1-2.聖徒たちの学舎

「1999年7月1日。この日世界は確かに変革されたのです」


旧ヴァチカン市国跡地上層部、聖グリエルモ学院高等科『近接歩兵科』2学年の講義室の中心では、第2級研究調査員の勲章を左胸に付けた講師が事務的な声音で教本を読み上げている。

聖グリエルモ学院の講義室は階段状の設計となっており、生徒は教師を見下ろす形で朗々とした声に日々耳を傾ける。

そんな大事な講義中だというのに、しかし半数は右から左へ聞き流し退屈そうに欠伸を噛み殺していた。

「世界的大混乱を避けるため、最高機密事項として全世界に対し国連は情報規制をかけましたが、イタリア中心区・ヴァチカン市国は直下1万キロメートルにおよび突如消失。さらにその空間では観測されたことの無い技術や物品、そして生物達が跋扈するようになり、異空間は今も尚拡大を続けています」

講義室の1番上、窓側の隅の定位置にひとり座りつつ、草薙隼人もまた出来て新しい傷の目立つ頬に手を当て、ぼんやりと聞き流していた。

「これがノストラダムスの大予言にあった『世界滅亡』説との因果関係は不明ですが、国ひとつ消失したという大事件は確かにひとつの世界が滅亡したと言っても過言ではありません」

講義室の中心部、講師が立つ教壇の正面には3Dモデリングで表示された迷宮区『サンクチュアリ』断面図が空間投射されている。

現在把握出来ている時点での迷宮区の階層は、666階層。

かの有名な『ヨハネの黙示録』にある獣の数字と同じ数なのには、さすがに隼人も皮肉を覚えずにはいられない。

その他にもこの迷宮区では聖書になぞらえた物品や生物、事象が多く確認されており、勝手に神聖視した狂信者によっていつしか迷宮区は『サンクチュアリ』――『聖域』なんて名称で呼ばれるようになっている。

