第1193話 「極伝」

 その一撃で前衛一人と後衛二人を消し飛ばしたが、敵は自我なき影。

 味方が脱落した程度の事では怯まない。 聖騎士と獣人はそれぞれの敵に向けて襲いかかるが――


 「戯けが」


 武者が小さく呟き、次の瞬間には神速の居合が閃いて聖騎士を袈裟に両断した。

 残った獣人もいつの間にか斜め上に跳躍していた飛蝗が空中を蹴って急降下。 真っ直ぐに足を突き出した蹴りが矢のようにその体を射抜く。


 両断された聖騎士と身体に巨大な風穴を開けられた獣人は崩れるように消滅。 

 仲間だった者達を屠った二人は余韻を感じるように少し沈黙する。

 だが、状況は感傷に浸る間を与えない。 振り返ると敵の再侵攻と出現が始まりつつあった。


 どうやら後ろで足止めをしていた者達は力尽きたようだ。

 

 「派手にやり過ぎたか?」

 「――後ろも限界が来ていたのだ。 潮時だろう。 後は――」


 武者は言葉を続けようとして口を閉じる。 理由は飛蝗の体にあった。

 末端からボロボロと崩れ始めたのだ。


 「流石に真言を二回も使ったらこうなるか。 ここに来るまでにも派手にやったからな。 五感が鈍いから気付くのが遅れてしまったか」 

 「この体の勝手に慣れぬうちに戦闘に入ったのだ。 無理もなかろう」


 飛蝗は苦笑して小さく肩を竦める。


 「これだと保って数分か。 だったら最期に派手にやるさ。 悪いけど後を頼んでもいいか?」

 

 武者は大きく頷く。 飛蝗は武者の肩を軽く叩くと少し離れた所へ立つ。


 「使うのか?」

 「あぁ、実を言うと使ったら死ぬから最後まで使わなかったけど、一回ぶっぱなしてみたかったんだ」


 その物言いが面白かったのか武者が声を上げて笑い、つられて飛蝗も笑う。

 少しの間、二人は笑い――不意に静かになる。 


 「じゃあ俺はここまでだ。 少しの間だけどまた会えて嬉しかった。 またな親友」

 「あぁ、また会おう友よ」


 それが最後だった。

 武者は腰に佩いた二本の剣を飛蝗に押し付けると刀を抜いて迫りくる敵の群れへと駆け出す。

 飛蝗は受け取った二本の剣を地面に突き刺し、踵で地面をタップするように踏む。


 踵と二本の剣を起点に巨大な魔法陣が広がる。

 飛蝗は深く息を吸って吐く。 もはや呼吸を必要としない身体だが、精神を落ち着けるには有用だ。

 

 「遍く一切を照らし、オン・サンザ無上の力を得せしむンサク・ソワカ

 

 ――勢至菩薩火柱

 

 巨大な魔法陣の一角に曼荼羅に似た複雑な文様が描かれる。

 集中しながらも心の片隅では今の自分の状態に少しだけ現実感がなかった。

 

 「宙のような無限オン・バサラ・アラタンノウの智恵と慈悲を・オン・タラク・ソワカ

 

 ――虚空蔵菩薩電光


 紋様が複雑さを増す。 それもその筈だ。

 彼の使用している真言マントラは自身の足元に疑似的な煙道ナーディ轆轤チャクラを形成する。

 かつての世界には「仮想轆轤バーチャル」などと呼称した者もいた。


 「悟り開きて未オン・マ来に降り立ちイタレイ、人々を救済せんヤ・ソワカ


 ――弥勒菩薩穿孔


 本来かつ無難な用途は極伝など第七轆轤を利用した攻撃の限界突破だ。

 チャクラが増えれば大地から吸い上げる魔力の出力先も増加する。 これの恐ろしい点は制御の及ぶ範囲であるなら破壊力の上限を完全に取り払える事にあり、理屈の上では拳一つで世界を滅ぼせるのだ。


