第1169話 「宣戦」

 ――待っていた。 この瞬間だけを待っていた。


 途方もない時間、彼はそこで留まっていたのだ。

 死を迎え、自身が何者かすらも認識できない様々な思念が渦を巻くそこで彼は自我を保ち続けた。

 魔剣の自我を構成する一部となり果てても、共にある筈の仲間の残滓達がもう自身をまともに認識できていないという絶望を目の当たりにしてもその心は折れる事はなく、その強固な自我は残滓に過ぎないにもかかわらず今まで形を保ち続けていたのだ。


 辺獄の領域ザリタルチュ――かつて彼が守ろうと戦った国の成れの果て。

 そこで言葉も交わせない仲間達だった存在と世界の終わりを待ち続ける日々。


 心は折れなかったがその変化のない環境と過去という名の傷跡は徐々に諦観を植え付ける。

 黄昏色をした空を見上げる毎日に彼の心は渇いていく――そんな時だった。

 僅かな、本当に僅かな光が差したのは。 魔剣を持ちだせる存在が現れたのだ。


 担い手さえ存在すれば魔剣にとって領域は不要な存在。 その為、男が魔剣を従えた事で自身と仲間達は役目から解放されたのだ。 結果、彼等は辺獄に消え、その記憶は魔剣へと回収された。

 魔剣と合流し、内部に存在した自身との統合を済ませた彼は男に最後の希望を託す事を決めたのだ。


 ――だからこそ彼は男を守る為にできる事はした。


 男は歪みを抱えた存在であり、彼の倫理観に照らし合わせれば紛れもなく悪だろう。

 だが、残骸となり果て、囚人のように彷徨うだけの皆を救ってくれた恩人である以上、どれだけの極悪人であろうとも彼には何の関係もなかった。


 それに、もう彼の守るべき世界は何処にも存在しないのだ。

 関係のない場所で関係のない者達がどれだけ死のうが、彼にとってはもはやどうでも良かった。

 彼は自分が定めた最後にやるべき事を果たす為にその瞬間を待ち続ける。 魔剣がその内部に堆積した怨念を使い切り、役目を果たすその時を。


 魔剣は旧世界で死した者達の残留した想いを吸い上げて変質した聖剣だ。

 つまり内部に溜まった残留思念があるからこそ成立する。

 それを使い切った魔剣はその存在を維持できずに崩壊するのだ。 彼の狙いはそこにあった。

 

 使い切るには相応の戦いが必要となる。 グリゴリ、グノーシス。

 男の対峙した相手はどれも強大な力を持った勢力で、激戦になる事は目に見えていた。

 だがそれでも使い切るには足りなかっただろう。 しかし、辺獄での一戦がこの状況の最後の一押しとなったのだ。

 

 ――<九曜ナヴァグラハ千手観音サハスラブジャ “災” 『群生相ぐんせいそう』 >


 アザゼルとブロスダンという聖剣使いに使用したあの技が決め手だった。

 普通に使用するだけなら関係はなかったのだが、魔剣を介して使用した事によって内部の残留思念――方向性のない怨念をごっそりと持って行ったのだ。


 そしてもう一つ。 それを促した存在がこうなるように導いたというのも大きな要因だった。

 魔剣は自身の滅びを厭わない。 何故なら滅ぶ為に全てを憎み続けたのだから。

 最後のその瞬間、魔剣は全てを吐き出し、至った結果に安らぎすら覚えていた。


 ――こうして魔剣ゴラカブ・ゴレブはこの世界から消え去る事となる。


 そして魔剣がその役目を終えた時、内部に残留していた魔剣を構成している彼らも解放される。

 本来なら魔力の塊として霧散するだけなのだが、この時この瞬間だけはそうはならない。

 外への道が拓き、彼は駆け出す。 同時に彼の背を追う無数の影――形すら保てないか細い存在達がその背を押すように自身を彼に差し出したのだ。


 あくまでも彼等は残留思念。 本来の彼らではなく、彼らが残した残滓でしかない。

 その為、完全な形で自己を定める事が非常に困難だったのだ。 だが、彼を知る者達がそれを補完する事でその存在は本来の姿へと近づいて行く。 それにより外に出ても霧散せずに動く事ができた。 最後に必要だったのは状況だ。