実際、蓋を開けてみれば年間何千人と死者を飲み込む巨大な墓穴に他ならないのだが。

「以降人々は新たな時代の幕開けとし、『聖暦』と暦を変えて早35年。しかし、迷宮区の全容及び出現原因など未だ解明されていない謎が多く存在します」

と、ここで講師の声は学院内に昼食の時刻を告げる鐘の音で遮られる。

鳴り終わるまでの数秒。講師はこう締めくくる。

「貴方たちはこの迷宮区の謎の解明、及び解体を

目的とする聖なる徒。無闇にその命を散らすことの無いよう今1度気を引き締めるように」

迷宮区を神聖視している講師はパタン、と教本を閉じると、足早に講義室を出ていった。――扉をくぐる直前、隼人を睨むような視線を残して。

入れ替わるように室内は喧騒に包まれる。

「今日どこで飯食う?」

「昨日は4層まで潜ったよ」

「今更こんな授業聞き飽きたっての」

皆各々に雑談を、昨日の実技講義の成果を、或いはこんな初歩中の初歩の講義をする羽目になった原因への愚痴を。

隼人はそんな喧騒を歯牙にもかけず、講師同様足早に講義室を出ようと立ち上がり、脇の階段に足を向ける。


――同時。若者たちの喧騒が波を引くように静まり返った。


正しくは相手に聞こえるのが恐ろしいゆえか、密やかな声量に変わっている。

生徒の注目の先、講義室の入口に隼人は一時足を止め、胡乱な視線を向ける。

予想通りというべきか、そこには先日目撃した白の死神が立っていた。

年の頃は隼人と同じく17。雪景色の長めの髪に底に黄金の光を散らした瑠璃色の瞳を持つ、浮世離れした少年。

改めて見ても、一切の綻びのない美しさ。

普段は何事にも興味を示さないであろう無機質で機械的なその、少年の瞳は。

「……」

間違いなく隼人に向けられていた。ついでに言うと「もの凄く不機嫌です」と顔に書いてあるおまけ付き。

射殺すような少年の眼光から、隼人はぐりんっと目をそらす。目力だけで殺されそうだ。

「ハヤト・クサナギ。話がある、来い」

凛と透き通った声音は張ることもなく、静まり返った講義室によく響く。その美声に数少ない女子生徒はもちろん男子生徒までもがほぅ、と間の抜けたため息を零す。

声をかけられた当人はと言うと。

「生憎と、俺はこれから質素な昼飯の時間でね。エリート様にはわからんだろうが俺の唯一の憩いの時間を取らないで欲しいな」

「…今おれのことをなんて言った?」

「エリート様」

「おれの名前はヴァイスだと伝えたはずだけど?」

「下々の者に偉大な第1級調査員資格を持つエリート様を名前呼びだなんて恐れ多い」

ひらひらと片手を振りながら、隼人は少年――ヴァイスの前を素通りする。

――ガンッ!と割と本気で壊れる勢いで講義室の扉が蹴り上げられたのと、隼人が敷居をまたごうとしたのはほぼ同時だった。

音がした方を見下ろすと、ヴァイスの長い足がちょうど隼人の行く手を阻むように塞がれている。

隼人は半目で足の主へと視線を移しつつ、再度認識を改める。

見た目に騙されることなかれ。この少年、綺麗な顔して意外に俗っぽい行動が目立つ。

そしてこの死神。

「茶化すな。話があると言っているだろう」

「お前こそ聞いてなかったか?俺はこれから飯の時間」

「栄養摂取なら話を聞きながらでも問題ない」

「それが人にものを頼む態度か?あ"?」

――絶望的に馬が合わない。

「なんだ落ちこぼれ、『死神』を手に入れたというのは本当だったんだ」

一触即発だった2人に割ってはいる形で、第三者の問いかけが背後から投げられる。

落ちこぼれ――それが草薙隼人の聖グリエルモ学院での肩書きだ。

無視を決め込みたいところだが、後々が面倒だと隼人は嫌々振り返る。

一番上の中央の長机。頬杖をつき悠々と座るのは、貴族階級の少年だ。

『近接歩兵科』の赤色と真反対。マリンブルーの長髪は魔法適正――特に水系統の魔法適正値が高い証拠だ。絹のように手入れの行き届いた髪は綺麗に編み込まれ、ひとつに束ねて背中に流されている。

その紫瞳は先程の強気な発言の通り貴族階級特有の自信に満ち溢れ、ぎらついた光を称えている。

まるで獲物を前にした肉食動物のようだ。

「どういう狡っ辛い手を使って手に入れたのか、このオリバー・ブルームフィールドに是非とも聞かせてもらいたいね」

なぁ?と同意を求める声に周囲の取り巻き共は顔色を伺うように引きつった笑い声をあげる。

…一応と、完全に『モノ』扱いをされた当の死神様を隼人はそろりと窺う。

しかしヴァイスはどこまでも興味なさげに、薄ら寒さすら感じるほどの空虚にオリバーを眺めていた。

まるで、そんなことは知っていると言いたげに。

ヴァイスのそんな冷めきった瞳を、オリバーは気付かない。彼は何を思ったのかガタンと音を立てながら席を立つ。

ヴァイスまでとは言わないまでも、十分に整った顔に微笑を浮かべつつ、オリバーは隼人とヴァイスの立つ講義室入口へと近づくと、2人の前で足を止めた。

おもむろに、陶磁のように青白い死神の顎を掴みあげる。

「それにしても実物は本当に美しい。これで戦闘能力は迷宮生物並に化け物じみているというじゃないか。…こんな落ちこぼれより益々僕の方が所有者に相応しい」

ビイドロの中の黄金を舐めるように、オリバーは顔を近づける。

ややあってその手を振り払ったのは、隼人だった。

「男同士で気色悪ぃ。趣味でもなけりゃ女相手にやってろタラシが」

「出来のいい美術品ほど、間近で見てみたいものだろう?」

「こいつは『モノ』じゃない」

『モノ』じゃない、という隼人の発言に、ヴァイスは僅かに目を見開いた。…なんだその目は。お前が言わないから俺が言ってやったんだろ。

隼人の無遠慮な物言いに、オリバーは気分を害したように顔を歪ませる。

「はっ、かの有名な『英雄』様の弟君には 『モノ』扱いは気に障ったかな?」

オリバーの言葉に、今度は隼人が顔を歪ませる。注意深く見ていなければ気づかないほど、押され込まれていたが。

しかしその僅かな苛立ちを、獲物がかかったとばかりにオリバーは見逃さない。

「いや、正しくは『英雄』だった愚者の弟、だったかな?人間堕ちるのは一瞬というけれど、彼は史上最悪の反英雄だ。君もそう思うだろう?」

『堕ちた英雄』『反英雄』『大量殺戮者』。隼人の実兄でありかつて数多の誉を欲しいがままにした『タキオン』本体所属第一級戦闘調査員・草薙一樹を表す言葉は、全てが彼を嘲るものばかりだった。

