1-1.死神様のお成り
――だから言ったのに。
そう呟こうとして、周囲に人間は己ただ1人だと言うことを思い出し、草薙隼人は口を噤む。
虚しくなるだけだ。
年の頃は17。スラリと伸びた手足に適度に鍛えられ引き締まった身体付きの少年だ。
相応の身だしなみをすれば幾人かは振り返りそうなそれなりに整った顔立ちは、今は焦りと苛立ちから歪んでしまっている。
東方では中々見かけない赤銅色の乱雑に切った髪をくしゃりとかき混ぜ、薄暗がりの中でも幽かに光る紅玉の瞳を固く閉じる。
『 これだから、考え無しのお調子者に付き合うのはゴメンなんだ…っ!』
事の発端は数時間前に遡る。
イタリア中心区旧ヴァチカン市国跡地に新設された聖グリエルモ学院高等科2学年午後の授業は、学院の下に広がる迷宮区『サンクチュアリ』の実技講義だ。
実技講義 と言っても、現地で教員から直接授業を受けるのではなく、自分たちで戦術、フォーメーション、マップ制作などを行い、時間になったら現地解散が許されるもので、乱暴な言い方をすれば「放任主義」極まりないやり方である。
しかしながら、座学に関しては学院高等科1年前期の時点でほぼ完了するので、あとは現地で実際に経験値をあげるのが1番生存率が上がる。そういった観点ではある意味親切な講義スケジュールだ。
そう――こと『サンクチュアリ』に入ってしまえば、例え座学の成績がトップであろうとも生き残れるとは限らないのだから。
実技講義は『近接歩兵科』『中遠距離戦闘科』『後方支援科』『特殊戦闘科』『戦略立案科』の5クラス合同で行われ、同じ学年内であれば他クラスの生徒ともグループを組むことが可能だ。
勿論、一人(ソロプレイ)も出来るにはできる。
『近接歩兵科』所属を表す裏地の赤い制服に袖を通しつつ、草薙隼人はいつもの通り最上層の初心者エリアで一人適当に時間を潰そうと早々に決めた。
「――ハヤト、今日も1人か?」
自身の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこには同じ近接歩兵科の赤に身を包んだセオ・ターナーが片手を上げている。
「も、は余計だ」
「だって編入してきてからチーム組んでるところ見たことないし」
「周りが距離を置くからだろ」
最低12歳から入学可能な聖グリエルモ学院において、17歳から編入する生徒はイレギュラー中のイレギュラーだ。極東出身ともなれば尚のこと目立ち、当たり前のように隼人はクラスで、いや学院中の生徒から忌避されている。
――まぁ、彼本人に限れば理由はそれだけでは無いのだが。
閑話休題。
「それはハヤトのせいでもあるよ?みんなと打ち解けようとしないから」
「必要性を感じない」
「またそういうこと言う」
「それにチームを組んだらより下層に潜らされるだろ?そんなのごめんだね。だって――」
「「死にたくないからな」」
計ったように続く言葉をセオは被せてきた。
む、と正面に目を向けると、眼前の顔にはあからさまに『してやったり』と書いてある。
「そんなボッチのハヤトを、本日はご招待にあがりました」
『ボッチの』の時点で「ボッチじゃねぇ」と隼人は口を挟んだが、見事にスルー。
まるで舞踏会で紳士が淑女の手を取るような綺麗なお辞儀をセオは披露した。洗礼された、お手本のようなお辞儀。
「君がどうして一人で居続けようとしているか、オレには分からない。けどね、オレは友人に一人で死んで欲しくないんだ」
先程の巫山戯た表情は消え、まるで駄々をこねる子供を諭すように真面目で、それでいて優しい声音でセオは語りかける。
セオ・ターナーは隼人が編入してきて唯一関係を持とうとしてくれる同級生だ。
ダークブラウンの髪は綺麗に切りそろえられ、挙動の端々から育ちの良さが伺える。思慮深い新緑の瞳は、隼人を心の底から心配しているせいか、その色はより深みを増している。
他人を最初から最後まで疑ってかかる隼人からすれば、こういう手合いはとことんやりずらい。
