第1229話 「頂点」

 王の傍らにいる男の存在だ。

 エルマン・アベカシス。 王妹と結婚し、ウルスラグナ王国の王族として迎え入れられた男だ。 何が問題なのかと言うと彼はアイオーン教団の聖堂騎士として組織の実質的な決定権を持っている。

 

 つまりアイオーン教団とウルスラグナ王国は既に強固な結びつきが出来ているのだ。

 その為、他国としても異論を唱える事が出来ずにウルスラグナを同盟の盟主として上に置かざるを得ない。

 更にもう一点、ウルスラグナを上にする理由があった。 それはエルマンの肩書だ。


 ウルスラグナ王国の王族。 アイオーン教団の聖堂騎士。

 それだけでも肩書としては充分なのだが、その上にウルスラグナ王国の宰相にまでなっているのだ。

 これには理由があった。 前宰相のルチャーノという男はタウミエルとの決戦前に姿を消しており、行方不明と認識されているが記録上は死亡扱いとなっている。


 それもその筈で彼の自室にはある手紙が残されており、そこにはエルマンを後継者に推す旨が書かれていた。 最悪な事にそれが発見されたのがエルマンの婚約が公式に決まった直後だったので部外者を任命する事に難色を示す者達が反論できる隙が無かったのだ。


 本人も気付かない内に決定された事だったので、センテゴリフンクスでの後始末を終えて心身共に疲れ切ったエルマンが最初に聞いた報告は「宰相就任おめでとうございます」といった賛辞だった。

 余談だが、それを聞いた彼は全てを察してその場で崩れ落ちて丸一日の間、意識を失って現実からの逃避を試み――目が覚めて絶望する事となる。


 心の支えだった親友を奪われ、ついでに更なる重責を背負わされたのだ。

 ルチャーノとはもう二度と会えないといった喪失感と宰相という組織ではなく国の舵取りをやらされる未来を想像し、オラトリアムにあらん限りの憎悪を滾らせた。


 ――が、それでもファティマが恐ろしいので心の中で思うにとどめたが。


 こうしてエルマンはアイオーン教団のトップからウルスラグナの実質トップに納まる事となった。

 特に今の王族は駆け引きの類があまり得意ではないので交渉事は一手に引き受ける事となるのだ。

 彼の心労はこれまでの比ではない程に膨れ上がった。 色々と圧し掛かってはいるが、悪い事ばかりではなく、アイオーン教団の運営に関してはハーキュリーズやゼナイドに任せる事となったので仕事としては王国関係が主となる。


 ただ、背負う人数の桁が上がったので何の慰めにもならなかった。

 そして婚約してしまえば正式な結婚まではすぐで、長女のシルヴァーナと婚姻関係を結んだのだが――新たな問題が噴出する事となる。 身分の高い夫婦に求められるのは何か?

 

 子供だ。 若い娘と好きなだけ性交ができると聞けば大抵の男は喜び勇むものなのだが、エルマンはその大抵に当てはまらない少数派で本番に臨むに当たって様々な準備をしたのだ。

 エルマンは今でも思い出す。 シルヴァーナの慰めるような表情とお疲れなんですねと心配と若干の憐れみの籠った眼差しを。 男として最大限の屈辱といえる初夜を越えたエルマンは王城の夜のテラスで一人泣いた。


 宰相の肩書と王族の地位を得たエルマンは日に日にやつれ、気が付けばアイオーン教団で仕事していた方が楽だったと思う始末。 それでもルチャーノが居なくなった以上、誰かが代わりを務めなければならない。 彼と同等の内政能力があるのはエルマンぐらいだったのでどちらにせよ彼に拒否権はなかった。


 そうこうしている内に今日、この日を迎えたのだが――



 