 タウミエルが出現し、無を冠する者達がこの世界に溢れているこの瞬間。

 以上の条件を満たす事によって彼は――僅かな時間ではあるがこの世界に一つの個として立つ事が出来る。

 その時間は彼が耐えた時間に比べれば刹那と言える程の僅かなものだが、その僅かな時間――


 ――全力が出せる・・・・・・

 


 砕け散った魔剣の欠片達は近くに居た無限光の英雄に入り込みその存在を上書きする。

 これは知る者のいない知識だが、無を冠する者達は重複した世界を滅ぼす存在だ。

 故に自身が重複・・・・・するという矛盾を起こせない。 それが意味するところは一つ。

 

 同一個体・・・・は存在できない。 彼がその存在を上書きする事により、重複が発生する。

 結果、情報が更新され、古い個体が消滅するのだ。

 彼の出現と同時に神剣を守る為、最初に出現した無限光の英雄――その一体が消滅した。


 大地に立った彼が最初に行った事は男――ローを救う事だ。

 彼は無限光の英雄の群れを瞬く間に突破。 守るように前に立ち、爪先を地面に着けたまま踵で軽く地面に二度叩く。 一度目で踵を中心に魔法陣のような物が広がり、二度目でそれを踏みしめる。


 何事かを呟くと魔法陣の形状が変化し、複雑な文様を描く。 曼荼羅と呼ばれるそれに酷似した魔法陣はその輝きを増し――


 ――<九曜ナヴァグラハ 勢至マハースター菩薩マプラープタ “改” 『火柱ひばしら』>


 真言・・により強化した一撃は踏みしめた踵を起点に発生。

 周囲に凄まじい量の炎を撒き散らす。 あまりの輝きに太陽が出現したと見紛うそれは空から降り注ぐ全ての攻撃と効果範囲内に存在した無限光の英雄の悉くを焼き尽くしたのだ。


 無限光の英雄達は防御をする間もなく消え去るが、不思議な事に彼のすぐ傍に居たローは全くの無傷。

 火傷一つ負っていない。 流石のローもあまりの状況に呆然と目を見開いていた。

 

 「何故だ?」


 思わず疑問が口から零れ落ちる。 意味のない独り言だったが彼は背を向けたまま答えた。

 

 「俺がここに立つ理由は二つある」


 炎に照らされた彼を覆う闇が浄化されるように徐々に消え去り、本来の姿へと回帰していく。 タウミエルの眷属を奪った事で本来の自分の情報への接触に成功したからだ。 それにより残滓から本物へと変わろうとしている。

  

 「一つは約束を果たす為。 仲間達を開放してくれた恩人である君を助けると誓ったからだ」


 再現された装備は輝きを放ち、首に巻かれた長いマフラーがたなびく。

 

 「そしてもう一つ」


 これこそが彼がここに立つ最大の動機だった。


 「証明する為にここに来た。 俺達が絆を繋いで駆け抜け、命を燃やして戦った世界は無駄じゃなかった」


 タウミエルが行っているのは世界の新陳代謝だ。

 古い細胞は淘汰され、新しい細胞によって世界は構築される。

 それは自然の理なのだろう。 だがと彼は否定の声を上げて拳を握る。


 ――俺の愛した世界はそんな理由で捨てられ、忘れ去られる?


 そんな事は断じて許容できない。 消滅した世界と文明は無意味だったのか? 無駄だったのか?

 だとしてもそれは自分が許さない。 仮に無意味だったとしても無駄だったとしても、俺がそうはさせない。 意味がないのなら意味を与えてみせる。 この残酷な仕組みを粉砕する事で彼は彼の世界が存在した意味を証明するのだ。

 

 胸の内を明かした彼は最後に神剣があるであろう方向を睨み、握りしめた拳を向けて言い放つ。


 「ようやく会えたな大災害。 あの時は前に立つ事すら敵わなかったが、お前が滅ぼした世界と餌として呼び出した転生者の底力を見せてやるぜ!」


 それは宣戦布告。

 定められた運命を破壊する為に古き世界を駆け抜けた英雄が立ち上がった瞬間だった。

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