第5話 研究室

 翌日の午後、私は講義を終え教授の研究室へやって来ました。

 ……ここまでやって来る間、とてもとても大変でした。

 

『王国最高の魔法士である教授の、しかも『剣姫』がいる研究室へ入る新入生』


 故郷でもそれなりに注目はされてきましたが、ここまでじゃありません。

 第一、私は


「……面接らしい面接も受けてないですし」


 脳裏に、微笑んでいる先輩の顔が浮かんできます。

 あの人は一体、私の何を評価したんでしょうか?

 成績? 

 ……王立学校を一年で卒業したことに比べれば、私の成績表なんてゴミ以下です。何の価値もありません。

 私が珍しかったから?

 ……そっちの方が可能性は高いですが……帽子を被りなおします。

 意を決し、扉をノック。


「失礼します」


 我ながらガチガチに緊張しています。情けない。

 中からは少年の穏やかな声。「どうぞ、開いてます」。

 扉を開け、中へ。

 研究室内にいたのは、ソファに腰かけらているリディヤ先輩と、立ち上がって紅茶を淹れられている先輩。教授の姿は見えず、執務机の上では黒猫が丸くなっています。


「やぁ、テト。待ってました。紅茶でいいですか?」

「あ、は、はい!」

「緊張しないでほしいですね。今日からは君は僕達の後輩になるんですから。記念日ですし、教授秘蔵の御菓子を出しましょう」

「え、ええ? だ、大丈夫、なんですか?」

「……大丈夫よ。ここにある物は私の物。つまり、あいつの物だから」

「は、はぁ」


 リディヤ先輩が、突然、口を挟んできました。

 ……見るからに不機嫌。怒っている、というよりも、拗ねているように見えます。

 なのに、視線は私へ命令。『とっとと、座りなさい』。

 私は先輩へ必死に救援要請。先輩! せ、説明を!! もしくは、後輩を救っていただきたく……


「アンコさんも食べたいんですか? ん~……本当は駄目なんですけど……今日は記念日ですしね、特別です」


 つ、通じてない!?

 いえ、違います。視線は間違いなく交錯しました。

 つまり、これは……わざと、わざとですっ!

 ひ、酷いっ! 初日で緊張している可愛い後輩を見捨てることが、この研究室の伝統なのですか!? 

 ……はっ! そもそも、先輩達が一番最初の研究生なので、伝統も何もありませんっ!! くぅぅ……き、汚いですっ。これが、天才様のやられることとは到底


「テト」

「は、はいぃぃ!!」


 直立不動になり、手と足を同時に出しながら前進。少しだけ考え、恐る恐るリディヤ先輩と向かい側のソファへ座ります。

 紅髪の公女殿下は微かに頷きました。……命を拾ったようです。

 リディヤ先輩は白いクッションを抱きしめながら、綺麗な目で先輩の背中を追っています。

 昨日の出来事から考えて、気づいていない筈はないんですが……


「はい、アンコさん。味わって食べてくださいね? この教授秘蔵の果物ケーキは、王都でも幻の逸品。中々、買えないことで有名です」


 黒猫さんと楽しそうに会話されています。

 ……あの子、おそらく先輩の使い魔なのでしょうけど、常時、顕現している時点でオカシイです。

 いったい、どうやって魔力を賄って――リディヤ先輩がつまらなそうに呟きました。


「……アンコはあいつの使い魔じゃないわよ。教授の」

「あ、そうなんですか。先輩に懐いているからてっきり」

「……甘やかし過ぎなのよ」

「そんなに甘やかしてないと思うけど? むしろ、何処かの公女殿下を甘やかしてると思うな。お待たせ。テト、今日はそんなに甘くしてません」

「知らないっ! バカっ!!」

「あ……ど、どうも……」


 先輩が紅茶を運んできてくれました。

 とても良い香り……昨日は言われるまで気づけませんでしたが、西方産の茶葉です。落ち着きます。もしかして、この茶葉……私の為に?

 リディヤ先輩はクッションを抱きしめながら、頬を大きく膨らませて、そっぽを向いています。

 先輩が紅茶のカップを私達の前へ置きながら、自然の動作で公女殿下の隣へ座られました。アンコさんも移動されて膝上へ。


「リディヤ、紅茶が冷めるよ?」

「…………飲みやすくして!」

「まったく。後輩の前なのに、この我が儘御嬢様め!」


 先輩はそう言いながらも、カップを手に持つとミルクと砂糖を少し入れ、スプーンを優しく数度回しました。……え?

 私の鼻孔を煮出したミルク紅茶の匂いがくすぐります。

 

 …………カップの中だけで、お、温度操作を、し、た? 


