第1230話 「旅夢」
世界は一つになり、大きな争いはなくなった。
そんな平和になった世界で僕――ハイディは執務室で小さく伸びをする。
仕事中ではあるけれど今日は外に出る事がないので動き易い格好で大量の書類に目を通し、閲覧済みの判子を押す。 タウミエルとの戦いでの功績もあってアイオーン教団は世界最大の宗教組織と化した。
それによって組織としても急激に拡大する事となったのだ。
お陰で新しく入ってきた知らない人達との面通しを定期的に――というよりはほぼ毎日行わなければならない。 特に最初の頃はあちこちの国の偉い人と会わなければならなかった事もあってとにかく忙しかった。
ここ最近は大勢の前に姿を見せてアイオーンの教義を一通り語り、聖剣を見せて光らせるといったいつもの流れなので緊張はしなくなったけど……これでいいのかなとは思ってしまう。
エルマンさんの代わりに僕の補佐をする事になったハーキュリーズさんは「問題ない」と大きく頷くだけだった。 彼もそうだけど僕の周囲も色々と変わっており、クリステラさんやモンセラート達と会う機会が減った代わりにゼナイドさん達と同じ時間を過ごす機会が増えたのだ。
これはエルマンさんが王国の人間になった事が影響していた。 結婚をきっかけに彼は王国の宰相を務めて欲しいと行方不明になった前任者に推薦されたようだ。
本来ならいきなり入った部外者がそんな重要な地位に就ける訳がないのだけれど、エルマンさんの婚約が正式なものになって晴れて王族となったので驚く程にあっさりと今の地位に落ち着いた。
そんな経緯もあってエルマンさんはあまり教団の仕事に関わらなくなったのだ。
ヒエダさんにも色々と言われた事もあって気にするようにはしていたのだけど、偶に会うエルマンさんは教団に居た頃よりもやつれているように見えた。 特に酷かったのは結婚の翌日と調印式の直後で肉体的というよりは精神的に酷く消耗したのかまるで枯れ木のように萎れていたのは今でも印象に残っている。
これには流石にハーキュリーズさんも大丈夫かと声をかけていたけど本人は答えずに頷くだけだった。
何らかの魔法薬で気持ちを高揚させているのか目だけが爛々と輝いている異様な姿だったけど、あれは一体どうすればいいんだろうか? 王国内の話になってしまうので口に出し辛い事もあって難しい問題だった。
クリステラさんは戦闘関係以外の仕事を覚えようとしているようだけど、あまり芳しくないようだ。
反面、モンセラート達は元々枢機卿だった事もあって覚えが早いと褒められている話はよく聞いた。
クリステラさんは現在、護衛や学園に赴いて新しく入った聖騎士の卵たちに戦いを指導しているとかいないとか。
……曖昧なのはプライドを叩き折られて去る人がそこそこいるらしいので教官としてちゃんとできているか怪しかったからだ。
比較的、自由が利く立場なのでモンセラート達を連れて世界のあちこちに転移して旅行をしているらしい。 僕はあまり動きが取れなくなったのでいつか一緒にと約束はしているけどかなり先になりそうだ。
旅と言えばカサイさん達異邦人の皆だけど、タウミエルとの戦いで少なくない死者が出た事もあって元々少なかった人員がさらに減ってしまった。
世界中の国との国交――それには獣人も含まれているので将来的には彼等の異形も受け入れられる事を期待し、カサイさんはキタマさんと定期的に同郷の仲間を探しに旅をしているようだ。 その甲斐あって人里から離れた所で隠れるように生きていた人達を保護して異邦人として受け入れる事に成功していた。 少し前に久しぶりに話したカサイさんは自分達のような者達が生きて行ける為の受け皿になれればと少し恥ずかしそうに語っており、僕もいい事だと思ったので素直に応援している。
他に比べれば非常に遅いけど異邦人も少しずつだけどその数を増やしていた。
色々と苦労はあるけど世界は少しずついい方向に向かっているように見える。
そこまで考えて僕は小さく息を吐いて座っていた椅子に背を預けた。
最大の変化はオラトリアムの消滅だろう。 領地はそのままだったけど、領主が直接管理していて領民から切り離すべく築いた壁の向こうは完全に更地となっていた。
一度だけ見に行ったけど本当に何もなかったのだ。 かつて生まれ育った屋敷も過ごした思い出の痕跡も何もかも。 関係者の大半が姿を消しており、残った者達も仕事を引き継いだだけで深い部分は何も知らなかった。
ローは本当に消えてしまったのだ。 オラトリアムと共に。
痕跡だけでもと今更ながらに調査をしてみはしたのだけど、驚く程に何も出てこなかった。
辛うじて冒険者ギルドにプレートの更新履歴が残っていたので、その時期にどこに居たのか程度の事しか追えなかったのだ。 自分でも割り切ったつもりだったけどふとした時に思い出してしまう。
……君は今、何処で何をしているんだい?
死んだとは思わない。 きっとどこかで旅を続けているのだろう。
第一の聖剣は世界に存在した様々な知識を与えてくれるけど、本当に知りたい事は教えてくれそうもなかった。 別れてから時間が経ちすぎた事もあって、もしかしたら多少は美化されているのかもしれない。
それでも目を閉じると冒険者として彼と共に過ごした時間は鮮やかに蘇る。 確かに彼は許されない事をして数多の罪を重ねただろう。 それでも僕にとってあの時間は尊いものだった。 そう、楽しかったのだ。 不愛想な彼としたあの冒険は。 だからこそ考えてしまう。
もしも許されるのであれば、全ての役目が終わったその時に僕も旅に出ようと。
最初はこの世界から。 彼が駆け抜けたこの世界を見て回り、可能であるなら他の世界を目指すのもいい。
少しの間、見知らぬ土地、見知らぬ世界に思いを馳せる。 僕にとってローの背中に近づく手段はそれしかなかった。 まずないだろうけど旅を続ければもしかしたら再会できるかもしれない。
「よし、今日も頑張ろう」
僕は自分に言い聞かせるように呟くと目の前に積み上がった書類を確認する作業に戻った。
諦めなければ道はきっとある。 目的地は目指す為にあるんだ。
再会して分かり合える事もきっと――
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