「~~わかった、今回だけだ。だからそんな顔するな」
「ハヤトって、意外に押しに弱いよね」
自覚がある分、セオの言葉に締りが悪そうに視線を泳がす。
「ハヤトの気が変わらない内に早いところメンバーと合流しよう。さ、行こうハヤトっ」
セオの声音からは隠しきれない嬉しさの色がまじる。隼人が編入してきてからひと月、声をかけ続けた成果がようやく実を結んだのだから仕方ない。
その事にさらに気恥しさを感じながら、隼人はセオの背中を追いかけた。
――それからの経緯は、説明するのは容易い。
まずセオに連れられ、向かった試験調査団のメンバーは隼人とセオを含めて6人。
チームリーダーは『いかにも』というお調子者かつ自信家。『いかにも』な取り巻きを引き連れ迷宮区上層で実技講義を行うも、「今日は調子がいいから、下の階層まで進んでみようぜ?」と訳の分からない自信によって強行進出。
――結果、見事に隼人以外のメンバー全員が迷宮区の地面に還った。
「最上層の雑魚相手にさえ手間取ってどこが『調子がいい』だよ」
セオの最期は、確認していない。
彼は最後まで殿を務め、生存を確認するために時折呼びかけた声に、いつの間にか返答が返ってくることは無くなっていた。
最後尾を走っていた取り巻き1号が『食われた!』と叫んでいたので、そういうことなのだろうとその時隼人は切り捨てた。
最後まで本当にお人好しで、自分より他人の心配だけして逝った。
「…本当、馬鹿なヤツ」
どうしていつもいつも、こういう馬鹿なヤツに限って先に逝ってしまうのか。
――俺ばかり、置いていかれる。
隼人は零れそうになる感傷を理性で心の奥底へしまい込むと、固く閉じていた瞼を開ける。
「さて、俺みたいなへっぽこ一人で生還できるとは思えないが、足掻いてみるか」
自身のモットーである『死なないため』に、迷宮区の地図は全フロア最新のものを頭の中に叩き込んである。
迷宮生物との会敵を下げつつ上層へ続く最短距離を算出していると、不意に自分以外の気配を察知し隼人は息を忍ばせる。
「…けて、助けてくれ…っ」
予想外の人間の声に、隼人は反射的に隠れていた物陰から飛び出す。
声の元まではさほど時間もかけずに到着する。迷宮区の大通路のど真ん中で、声は力なく伏していた。
迷宮区の薄暗い明かりの中でもなお映える、純白と蒼碧の団服。
それは、数ある調査団の中でも選ばれたものしか着ることの許されない特別な団服だ。
「――タキオンの調査団員か?」
多国籍最上位迷宮区調査打撃群・通称『タキオン』。準1級以上の調査団員のみで構成されるエリート中のエリートが、何故こんな上層近くで死にかけている?
「っ、おいあんた俺の声が聞こえるな?今回復用の聖石を――」
浮かび上がる疑問を捨ておき、隼人は死にかけの『タキオン』所属団員に呼びかける。いくら他人に執心がない隼人でも、目の前で死にかけている人間を見捨てられるほど非道ではない。
意識をつなぎとめるための呼び掛けに、しかし青年の団員は答えずに腿のポケットに伸ばしかけた隼人の腕を掴む。
「頼む…、これを…っ」
「いだだだ無理やりはめるなサイズ合ってないだろそれ!?」
痛みに耐えきれずに掴まれた腕を乱暴に引き離すと、右手親指には見慣れない白銀の指輪が嵌っていた。
一見なんの変哲もない指輪のようだが、しかし凝視すると中心に輪をかけるように一周した紅いラインが、脈を打つように脈動している。
そのわずかの時間で、隼人の脳内でアラートが鳴り響く。
「おいこれなんだよ!?変なもんじゃねぇだろうなっ面倒に巻き込まれるのはゴメンだぞ!」
先程までの気遣いの声音はどこへやら。無理やり指輪を嵌めた青年を見下ろし怒鳴り散らすも、既に青年の瞳は焦点を結びはしない。
ただ、一言。
「よかった…これで、解放される…」
そして、事切れた。
隼人は行き場を失った苛立ちを堪えるように大きく嘆息すると、虚ろになった瞼を閉じる。
「…せめて、安らかな眠りを」
――隼人の右斜め前方の壁をぶち抜き、『異形 』が姿を現したのは、その直後だった。
