2「いま一番望んでいること」
青い空、青い海。白い砂浜に眩しい太陽。
どこの島かもわからない、自分たちしかいないビーチでわたしは泳いでいた。
こんなの女子高生ができる贅沢じゃないよ。
「こんなに綺麗な海、わたし初めて見た。すっごい透明じゃん」
「は、はい……私もです。これはきっと、夢ですよ……」
浮き輪に乗ってぷかぷか浮かんでいる明伊子ちゃんがそんなことを言う。
だよねー、夢だと思っちゃう状況だよ。
わたしはちらりと砂浜の方に目を向ける。
高校の制服を着たまま仁王立ちしている彼、ムーの戦士が、わたしたちをここへ連れて来たのだ。
明伊子ちゃんへのご褒美。
わたしたちは
うん、夢だと思う方が正常な気がする。でも現実なんだよなぁ。
「ところで……木ノ内さん」
「うん? なになに、明伊子ちゃん」
「水着に着替えた時にも思ったんですけど、足……綺麗ですね」
「あ、明伊子ちゃん嬉しいこと言ってくれる~。ちょっとねー、足には自信あるんだよ」
いわゆる美脚。よく言われるから自覚もある。わたしが唯一自慢できること。
木の妖精なんてあだ名が無ければ、わたしも結構いい感じだと思うんだけどな。
「ていうか明伊子ちゃんのがスタイルいいよね? 腰ほっそいし、胸あるし?」
実はわたしも着替えの時に思ったのだ。負けたと。
この子脱ぐとすごい。わたしは足以外負けたのだ!
「そ、そんな、私なんて……木ノ内さんみたいに自信を持てません」
「自慢していいと思うけどなぁ」
照れて顔をまっかっかにしちゃう明伊子ちゃん。
長い前髪で見づらいけど可愛いな。
そんな女子トークを二人でしていると、
「キミたち、そろそろ次に行こう」
砂浜にいる夢羽くんから声がかかった。ていうかずーっと仁王立ちしてたな、彼。
わたしは名残惜しかったけど海から上がる。
「ふう。夢羽くん、次ってどういうこと?」
「まだ終わりじゃないという意味だ。さあ、僕は向こうを向いているから、岩陰で着替えてくれ」
「ムーの力で覗かないでよ?」
「もちろんだ」
冗談で言ったんだけど、その『もちろん』は覗こうと思えば覗けるって意味?
やべーなムーの戦士。
「あ、あの、タオルが……ありません」
「大丈夫だ、必要無い」
夢羽くんがそう言うと、海水で濡れていたわたしたちの身体が一瞬で乾いた。
「ほんとなんでもありかよムーの戦士」
「もう、価値観が変わりそうです……」
*
「……――っぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
女子高生らしからぬ悲鳴を上げているわたしは、いま、大空から落ちて雲へと突っ込んだところでぇす! もちろんそのまま突き抜けフリーフォール! パラシュートなんてありゃしない! 真っ逆さまに落ちていくだけ!!
「すごい悲鳴だな、星見」
「あっ、あんたねぇ!」
そんなわたしの隣りで直立不動でスーッと落ちていく夢羽くん。ご自慢の銀髪がまったく動いてないから違和感がすごい。合成映像みたいになってるぞムーの戦士。
「明伊子を見ろ、落ち着いてスカイダイビングを楽しんでる」
「いやそれ気を失ってるから! 明伊子ちゃん、起きて!!」
白目を剥いていた明伊子ちゃんがハッと目を覚ます。
「あ……私、死ぬ?」
「死なないから! 死なないよね、夢羽くん!」
「当たり前だ」
ああもう、落ち着いてる夢羽くんが腹立たしい!
どうせムーの戦士の力で地面に激突することはないんでしょ? わかっててもこっちは怖いの!
