう。
愕然としていると、俺の耳に別の人物の声が飛び込んできた。
「俗に言う、ゲームオーバー、というやつだ」
「……!?」
冷たい、感情の無い声色をした男性の声。その声のする方に目を向けると、聖職者の身に付ける丈の長い服と十字架のペンダントを身に纏った、エルフの男性がそこにいた。
しかし、ただの人間でないことは一目瞭然だ。腐れ落ちて骨だけになった左手。濃密な敵意。ゾンビであることは想像に難くない。
ゾンビの神父は地面に倒れたまま動かない、半透明になった美沙紀に視線を落としながら、嘲笑交じりに言葉を放った。
「哀れな娘よ。供の者ともはぐれ、唯一の武器であるカンテラも手放し、ここに辿り着いては助かる目など万に一つもありはしない」
「な……あのバカ……!!」
その言葉に、俺は歯噛みする他なかった。
カンテラは、このゲームで出現する敵に対抗するための、唯一の武器だ。それを失くしたのなら、ゲームオーバー一直線なのは誰の目にも明らかだ。
そんな状況でここでゾンビにやられたのだとしたら。ゲーム復帰は絶望的だ。もとより復帰できるゲームでもないが。
神父は冷たい視線を俺の方に戻しながら、うっすらと笑った。
「娘を追ってここに辿り着いたのだろうがな、墓場の出口で待ち構えている死霊より、私の方が数段強い。一人で立ち向かうなどという無謀はよして、とっとと引き返すがよい」
「なんっ……ってことは、噂に聞いてた裏ボスって、こいつのことかよ……!」
目の前に立つ、只者ではない雰囲気を出しながらそれをあっさりと口にする神父に、俺は目を見張った。
このVRホラーゲームを見つけてきた時に、美沙紀が楽しそうに話していたことを思い出す。
「異世界肝試し」には正規ルートで設定されているボス敵の他に、隠された場所に潜む裏ボスが存在する。そのボスを見つけて倒してゲームクリアを迎えると、アトラクションから賞品が貰えると。
しかしその裏ボスは正規のボスよりかなり強く、一人二人じゃとても敵わないという話だ。
その裏ボスが目の前にいるこいつで。美沙紀はそこに偶然迷い込んでしまって、こうして叩きのめされてゲームオーバーとなった、ということか。
膝が笑い出しながらも、俺は目の前に立つ神父を睨みつけることを止めなかった。そんな俺にますます侮蔑交じりの視線を向けながら、
「ほれ、どうした、定命の者よ。恐怖で足が竦んだか?今ここで大人しく引き返すなら、見逃してやらんこともないぞ」
「……ふざけんなっ!恋人をぶっ倒したやつを前にして、おめおめ逃げ帰れるかっ!」
ぐっと手を握り、手に持ったままのカンテラの持ち手を握り締めて。俺は吼えた。
ここで立ち向かわなければ男が廃る。恋人を見捨てて逃げた臆病者になってしまう。それはやはり、男としては許しがたかったのだ。
立ち向かうことを決めた俺に、神父はいよいよ俺を叩きのめすことを決めたらしい。杖の先端で床を強く叩くと、彼の陰から巨大な獣の姿をした死霊がむくむくと這い出てくる。
「クククッ、蛮勇とはこのことだ。ならば我が死霊の手で叩き伏せてくれる!」
「行くぞこの野郎!」
自分を鼓舞するように強い言葉を発しながら、俺は右手のカンテラを振りかぶった。
同時にものすごいスピードで前に飛び出してきた死霊が、俺に向かって突進してくる。
俺はそれを、決死の思いで避けた。死霊の頭とすれ違うようにして、杖を突いたままの神父の懐へ飛び込んでいく。
小さく目を見開いた神父の胸元めがけて、俺は右手を思いっきり振り抜いた。
カァン、と鋭い金属音が鳴る。カンテラと、神父がとっさに構えた杖がぶつかったのだ。
「ほう……死霊を無視して私にまっすぐ向かってくる、その慧眼は誉めてやろう」
「お前があれを操ってるってんなら、お前を倒した方が早いだろ!」
「理に適っている。だが一人ではその程度が限界よ!」
感心したように笑いながら、神父が言い放った途端。
俺の背後から強い衝撃が襲った。カンテラを手放すまいとぐっと力を入れた手が緩み、カンテラが床の上に転がる。
そのまま、俺は背後から突進してきた死霊に組み敷かれる形で、床に頬をこすりつけた。
「がっ、ぐ……!!」
「甘い甘い。着眼点はよかったがのう……」
俺を見下ろしながら、ゾンビの神父が憐れむように告げつつ杖で床を突いた。
それが何かの合図になっているのだろう。俺を組み敷いていた死霊がぐっと俺に獣のような顔を寄せると、傍で光を放つカンテラを意に介する様子もなく、その大きな口で俺の口に触れた。
ほんのりと生臭い、血の匂いに満ちた息が、俺の口に侵入してくる。それと同時に何やら得体のしれないものが、俺の中に入ってきた。
「ぐ、くそっ、んむ……!?」
「哀れな定命の者よ、死霊の力を以て我が下僕となるがいい……」
死霊の口づけと共に、死霊の力が流れ込んでくるのを感じる。
そのまま身体をピクリとも動かせない状態で、俺の意識はだんだんと薄れ、遂にはぷっつりと途切れた。
ピーッ、ピーッ、というけたたましい電子音が耳を刺す。
「ん……んん……?」
うっすらと目を開けた俺は、被ったヘッドマウントディスプレイに「GAME OVER」の赤文字が表示されているのに気が付いた。
そうか、俺達はアトラクションのクリアに失敗したのか。
そのことを認識すると同時にヘッドマウントディスプレイがゆっくり持ち上がり、視界が下側から徐々に明るくなっていく。ガイドの女性の顔が見えてようやく、ディスプレイを外されたのだと分かった。
「はーいお疲れ様でしたー、残念でしたねー」