当然弟である隼人の耳にも届いているし、本人自身もそう思っている。

兄さえ――あの糞野郎さえ居なければ、と。

「しかも当の弟君はなんの取り柄もない、戦闘能力も並以下、異能力ない魔法適正も最低の落ちこぼれと来た。兄も弟も揃いも揃って害悪――」

刹那。一筋の疾風が巻き起こる。

化け物じみた速度で目の前の死神は腿の拳銃嚢(ホルスター)から自動拳銃を引き抜くと、勢いそのままにオリバーの口内へ銃口を突きつけた。

「――っ!?」

今この講義室でその動きが追えたものは、誰一人としていないだろう。

気がついたら、口の中に拳銃を突っ込まれた。その事実だけが今目の前にある光景だ。

「――今の言葉、撤回しろ」

自身を『モノ』扱いされてなお動かなかった少年は、しかし今は誰の目にも明らかな憤怒を纏った激情の表情でオリバーを睨みつける。

間違いなくぶちギレている。

「っ?!~~!!」

「お前がカズキの何を知っていると言うんだ?今の君にカズキと同じことができるか?戦闘技術も、能力も人柄も何もかも劣等な君がカズキ以上の結果を出すことができるのか?」

言い返そうにも撤回しようにも、口内に銃口を突き込まれている時点でオリバーの声は形になることは無い。

彼の懸命な声にならない叫びをまるで羽虫が飛ぶが如く、耳障りだとばかりにヴァイスはごく自然に引き金にかけた指に力を込め――。

「『止まれ』ヴァイス!」

『命令詞』と『名前』。キーコードを正しく理解した制御装置は、着用者の右耳で仄かに紅色を帯びると、ヴァイスの動きを強制的に拘束する。

「貴様…っ、」

「こうでもしないとお前、こいつのこと殺すところだっただろ」

制御装置によって体内電流を操られ拘束されてもなお、噛みつきそうな勢いで凄んでくるヴァイスの手から自動拳銃を奪い、隼人は半目で距離を置く。

このままにすると本当に噛み付いてきそうだったので、己の安全が確保される距離を置いて、ようやく隼人は制御装置を解く。

「表層ごときで自慢話をするレベルの低い人間なんて、1人死んだところで影響はない」

刺すような視線を隼人に向けつつ、ヴァイスは不機嫌極まりない声で吐き捨てた。クソ兄貴を貶された件含め、制御装置を使われたことが心底気に入らないらしい。まぁそれもそうだ。

「お前、そういうこと言うなよ」

「事実を言っているだけだけど」

「だからってもうちょっと言い方をだな」

お互いに『役立たず』だと思っている分、2人の掛け合いは平行線だ。あーだこーだと不毛な議論をしている2人だったが、歯と歯が激しく軋み合う不穏な音で我に返る。

「…劣等生の分際で…っ」

キレた。

激情そのままに左腰に佩いた長剣の鞘を掴み荒々しく引き抜くと、オリバーはその切っ先をびたりと隼人に突きつける。

「表に出ろ落ちこぼれ。オリバー・ブルームフィールド自ら調教し直してやろう」

「調教するならこいつだろ」

「飼い犬の不始末は飼い主が責任を取るのが当たり前だろう」

隣に立つヴァイスを指さしながら反論するも、俺ルールで無視。一体どこの国の常識だ、という反論をしたところでもう遅い。

オリバーの言葉を聞いた講義室内はおろか、廊下にいた生徒たちは既に「待ってました!」「喧嘩だ喧嘩だー!」とお祭り騒ぎである。対岸の火事と思って面白がりやがって。

この調子だと学院中に広がるのも時間の問題だろう。

今日は昼飯抜きだな、と自身で言った通り唯一の憩いの時間を早々に隼人は諦めた。

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アノニマス||カタグラフィ 和泉宗谷 @izumi_x0

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