「ていうか、もう、じめんっうわぁ!」
地面が近づいてきた、と思った次の瞬間にはもう目の前まで迫っていて――そこで体がふわっと浮いた。
ほんと……ぶつからないとわかってても恐ろしいよ。
「どうだ。スカイダイビングは楽しめたか?」
「いやこれ、どっちかというと超高高度からのバンジージャンプでしょ……パラシュートないし、景色を楽しむ余裕なかったし」
「あわわわわわ……」
明伊子ちゃんまた気絶しちゃったし。
「そうか、落下スピードを考えるべきだったな。よし、やり直すか」
「いい! もういいから! 二度とやるな!」
「ハッ。私……死んだんですか?」
「生きてるよ明伊子ちゃん! しっかりして!」
明伊子ちゃんが正気に戻るのを待ち、結局スカイダイビングをやり直した。今度はゆっくりふわふわ降りて行ったから……うん、とっても気持ちよかった。前言撤回、これなら何度でもやってほしい。
そして、夢羽くんによる明伊子ちゃんへのご褒美はまだまだ終わりじゃなかった。
「明伊子ちゃん知ってる? カナダでは冬の湖に天然のスケートリンクができて、そこで滑ることができるんだって」
「聞いたこと……あります」
「気持ちいいだろうね~。湖だよ? すごく広いだろうしさ」
「うん……あの、木ノ内さん」
「わかってる、わかってるよ明伊子ちゃん。わたしたちは今そんなの目じゃないくらい広いとこで滑ってるね」
そう、この非現実的な光景から目を逸らしてしまっただけだ。
湖よりもずっと広い。海の上で、わたしたちはアイススケートをしていた。
「さすがに頭がおかしくなりそう。ちょっと暑いくらいなのに、海面が凍ってるんだよ?」
「感覚が……狂っちゃいそう」
「太平洋の真ん中に戻ってきたからな。海面はムーの戦士の力で凍らせているが、気温も下げた方がいいか?」
「いいよ! エアコンかよ!」
いやこれやっばいな。地平線しか見えない海の真ん中でアイススケートとかあり得ないでしょ。あり得ないのにすっごく気持ちいいんだよ? すいすいーっとどこまでも滑って行けそう。
「いたっ!」
「あ、明伊子ちゃん大丈夫?」
「はい……」
振り返ると、明伊子ちゃんが転んでいた。
わたしは小さい頃よくスケートに連れて行ってもらってたから得意だけど、明伊子ちゃんはそうじゃないらしい。
「掴まって」
「ありがとう、木ノ内さん……」
「明伊子ちゃんもしかしてスケート初めて?」
「いいえ……。少しだけ。でも支えがないと滑れなくて」
「ああー外周掴まって滑るタイプかー。確かにここなんにもないもんね。じゃあわたしに掴まってていいよ」
「でも……」
「大丈夫大丈夫。ていうか滑らなきゃ損だよ! めちゃめちゃ気持ちいいから!」
「……そうですね。ありがとう。……でも、その。なんか……」
「なになに、まだ遠慮してる?」
「そうではなく……。浮いて、ませんか?」
「浮く? 普通に足はついてるけど――??」
足は氷についている。だけどなにかがおかしい。周りは地平線しかないからわかりにくいけど、その地平線が――動いてる?
「もしかして氷が浮いてるの!?」
やっと気づいた。わたしたちが乗っかってる海水の氷が宙に浮かんで、ゆっくりと上昇している。
「思ったより早く気が付いたな。もっと高いところで教えようと思ったんだが」
「は、ははははは……そーだよね、海を凍らせられるんだからそれを浮かせるのなんてわけないよねー」
「き、木ノ内さんも……感覚が麻痺してきましたね」
「もうそういうもんだって受け入れるしかないなーって」
理解を諦めた。それが麻痺って言うのかもしれないけど。
「ではこれはどうだ?」
そう言って夢羽くんがパチンと指を弾くと、
――ぱしゃんっ!
わたしたちの足もとを残して氷が一瞬で溶けた。そして、
ザバァァァァァァァァァ!!