 エルマンは遠い眼差しで各国の重鎮が集うこの場を見つめていた。

 もう彼の心は圧倒的なストレスにより現実からの逃避をし始めていたのだ。

 それでも仕事はしっかりと行えるので問題なく責任を果たせている点は彼の才覚故の不幸なのかもしれない。 単純に苦労が増えただけならここまでにはならなかっただろう。


 今の彼の立ち位置は今やこの同盟の頂点であるウルスラグナの宰相位。

 つまるところウルスラグナ――延いては世界の頂点といえる。 エルマン・アベカシスの名は世界に轟き、世界の有力者なら誰でも知っている成功者にして支配者として認識されていた。


 他国から見ればエルマンがその気になれば適当な理由を付けて他国を攻め滅ぼす事が出来るのだ。

 センテゴリフンクスでの戦後処理をかなり強引に推し進めた事もあって、反感を抱いている者や勢力は多い。 そんな男が権力者なら誰でも羨む立ち位置に納まったのだ。 気に入らない、妬ましいと思う者は山のように存在する。


 そんな彼らがエルマンに対してどうするのか? 素直に従う?

 あり得ない。 今は大人しくしているが、虎視眈々と後釜を狙うべく水面下で蠢いている事は想像に難くなかった。 実際、ウルスラグナにエルマンの身辺を探るような動きをしている者達の影が見え隠れしており、そう遠くない未来には暗殺者が山ほど送り込まれるんだろうなと考え、その目から光が消えていく。


 彼の予想を裏付ける事があちこちで起こっていた。 アイオーン教団への入信及び、聖騎士団への入団希望や箔をつける為なのか養成学校にも世界各国の要人やそれに連なる者達から続々と入学希望の打診が届いていた。 エルマンはその何割かが情報を探りに来た間者だろうと確信している。


 それを悟ったと同時にクリステラか聖女と一緒の時以外は絶対に視察に行かないようにしようと心に決めた。

 今の段階では最低限の行き来しかできないが既に身の危険を感じているので、王城からの出入りにはかなり気を付けており、侵入者対策にも予算を大きく割り振っている。


 将来的には食事も専用の料理人を抱えざるを得ないかもしれないと暗いどころか闇しか見えない将来に絶望していた。 ファティマが居なくなって日常に落ち着きが戻るのかとも思っていたが現実はその真逆で、心労が激増したのだ。 今になってファティマは自分の精神状態に合わせて適度に圧をかけて来ていたのだという事を痛い程に理解できてしまった。 ちなみに話を理解してくれそうな日枝を引き込もうとしたが、立地的に利点がないので参加は見合わせると現状を鑑みれば賢いと言わざるを得ない選択を選んだ。


 エルマンからすれば薄情と思いたいが、自分の現状を見れば巻き込まれたくないと思うのは当然だった。 せめてもの慰めは通信魔石で時折、相談に乗ってはくれるのだが直接的に関わって来る事はない。

 獣人国は高水準の魔石の採掘都市があるらしく、良き取引先ではあるがそれ止まりだ。


 ――あぁ、どうしてこうなったんだ……。


 エルマンにはさっぱり分からなかった。 いや、分かってはいるのだが、脳が理解する事を拒んでいるのだ。 周囲は世界が一つになった喜ばしい事だと祝福の声が上がるが、彼だけはただただ遠い目をしていた。 聖女やクリステラもどうにかしようとしてはいたがこうなってしまった以上はもう止められない。


 エルマン・アベカシスは世界の頂点だ。

 だが、当人は世界で一番不幸な男だと思っていた。 本来ならセンテゴリフンクスでの強引なやり方もあって落ち着き次第、関係悪化を招いた責任を取って他に席を譲って隠居しようと考えていたのだが、もうどうにもならない。 彼は死ぬまでこの役職から解放されることはないだろう。 そうなってから彼は毎日心の底から願っている事があったそれは――

 

 ――オラトリアムの誰でもいい。 頼むから帰って来てくれ。 俺はもう楽になりたい。


 富も権力も名声も要らない。 頼むから俺をこの碌でもない役職から解放してくれ。

 エルマンは呟くようにそう思考し、それが叶う事はないとも思っていたので光の宿っていない目で自身の未来に絶望した。

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