 絶句する私を他所に先輩はソーサーごとリディヤ先輩へ渡します。

 優雅な動作で紅髪の美少女がカップを手にし、一口。


「…………おいしい」

「君の好みは把握してるからね。テトはこんな風にならないでくださいね? この公女殿下ときたら、昨日、妹が僕の家に泊まったことをずっと怒ってるんです」

「おこってなんか……その、ないわよ!」

「へーへー」

「こ、このっ! き、斬って、燃やすわよっ!!」

「はいはい。そしたら、毎日、紅茶を淹れられなくなるねー」

「!?!! ま、毎日、って……その……あの…………テト、気をつけなさい。こいつみたいな男に引っかかっちゃ駄目。本当に質が悪いんだから」

「失敬な。引っ掛けるも何も、そんなことに遭遇した経験がないじゃないか。テトはきっと僕の味方だよね?」

「え、えーっと……」


 先輩二人が私を見つめてきます。

 カップの紅茶を一口。


「せ、先輩が悪いかな~って……」

「ほーら、ほぉーら!」

「…………初日から、後輩に裏切られるのは辛いものだね。少しだけ教授を理解出来た気がするよ。僕の味方はアンコさんだけか」

「……アレン、最近、私に対する尊敬の念がなくなってきているように思うのだが? それは如何なものかな?? いやはや、疲れたよ。延々と『どうかどうか、再試験を!』だよ? あの二人、今時の若者にしては粘り強くはあるが、長生きは出来ないね。もう数日もすれば」


 突然、執務机奥から飄々とした声がしました。

 椅子に座られながら、眉間を押さえているのはこの部屋の主である筈の教授です。

 ……魔力は感じませんでした。いったい、どうやって? それに、あの二人??

 私の疑問を他所に先輩は両手を掲げ、首を振られます。


「まさかまさか。僕は教授を尊敬しています。ですが、出来ればもう少しばかり、真面目に職務を遂行していただきたい、と教え子として思っているだけです。……具体的に言えば、僕へ細かな魔法やら魔道具やらの解析や調査を振るのではなく、偶にはご自身でですね」

「ほぉ。では、私がやって君の功績へ加算しても良いと?」

「なんでそうなるんですか! そこは素直に御自身へ足してください」

「古い文献や暗号ならいざ知らず、大概のことは君がした方が早い。あと、私はもう隠居を待つ身。これ以上の功績なぞいらないと以前から言っているだろう? ただでさえ君が受け取らぬものだから、私のせいになっている。今が限度だ。そうは思わないかい? リディヤ嬢」

「ま、一理あるわね」

「リディヤまで……酷いよ……」

「酷くない!」


 ――……今、衝撃的なことを聞いた気がします。

 教授は前王宮魔法士筆頭にして、現国王陛下の魔法の師。

 その人の所に持ち込まれる事案が『細かな』ものである筈もないわけで。

 ……お腹が痛くなってきました。

 わ、私、こんな研究室へ入って大丈夫なんでしょうか。

 教授が、ニヤリ、と笑われます。


「ああ、テト嬢。大丈夫だよ。君の思っていることが普通なんだ。この二人がとびきり変なだけさ。何しろ、当代『剣姫』とその相方『剣姫の頭脳』だ。この二人に勝てる剣士や魔法士なんて、王国内でも数える程しかいない。大陸でも二十には届かないだろう」

「……教授、まだそんな変な異名を広めようとしているんですか? 最近、地味に広まってきていて嫌なんですけど」

「君はそうだろう。が! くっくっくっ……隣を見たまえよ?」

「? 何を言って――……リディヤ・リンスター公女殿下?」

「あ、あんたは、か、仮にも、私の相方なんだから、異名の一つもあった方がいいでしょう?」

「いや、なくても」

「い・い・の! ……妹さん以上に私を甘やかすのはあんたの義務!」

「……テト、気にしないでくださいね。僕は見ての通り普通の一般平民です」

「え? 先輩は変だと思いますけど?」

「…………テト」

「ほら? この子の方がよっぽど分かっているじゃない?」「アレン、いい加減、認めてしまえば楽になれるんじゃないかな?」


 目の前で先輩が項垂れ、リディヤ先輩と教授が笑われます。

 でも、普通の人は魔法を消したり、『剣姫』の相方なんかになりません。

 控えめに見て……この人は、今後、王国の屋台骨を長く支えられることになるでしょう。 

 先輩は膝上のアンコさんを撫でられます。


「……みんなやらないだけなんですよ? 僕に出来たんだから、誰にだって出来ます。少しばかり積み重ねの時間に差が」


 膝上の使い魔様が前足で先輩のお腹を叩かれます。

 今度こそ、逃げ道を喪った少年は嘆息しました。


「…………分かりました。そこまで言われるなら、証明してみせましょう。ね? テト?」

「……はい!?」

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