溶けた水が豪快に海に降り注ぐ。
「ちょっと夢羽くん! なんで溶かしちゃったの? 一歩も動けないんだけど!」
残った氷は肩幅くらいしかなくて、スケート靴だからツルっといきそう。しかもいつの間にか結構高くまで浮かび上がってるもんだから、ぶっちゃけ怖くて声が荒くなった。
「心配はいらない。一歩踏み出してみてくれ」
「えぇ? なに言って――ん?」
踏み出す必要もなく、話してるうちにわたしの足はスーっと前に出ていた。
でも氷から落ちることはない。氷の形が変わっている。まるで足の動きに併せて氷も動いたみたいだ。
「ってまるでじゃないな? これ氷が動いてるよね?」
「その通りだ。海の次は空を滑ってもらおう」
「こ、転んでも……大丈夫、ですか?」
「もちろんだ。転ばないよう空気の塊で作った見えない手すりを用意した。掴んでみて欲しい」
「わ……本当、なにか、ある……」
いやもうほんと、なんなの夢羽くん。ムーの戦士どんだけすごいの。
「あーもういいや! 考えるだけ無駄無駄! 明伊子ちゃん、滑ろ!」
「は、はい!」
わたしは明伊子ちゃんの手を引っ張って空を滑る。
動きに併せて氷が伸びていく。空に描く氷のシュプールだ。
「ていうかやばっ! 明伊子ちゃんこれヤバくない? すっごい気持ちいいー!」
「空を……駆けてます……!」
「そうそれ! これ日本まで滑って行きたいくらい楽しい!」
「ふむ、それはなかなか大変だぞ。星見の体力が先に尽きる」
「あっはははは! 冗談に決まってんじゃん夢羽くん! ていうか名前で、よ・ぶ・なー!」
あぁテンション上がり過ぎてやっばい!
ジャンプして転びそうになっても空気の塊? が支えてくれる。だから無茶苦茶滑っても大丈夫。フィギュアスケートの真似して回ってみたりしても転ばないから安心! 子供に戻ったみたいにくるくると空を駆け回った。
あーほんとやばい。明伊子ちゃんのご褒美なのにわたしめちゃめちゃ楽しんじゃってるよ!
「って、なんで明伊子ちゃん滑らないで見てるの!?」
「疲れたのと……木ノ内さん、やっぱり足が綺麗だなって思って」
「おっとー、わたしの足に魅了されちゃったか。しょうがないなー」
……なんて言いつつもさすがにちょっと恥ずかしくなって明伊子ちゃんたちのもとへ戻る。
「楽しんでもらえたようでなによりだ」
「まあねー。こんなの絶対できないことだから」
「はい……楽しかった、です。でもいいんでしょうか……? こんな体験、してしまって」
「気持ちはわかるけどね。でもま、いいんじゃない? ご褒美はありがたく受け取っておこうよ明伊子ちゃん」
確かに普通ではあり得ない、不可能な体験だった。
でもそれを言ったら明伊子ちゃんの不運だってあり得ないレベルなんだし。
そんな不運に負けずに頑張ってきたことへのご褒美なんだから、なんでもありでいいんじゃないかな。
わたしは引き続き夢羽くんからの迷惑料として受け取っておく。……ま、まだ貰い過ぎじゃないよね?