 完全に使いこなした存在は世界の開闢から数えてもそう多くない。

 その為、検証が非常に難しいものではあったが、一つ増やしただけで規模は倍では利かなくなる。

 二つ増やせば倍ではなく乗倍となり軍勢を一撃で薙ぎ払い、三つ増やせば一国も滅ぼせるだろう。


 「六根具足してオン・コロコ醜陋ならず、ロ・センダ身相端正にしてリ・マトウ諸の病苦なからしむるギ・ソワカ


 ――薬師如来地獄車


 同時に術者に跳ね返る反動もまた大きくなるので、使用には多大なリスクが伴う。

 その為、使用の最低条件が第七轆轤を完全に使いこなす事だった。

 極伝を扱えるほどに自身の轆轤と煙道を制御できるなら増やしても何とか制御はできる。


 「量りしれオン・アミリタ・テない光をイ・ゼイ・カラ・ウン


 ――阿弥陀如来雷炎


 そんな彼らですら使用する事に細心の注意が必要となる。

 安定して増やせるのは一つ。 集中を要するが実戦で扱えるのが二つ。

 三つ以上は危険なので必要に迫られないと使用は厳禁、四つ以上は命と引き換えだ。

 

 「一面二臂を象りオン・アロリ衆生の救済を成さんキヤ・ソワカ


 ――聖観音遠心 

 

 既に六つ目の極伝を展開している飛蝗は集中を切らさない。

 どうせ放っておいても消える身だ。 だったら盛大に派手な一撃を放って反動を踏み倒してやろう。

 そんな考えで彼は後戻りができない領域へと足を踏み入れていた。


 「千の掌と一眼、オン・バザラ・広大なる慈悲と力タラマ・キリク


 ――千手観音菩薩月面 


 七つ目。 真言の本来の用途は轆轤の増加による威力の限界を突破する事にある。

 だが、飛蝗は更に先へと思考を進めたのだ。 極伝の並列使用・・・・・・・による複合技。

 それが彼が導き出した真言に対する解だった。 単純に威力を上げるだけとは訳が違うのだが、実戦で使用できるレベルにまで昇華させたのは紛れもなく彼の才覚によるものだろう。


 「揺るぎなナウマク・サマンダき守護者・バザラ・ダン・カン


 ――不動明王大切断


 八。 これを放てば全ては終わる。 長い、本当に長い旅だった。

 生きていた時間より待っていた時間の方が遥かに長く遠く、そして希望を抱くのが難しい絶望の日々。

 だが、こうしてこの場に立つ事が出来た以上、無駄ではなかったと確信できる。


 ――それに――


 「最後に新しい仲間が出来たんだ」

 

 生前であるなら決して相容れる存在ではなかっただろう。 純粋ではあったが、それ故に残虐。

 数多の命と嘆きを喰らって無限に成長する異形。 最終的にどこへ行きつき、何を求めるのかは分からない。 見方によってはタウミエルよりも危険な存在なのかもしれない。


 だが、今の彼にはそんな事はどうでも良かった。 飛蝗は正直、この世界の人間が何人死のうが、それこそ絶滅したとしてもどうでも良かったのだ。 何故なら彼が守りたかった者達はこの世界のどこにもいなく、この場に立っているのも口にした通り自分と仲間の過ごした世界の価値と矜持を証明する為。


 結果的にこの世界の側に立っているが、タウミエルと戦えさえすればこの世界が滅ぼうが知った事ではなかったのだ。

 間違いなく彼の倫理観は異形――ローを受け入れない。 それでも飛蝗にとって彼は恩人であり、同じ方向へ向かう仲間だったのだ。


 ――だから今はこの数奇な運命を受け入れよう。


 「天上天下、尊きものはナウマク・サマン世に生きるダ・ボダナすべてであるン・バク


 ――釈迦如来


 彼の放つ膨大な魔力に引き寄せられたタウミエルの眷属達が次々と群がって来るが、巨大な魔法陣に接近しようとした個体は片端から不可視の斬撃に両断され一体たりとも近づく事は叶わなかった。

 死力を尽くす友に心の底からの感謝を捧げ、それは完成した。


 九つ。 彼に扱える最大にして究極値だ。

 飛蝗はローの勝利を信じ、真っ直ぐに前を見据える。


 「とっておきだ。 喰らいやがれ」


 最後にタウミエルへと不敵な笑みを浮かべて見せる。


 ――<九曜改式ナヴァグラハ“極伝”・ウルティメイト逢魔おうま」> 


 彼の全てが乗った一撃が放たれ――大きな風が吹いた。

 その風に攫われるように彼の姿は粒子状になって霧散。 風は彼のいた場所を中心に広がり、この空間だけでなく世界へ――

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