「ああ……ありがとうございます……」
「んんっ……あれ、もう終わり?失敗?」
ガイドの女性に力なく礼を言っていると、隣で美沙紀も意識を取り戻したらしい。ヘッドマウントディスプレイをガイドの人に外されていた。
その美沙紀の方に視線を向けた瞬間、俺は叫びだしそうになった。ぐっと詰まって堪えたことは褒められていいと思う。何とか表情を取り繕って、俺は美沙紀に声をかけた。
「んっ……ああ、失敗だってさ、残念だったな」
「ひっ!?え、竜太くん……えっ?」
「何だよ美沙紀、そんな顔して……俺がどうかしたのか?」
と、美沙紀が俺を見るや引き攣った声を上げた。なんだか知らないがものすごく戸惑っている。まさかVRからの復帰に脳味噌が間に合っていないのだろうか。
努めて普段通りを
「う、ううん、何でも……」
「……?何だよ、変な奴」
そんなかみ合わないやり取りを行う俺と美沙紀に、さすがにガイドの方も何かを察したらしい。
俺達の背中にそっと手を添えながら、アトラクションの出口を指し示した。
「具合が悪いようでしたら、少し外のカフェで飲み物を飲みつつ休憩していくといいですよー。お疲れ様でしたー」
「あ、ありがとうございました……」
ちょっと軽い雰囲気の口調に小さく頭を下げた美沙紀が、スタッフに預けていた荷物を受け取ると覚束ない足取りで出口の方へと歩いていく。
その背中を、俺は慌てて追いかけた。自分の荷物を忘れずに回収してから、アトラクションの外に設けられたカフェスペースでアイスティーを二人分購入する。
二人してカフェスペースの椅子に腰掛けながらも、美沙紀はずっとそわそわとして落ち着かない。俺の方に視線を向けては外し、視線を向けては外しを繰り返していた。
その落ち着かなさにいよいよ俺がやきもきし始めると、その両手でアイスティーのプラカップを持ちながら、美沙紀が俺に視線を向けつつ口を開いた。
「ねえ竜太くん、本当に何ともないの?」
「さっきからどうしたんだよ、おかしいぞお前」
「だって……」
眉をひそめながら言葉を返す俺の視線に耐え切れないように、目線を落とす美沙紀。
そして彼女は、俄かには信じられないようなことを言い出した。
「ゲームは終わったのに、竜太くんが、ゾンビなんだもん……」
「……は?」
その言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。
俺がゾンビ。いやいや、俺は確かに生きた人間だ。今だって実際そうだ。肉も皮も腐り落ちたりしていない。
スマホを取り出し、カメラを起動させて手鏡モードにする。普通に人間だ。念のためにインカメラで自分を撮影する。撮れた写真に写る俺は普通に人間だ。
その写真を画面に映しながら、スマホの画面を美沙紀へと向ける。
「そんなわけないだろ……俺には俺が普通に見えてるぞ。写真も……ほら」
「うそっ……え、ほんとだ、なんで?」
スマホの画面を見て、美沙紀の目が大きく見開かれた。俺自身と俺の写真を交互に見ながら、驚きを露わにしている。
というかそれを
「分かんねー……けど、ほら、あれじゃね?さっきまでVRの中にいたんだしさ、そのせいだよ、きっと」
「う、うん……そうかな……」
「というか俺はともかくさ、お前だって実際そんな――」
そう話しながら美沙紀が、自分のスマホに何かを映して見ている。彼女の目には、彼女自身は一体どう映っているのだろうか。ちょっと気になる。
と、俺が
「あ……ねえ、竜太くん、これ見て」
「ん?これ……『異世界肝試し』の口コミ?」
「うん、VRアトラクションについてまとめた個人ブログの。ほら、ここのところ」
美沙紀が見せてきた画面には、ブログの記事が映し出されていた。
彼女からスマホを受け取り、よくよく文面を確認すると、「異世界肝試し」のところにはこんなことが書かれている。
―この「異世界肝試し」には、通常のボスの他に裏ボスがいます。
これはあくまでも一緒のタイミングでプレイした参加者から聞いた話でしかないですが、裏ボスに敗北してゲームオーバーになってしまうと、その参加者は人間の姿を失い、ゲーム中のモンスターになってしまうことがあるとか!?
そう主張する当の本人たちも、私の目には普通の人間に見えていたので、VRの影響で脳が混乱しているだけなのかもしれませんけれど……彼らとその後会うこともありませんでしたし……―
「……」
「これって、もしかして本当のことだったんじゃ……」
そう、心配そうに話しながら、美沙紀は
きっと、それは本当のことなのだ。
だって俺の目の前にいる藤間 美沙紀は、俺が見る限り全く人間の姿をしておらず。
まるであの神父が操っていた死霊が女性になって、サイズも人間程度に縮んで、実体を得たような。
鋭い牙に爪を持ち、ピンと立った耳が頭頂部に生えて口が長くなり、腰からは尻尾も生やし、手も足も両腕も両脚も首も顔も、もふもふとした毛で覆われた、まさしく
俺は美沙紀のスマホをテーブルの上に置きながら、力なく天井を見上げて乾いた笑いを零した。
「ははは……ハンパねーな……」
こんなん、もう笑うしかない。
ゾンビとモンスターのカップルだなんて、しかも他の人から見たら普通に人間のカップルにしか見えないだなんて、笑うしかないではないか。
俺は、ぼんやりとした頭でそう思った。
異世界肝試し~教会裏手の墓場の怪~ 八百十三 @HarutoK
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