瓦礫の中から這い出て来たのは煙のように朧気な『異形』。まるで血煙のように赤みがかった煙の全身に、しかしその巨体を支える6本の足は何百年と生きた樹木の丸太のような太さがある。頭部とは逆、臀部に蠍の毒尾を持つ『人を食らう生物』。
「マンティコア――!?中層域の怪物がなんでこんな所に居るんだよ!」
中東アジア地域に生息されていたとされる伝説上の生物の名を冠する迷宮生物は、周囲をぐるりと見渡すと、その瞳に『食料』を映す。
しまった、と思った時には既に遅い。最上層付近の初級モンスターにも手こずる隼人に、中層域の怪物に勝てるはずもなく。
美味しそうな、出来たてのお菓子に手を伸ばすように無邪気に、そして欲望丸出しに眼前に迫り来る巨大な爪を生やした前足をぼんやりと眺めつつ。
あぁ、死んだな――。
――両者の間に音もなく『それ』が舞い降りたのは、その時だった。
純白と蒼碧の『タキオン』所属を表す外套をはためかせ舞い降りたそれは、着地と同時に腰の拳銃嚢(ホルスター)から自動拳銃を引き抜き、発砲。
一寸の狂いなく朧気で輪郭の定まらないマンティコアの頭部中心部・水晶核を撃ち抜くと、ダメ押しとばかりに立て続けに3発。
断末魔を上げ崩れ落ちるマンティコアの振動と、4発分の空薬莢が地面を叩くのは、ほぼ同時だった。
音もなく現れ、一切の余分なく命を刈り取る姿は正しく。
「……死神」
隼人の無意識に零れた呟きに、ややあって目深に被っていたフードを取り払いながら白い死神は振り向いた。
およそ人間とは思えないほどの雪景色の髪。その長めの前髪から覗く瑠璃色は、まるでビイドロのように澄んだ瞳だ。その瞳の底には、いつか見た黄金が星のように散っている。
ただ一つ、右耳のイヤーカフの紅色だけが異質だった。
――綺麗だ。
その恐ろしくも美しい造形美に、隼人は柄にもなく思う。それ以外に形容しようのない程に、目の前の死神は完璧だった。
「――君は、」
その容姿に見合う艶やかな声音はしかし、どこか機械めいた硬質さを内包していた。事実死神本人は何事にも興味はないという雰囲気を全身から醸し出していた。
それも、そのビイドロの瞳に隼人を映すまで。正確に言えば、隼人の右手親指に嵌められた紅色の指輪だ。
「っ、その指輪…!?」
死神はあからさまにぎょっとした表情になると、その造形美を崩しながら隼人に詰め寄ると、指輪目掛けて腕を伸ばす。
「今すぐその指輪を外せ!」
「はぁ!?なんだいきなり外せるもんならさっさと外してるわ!」
「この…っ、」
隼人の言葉を『否定』と受け取ったのか、死神は無理やり外そうと強引にその腕を掴む。
このまま成されるがままにすれば、すっぽりきっかりはまった親指ごと抜かれかねない。
「わーバカバカやめろ!俺の親指抜くつもりか!?ちょっと待てって言ってるんだよっ!」
何の変哲もない、極めて普通の言葉を言ったつもりだった。
隼人の口から『待て』の一言が発せられた直後、バチッと何かが爆ぜたと思うと、目の前の死神は小さな呻き声を上げその場に崩れ落ちた。
急展開に次ぐ急展開に、隼人の思考は追いつかず、次の行動に移るまでたっぷり数分を要した。
「…え~っと、大丈夫か?」
この瞬間も地面に倒れ伏している時点で、大丈夫では無い。
恐る恐る顔を覗くと、どうやら気を失っているようだった。
ふと、完璧な死神の中で唯一異質な右耳のイヤーカフを見留め、隼人は記憶の中の類似品に思い至った。
「迷宮生物のテイム用制御装置…ってことはあの噂、」
口に出かけた問いを、隼人は途中で止めた。
そういえばと、自分は1人迷宮区内で孤立していたことを思い出し。冷静になったところで目の前に転がる1人分の死体と異形の怪物と、そして精緻なドールのような死神をぐるりと順番に見回して。
「…これ、置いてっていいかな…」
1人迷宮区の天井を仰いだ。
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