第2話 捕獲作戦

 あまり知られてないことですが、江戸川の河川敷の草藪には、狸などの野性動物が多く棲息しています。

 夜行性の狸は、暗くなると土手を越え、食べ物を求めて畑や住宅地などにやって来て活動するらしいのです。

 …しかし今、僕の右脇の草土手に身体を休めている子狸は、見るからに疲労困憊といった態で、ゆっくりと息をしながらグッタリと伏せっていました。

(…どのくらいの距離を流されて来たのか?…懸命に小さな身体の力を振り絞って、ようやく岸に上がってこれたんだな、可哀想に…!)

 僕は子狸の姿を眺めてそう思いました。

 …そうするうちに、僕の背後から声がしました。

「あっ!何だあれ、動物?」

 振り返ると、土手の上で小学校一年生くらいの男の子が、子狸を指していたのです。

「…狸の子供が流されて来て、さっき水の中からここまで上がって来たんだよ、今は疲れてお休みしてるんだ」

 僕は男の子にそう言いました。

「狸?…お~っ !! すげ~」

 男の子はちょっと興奮してしばらく子狸を見つめていましたが、やがて飽きたのか土手の向こう側に降りて姿を消しました。


 …僕もそろそろ帰ろうかなと思って腰を上げた時、しかしさっきの男の子が戻って来たのです。

「ほら、お母さん!あれだよ、狸」

 しかも何と今度は自分のお母さんを連れてやって来て、さらに眼鏡をかけたその30代くらいのお母さんの手には大きな虫取り網が握られていました。

( … !! )

 どうやらその親子は明らかに子狸を捕獲しようとしているようです。

(…可哀想だからそっとしといてあげなよ!)

 僕は心の中で一瞬そう思いました。

 …しかし、よ~く考えてみるとこの息も絶え絶えに疲労しきった子狸をそのまま放置したとして、やがて体力回復の後活動再開出来るのかどうかは分からないし、この親子が捕獲保護して餌など与え、まぁ飼えるかどうかは不明にしてもひとまずそっちの方が子狸にとって良い結果になることも考えられる訳なので、結局僕は黙って成り行きを見ることにしました。

 …という訳でお母さんは虫取り網を掲げてゆっくりと子狸に近付いて行きました。

 そして息を呑んで見つめる男の子の前でサッ! と網を降りおろして、見事に子狸に被せたのです。

「やった~っ!」

 男の子は思わず喜声を上げて笑顔を浮かべました。

 …しかし、網は被せてとりあえずその場には確保したものの、その先はどうしたら良いかまではお母さんも考えていなかった様子で、

「…で、どうするの?お母さんはとてもじゃ無いけど狸なんか抱いて帰れないわよ!」

 と、虫取り網の柄を掴んだまま男の子に言いました。

「やだ~!家に連れて帰る~っ!」

 男の子は身体をよじりながら叫んでいます。

 …お母さんは困った顔で少しの間悩んでいましたが、

「じゃあ、あなたちょっとここでお母さんに代わって狸を逃がさないように虫取り網を掴んでなさい!」

 と男の子に言いました。

 …そして子供と虫取り網のバトンタッチをすると土手の向こう側に走って行きました。

(…どうするつもりなんだろう?)

 僕は何だか面白くなって心の中で呟きました。


 4~5分も経った頃、お母さんが今度は50歳くらいの体格の良い短髪のおじさんを連れて土手上に戻って来ました。

 さらに見ればそのおじさんの手にはペットを入れる手提げバスケットが握られていました。

(…旦那さん?…いやご近所の知り合いのおじさんかな…)

 僕は新たな助っ人の姿を見てどうでも良い疑問を呟きながら子狸捕獲作戦の続きを見守りました。

「…おじさん、早く ! 」

 男の子は必死の形相で助っ人おじさんに叫びます。

「そんな網で狸捕まえたんか?…よし、待ってろ」

 おじさんはバスケットを持って近付いて行き、男の子の脇に腰を下ろしました。

 土手上では心配そうな目でお母さんが捕獲作戦を見つめています。


( 果たして…うまく行くかな?)

 いつの間にか僕も知らず知らず緊張感が高まっていました。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る