第1262話 「骸撒」

 地界は決戦の準備で少し慌ただしかった。

 そう、少しだけだ。 地界と天界の戦力差は歴然で、普通にやるなら天界に勝ち目はない。

 これまでに行った偵察で最上位の神聖騎もおらず、今の地界の戦力なら何の問題もなく叩き潰せる。


 早々に叩き潰さなかったのは以前にセラフィム級の神聖騎の出現によって押し返された過去があったからだ。

 第一位の力は圧倒的で戦力差を容易く撥ね返す。 簡単に現れる存在ではないが、天界に一体現れた以上、二体目、三体目と召喚される可能性はゼロではない。

 万が一、大攻勢をかけて一網打尽にされるような事態だけは避けねばならなかった。


 その為、念入りに偵察と消耗を強いる為の攻撃を何度も行ったのだ。

 結果、セラフィム級は存在しない事がはっきりした。

 イレギュラーが存在しない以上、侵攻をかけない理由がないので天界を完全に滅ぼす為の軍勢を集めている。


 もう数日もしない内に第一陣が侵攻を開始し、橋頭保を築くだろう。

 デューク級を多数擁した侵攻部隊は天界を容易く蹂躙する事となる。

 人々はようやく戦争が終わると安堵し、地界の上層部は面倒な案件に片が付くと胸を撫で下ろした。


 そこに敵を滅ぼす事に対する愉悦はなかった。 彼らもこの長い戦争に疲れ果てていたのだ。

 地界も好き好んで天界を滅ぼしたい訳ではなく、必要だから滅ぼそうとしているだけなので早く終わらせてしまいたいといった気持ちが強かった。 この戦争は互いの生き残りがかかっているだけであって天界には思う所はない。


 だからといって滅んでやる気もないので彼らにできるのは可能な限り早く、そして無慈悲に天界を滅ぼす事だけだった。 全てのセフィラを破壊し、世界を滅ぼす。

 滅びの尖兵として彼らは天界へと向かう準備をしていたのだが――


 ――その時、異変が起こった。


 世界回廊によって発生した大穴。 それがもう一つ出現したのだ。

 突然の出来事に地界は騒然とするが、状況は彼らに配慮せずに進行していく。

 新たに出現した回廊――その先に見えた何かに彼らは更に驚く事となる。


 空には青い惑星にも似た天界と反対側には黒い何かが存在した。

 あまりにも巨大すぎて空が覆われて薄暗くなっているのだ。

 我に返った者達は指示を求めて走り、ある者は全容を把握しようと目を凝らす。


 手簀戸もその一人だった。 彼女は部屋から外へと飛び出し、空を覆う巨大な何かへ険しい視線を向ける。

 不味い事になった。 最初に彼女が思ったのはそんな事だ。

 事実、この状況はかなり危険だった。 天界の相手だけなら問題ないが未知の存在――世界への対応もあるのだ。 戦線を二つも抱える事がどのような意味を持つのかは戦事に疎い彼女にも理解できる。


 天界と同等以下ならどうにでもなるが、相手がどのような戦力を持っているのかも不明である以上はかなり慎重に行動しなければならない。


 ――あれは一体、何なの?


 手簀戸は空を覆う闇を見つめる。 何故だろうか?

 見ていると不安だけでなく悍ましさを感じてはいるのに、何故か目が離せない。

 彼女はその理由の正体に気が付きつつあったが、認めたくはなかった。


 恐怖。 そう手簀戸は得体の知れない存在を恐れているのだ。

 根拠はないがこれから恐ろしい事が起こる。 そんな嫌な予感が手簀戸の胸中で渦を巻く。

 逃げ出したい気持ちはあるが、世界回廊で繋がっている以上は逃げ場などない。


 事情を呑み込めずにしばらく何もしてこないのならそれもいいが、あの存在はそんな生易しいものではない。 彼女と同じ考えの者は多かったらしく、次々と深淵騎が空に飛び上がるのが見える。

 深淵騎は次々と新たに発生した世界回廊へと向かっていくが、相手側に反応はなかった。


 回廊の出現以外には何も起こっていない。 もしかすると相手側もこちらと同様に混乱しているのかもしれない。 そう考えて偵察を送る事が決まり、デューク級の深淵騎を筆頭に百数十騎が未知の世界へと向かっていった。 深淵騎達が穴に消えていく姿に手簀戸は何故か不安しか感じない。


 未知の世界へと戦力を送り込んでどれぐらい経っただろうか?

 三十分? 一時間? 新たに噴出した問題に地界の者達は頭を抱えつつ祈った。

 どうか楽に滅ぼせる程度の世界でありますようにと。

 

 そんな彼らの祈りは不意に穴から落ちて来た何かによって打ち砕かれた。

 世界回廊から何かの破片らしきものが光の粒子のようなものを撒き散らしながら落下。

 破片は地表に落ちる前に溶けるように消滅したので、被害は出ていない。


 だが、地界の住民達は落ちて来た物の正体にすぐに思い至る。

 マナで編まれた存在は本体から剥がれ落ちると霧散して消滅するのだ。

 つまり、あれは残骸だ。 目を凝らせばはっきりとそれが何なのか見えて来る。


 色、形状、見れば見る程に明らかになる。 何故なら少し前に見送った存在なのだから。

 深淵騎。 そのなれの果てだ。 落ちて来る量から一騎や二騎ではない。

 光る破片が降り注ぐ様は何も知らなければ幻想的にも見えるかもしれないが、この世界の住民の大半は知っているので一気に血の気が引いて行く。


 手簀戸もその一人だった。 出撃したメンバーには彼女の知り合いも含まれており、戦闘能力という点では心配いらないと思ってはいたのだが……。


 「……嘘でしょ」


 思わず呟く。 そこまで時間は経っていない。

 こんな短時間でこれだけの深淵騎が撃破されるのは――いや、ごまかすのは無理だ。

 全滅したとみていい。 時間にして二時間経ったか経たなかったかぐらいだろう。

 

 それだけの時間で全滅させて破片をこちらに送り返す事までやっているのだ。

 

 「狂ってる」


 手簀戸は思わずそう呟いた。 彼女は破片が撒かれている事自体に恐怖を感じていた。

 彼女の視線の先では破片は光を撒き散らしながら消えている。

 そう、消えているのだ。 深淵騎の残骸は短時間で消滅する以上、こちらで目視できるようにするには穴の前――


 「違う。 中だ……」


 ――彼女の言葉は正しかった。 つまり向こうの世界の者達は深淵騎をわざわざ殺さずに捕縛し、穴の中でとどめを刺してから解体してばら撒いている事になる。

 どう考えても目的は見せつける事だろう。 常人なら意図を理解すれば狂っているとしか思えない所業だ。


 あれだけの戦力を短時間で全滅させた事もあるが、それ以前にここまでの事を平然と行える残虐性に彼女は手簀戸は恐怖を覚えた。

 これだけの事をして終わりの訳がない。 彼女の考えを裏付けるかのように状況に変化が起こった。

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