第1263話 「狂笑」
残骸が降りやんだ後に現れたのは一騎の深淵騎だ。
最下級の騎士級だったが、その姿は異様としか言いようのない有様だった。
全身に刻まれた戦闘の物と思われる損傷はまだ理解できる。 だが、どうしても理解できない事が起こっていた。
騎士級の首から肩にかけて巨大な肉塊が張り付いているのだ。
肉塊はドクドクと強く脈打ち、騎士級はそれに合わせてビクビクと痙攣している。
何が起こっているのかさっぱり分からないが、悍ましさだけははっきりと伝わった。
『――あ、あぁ、タす、タすケて――』
騎士級が壊れたレコードのように途切れさせつつも言葉を発する。
声が歪んでおり、よく聞き取れないが悍ましい目に遭った事だけははっきりしていた。
何らかの手段で拡声しているのか、その声は世界中に響き渡る。 騎士級はしばらく助けを求めるように「助けて、助けて」と言葉を発していたが――いきなり甲高い声で笑い始めた。
しばらくそうした後――はっきりとこう呟いた。
『――皆殺しだ』
手簀戸はこれから起こる事を察して騎士団の詰所――多数の深淵騎を擁する軍事施設へと駆け出す。
その間にも騎士級は同じ文言を何度も「皆殺しだ」と繰り返す。
この対応の早さから恐らく向こうは最初からやる気で、この世界を滅ぼす事は決めていたのだろう。
騎士級の言葉の向こうに「手間が省けた」と言わんばかりの悍ましい意志を感じた。
その意図を感じ取った者達が出撃し、操られているであろう騎士級へと接近する。
手簀戸は走りながらも視線は騎士級に向けたままだ。 出撃した彼らが騎士級をどうするのかは分からなかった。 操られていると始末するのか、肉塊を取り除いて正気に戻す事を試みるのか――
深淵騎の接近を感知したのか、肉塊の脈動が停止。 同時に騎士級も動きを止めた。
その変調に手簀戸も足を止めて状況を見守る。
肉塊は沁み込むように騎士級の内部に消え、そしてそれが起こった。
――起こってしまった。
騎士級の胸部が内部から裂けるように広がり、血液らしき赤黒い粘液に塗れた腕が無数に生える。
あまりの光景に手簀戸は表情を引きつらせた。 それ程までに凄まじい光景だったからだ。
見た目の衝撃に思考が果たらなかったが、その光景は明らかに異常だった。
深淵騎、神聖騎に共通する事で、両者はマナで構成された存在――エネルギー体なのだ。
そんな存在にあんな生々しい器官が発生する訳がない。 つまりあの肉塊は深淵騎の根本的な部分まで作り変えているのだ。 理解に至れば更なる恐怖に包まれる事実ではあったが、対峙した者達は気付く事はなかった。
知った所で何が変わるとも思えないが、知らなくていい事を知らずに済んだのは幸運かもしれない。
変異した騎士級――もはや深淵騎とも呼べない異形へと変貌した怪物は背中から肉の羽を生やすと、何もない空を叩いて加速。 近くに居た深淵騎に飛びつく。
遠目に見ても酷いとしか形容できない行為が発生した。
怪物は胸から生えた腕で深淵騎を捕らえると同時に胸部が口のようにガバリと開く。
そしてそのまま開いた胸に押し込んだ。 距離のお陰で音が聞こえなかったのは幸運かもしれない。 近くに居ればバリバリと硬質な物を噛み砕く音が聞こえただろうからだ。
――喰ってる。
手簀戸の胃から何かがせり上がって来る感覚を口を手で押さえてやり過ごす。
近くで液体がぶちまけられる音がした。 視線を向けると望遠鏡のような物を持っている男が近くで吐いている。 遠くで見ているだけの者でこれなのだ。
近くに居る者の感じた嫌悪と恐怖は遠巻きに見ている者達の比ではないだろう。
深淵騎達は恐怖を振り払うかのように怪物に集中砲火を浴びせて仕留める。
怪物は肉体を再生させながらも次に襲いかかろうとしたが、耐え切れずに体液を撒き散らしながら爆散。 肉片や体液が地表に降り注いだ。
距離があるにもかかわらず悲鳴が手簀戸のいる所まで聞こえて来た。
何だ、何なんだあの怪物――いや、クリーチャーと呼んだ方が適切かもしれない存在は。
あんなのがこれから大挙して襲って来るのか? そして対処に駆り出されるのは間違いなく手簀戸達異世界人だ。 やるしかないが、これはもう天界と戦うどころではなくなる。
――やっと終わると思ったのにどうして……。
唐突に現れた災厄に手簀戸は理不尽を呪う事しかできなかった。
「おかえりなさい。 マサヤ様」
「ただいま」
世界を一回りした雅哉はラーガスト王国に戻って来ていた。
彼の帰還にルクレツィアは真っ先に出迎えに現れて笑顔を向ける。
「どうでしたか?」
「何というか皆、凄かったよ」
あの後、雅哉は国々を回り、様々な同郷の人間と出会って話を聞いた。
誰も彼も自分なりの理由を持って戦っており、一人一人に物語がある事を知る。
雅哉は自分が主人公かもしれないなどと少しでも思った自分を恥じた。
この世界で身を固め、家庭を持ち、生まれた子供を守ろうと誓った人が居た。
生まれて初めて頼られた事が嬉しくて、頑張ろうと立ち上がった人が居た。
自分をちゃんと見てくれる人達に出会えたと喜ぶ人が居た。
様々な人達が思い思いの守るべき物と信念を掲げてこの世界に来た事に折り合いをつけている姿に雅哉は何度も胸を打たれた。 そしてその度にルクレツィアの顔が浮かび、彼女を守りたいと決意を新たにしたのだ。 当然ながら会うだけでは済ませなかった。
朶としたように様々な同郷の者達と模擬戦を行って腕を磨き、ついでにルクレツィアに認められるようにと男も磨いた。 雅哉からすれば最後に別れた時に比べると自分は一回りも二回りも成長したと思っているので、内心で少しだけ「俺、ちょっと変わったと思わないか?」といった視線を向ける。
視線が合ってルクレツィアが不思議そうに首を傾げるのを見て、少しだけ肩を落とした。
「と、ところで、この後の予定はどうなってるんだ?」
気を取り直して今後の予定についてを尋ねる。
アドバイスを貰ったのだが、異性の興味を損なわない為にも何かしらの話題は供給し続けた方がいいらしく、雅哉はそれを実践してはいるのだが……。
「概要だけは聞いているとは思いますが、合同での訓練を行って最低限の連携を取れるようにした後、地界への奇襲を開始します。 これ以上の戦力増強は望めないのでこの天界の全てを賭けた決戦となるでしょう」
「具体的にはどれぐらいでその、突っ込むんだ?」
「遅くても半年以内には」
「そうか……」
半年。 学生の彼にとってはそこそこ長く感じられる期間だが、これまでに濃い日々を送ってきた雅哉にとっては目の前と言っていい。
雅哉はルクレツィアを見る。 初めてみた時から彼女は美しかった。
召喚されて彼女が雅哉の目の前に現れたその瞬間に彼は決めていたのかもしれない。
俯瞰してみれば簡単な男と揶揄されるだろうが、彼にとってはそれが全てだった。
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