「では次に行くのが最後だ」
「まだ行くの?! あ、でも最後って聞くと楽しみになるね明伊子ちゃん」
「は、はい。でも……今度はどこへ……?」
「キミがまだ行ったことのない場所だ」
いやそりゃそうなんだろうけどさ。
夢羽くんはわたしたちの肩に手を置いて、今日何度目かのワープをする――
*
「明伊子ちゃん……来るところまで来ちゃったね」
「は、はい。……地球って本当に青いんですね」
真っ暗な宇宙に浮かぶ青い惑星。
わたしたちはいま、月面から地球を見上げていた。
もちろん制服姿のまま。
……うん、心配はいらない。ムーの戦士が一緒ならね。
でもさすがに想定外だったな。まさか月に行くなんて。そんな……。
「はぁ……」
「…………」
わたしと明伊子ちゃんは無言で地球を眺め続ける。
もう言葉が出てこない。地球から目が離せない。いつまででも見てられる。
「あの、木ノ内さん。さっきも言いましたが、わたし本当に、こんなすごい体験……していいんでしょうか」
「いいよいいよ、それだけ苦労……ううん、頑張ってきたってことだから。それよりさ、明伊子ちゃん」
「な、なんでしょう?」
「ずっと気になってたけど、同じ一年なんだし敬語じゃなくていいよ? 夢羽くんは許さないけど明伊子ちゃんなら名前で呼んでくれていいから」
「で、でも、それじゃまるで友だちみたい……」
「んもう水臭いなぁ。一緒にこんな体験しちゃった仲でしょ? わたしは海に行った辺りから友だちのつもりで接してたんだけどなぁ」
「あっ……ごめんなさい」
「明伊子ちゃん、敬語敬語」
「え、えっと、じゃあその……ありがとう、星見、ちゃん」
「うん! あ、よく考えたらすごいよ明伊子ちゃん。月面に来てこんな話するの、いままでもこれからも絶対わたしたちだけだよ」
「あっ……ふふ、本当だね」
まだぎこちないけど、笑ってくれる明伊子ちゃん。
よかった、これできっと大丈夫だよね。
「明伊子、星見。友だちができてよかったな」
「夢羽君……」
「だから名前で呼ばないでってば」
ていうかわたしは友だちいるからね?
「あの、夢羽君。これで私の不運のオーラは消えましたか?」
「オーラ? 明伊子ちゃんなに言って――あ、そうだった」
色んなことがあり過ぎて忘れてたけど、もともとはそれが目的だった。
彼女の不運を消すために、自分にご褒美をって話だった。
つまりこれで不運のオーラは無くなったってことだよね?
「いいや、まだだ」
「え?」
「不運を呼び込むオーラはまだキミを覆っている」
「そんな……」
「ちょっと夢羽くん、それどういうこと? そのためにあちこちワープして色々やったんだよね? それともまだどっか行くの? さっき最後って言ってたけど」
それに、月面よりとんでもない場所なんてある?
「星見、僕は明伊子が思いつかないような場所を選んでワープし、思いつかない体験をしてもらった。これはいわば、僕が用意したご褒美なんだ」
「名前で呼ばないで。まぁ……確かに、そうだね」
「明伊子は最初に最新のスマホを望んだが、次の望みはなかなか出てこないだろうと推測した。だから僕は、キミたちの想像も及ばない方法、場所へ連れて行き、未知の体験をさせたわけだ」
「うーん、まぁなんとなくわかったけど、それじゃ不運を呼び込むオーラとやらは消せないんでしょ?」
「そうだ。最初に言ったと思うが、それには明伊子自身の行動が必要になる。……明伊子、そろそろ出てくるんじゃないか?」
「……え?」
「キミが今、一番望んでいることはなんだ?」
ああ……なるほど、そういうことか。
夢羽くんの用意した常識外れなご褒美はムーの戦士の力を信じさせてくれた。そして明伊子ちゃんのたがを外したはずだ。ムーの戦士はなんでもできる。宣言通りなんでもしてくれる。遠慮なんて必要ない。それが十分わかった今なら、本当の望みを出すことができる。
「明伊子ちゃん、パッと思い浮かんだことでいいんだよ。夢羽くんがしたみたいなことじゃなくていい、わたしたち女子高生が思いつくことでいいんだよ」
「私は……」
明伊子ちゃんが地球を見る。暗闇に浮かぶ、青く大きな美しい地球を。
「……肉」
「ん?」
「焼肉を食べたい」
明伊子ちゃんの望み、それは焼肉だった。
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