第1141話 「待時」

 エグリゴリシリーズが次々と出撃し、空を飛んでいる姿を見ながらトラストは視線を正面に戻す。

 彼が居る場所はジオセントルザム南側に連なる山々の麓に存在する小高い丘。

 地形的に高い位置にいる事は大軍での戦闘では有利となる。


 トラスト達前衛の仕事は突破して来た敵の迎撃だ。 今回の戦闘はあくまで時間稼ぎが目的なので斬り込むような戦いは避けるようにとの事。 トラストはこの戦いと命令の意図をしっかりと理解していたので素直に防衛に徹するつもりだったが――隣で期待に目を輝かせているハリシャがどう動くのかが若干の懸念材料だった。


 彼女は普段は理知的ではあったが、一度戦闘に入ると空気に酔うのかひたすらに敵を求めて無謀ともいえる突撃を繰り返す傾向にある。 その為、下げるタイミングの見極めは重要だった。

 今回は終わりの見えない戦いとなるので体力以前に武器が保たない可能性もあり、トラストは普段使用している刀剣に加えて予備を三本持って来ていた。 ハリシャに至っては左右の腰に五本ずつ差しており、周囲にも何本もの予備が突き刺さっていた。


 彼等の背後にはオラトリアム中からかき集めた大量の改造種やレブナント、魔導外骨格を装備したオークやトロール等の亜人種。 空にはエグリゴリシリーズ。 背後には遠距離武装を積んだフューリーやアラクノフォビア。 そして騎兵・・として用意されたゴブリン達。


 彼らが駆るのは馬ではなく四つの車輪が着いた車両だ。 魔力駆動戦闘車両テクニカル「ワイルド・スピード」荷台付きの車に大型の銃杖を備え付けており、高い機動力を維持しつつ負傷した味方を回収して離脱も行える。 乱戦になれば車両前面に取り付けたタイタン鋼製の盾が味方を守り、敵を跳ね飛ばす。


 これだけでなく研究所から出撃する決戦兵器・・・・やディープ・ワン、ミドガルズオルムなどの生きた要塞達。 オラトリアムの総力が結集した世界すら滅ぼせそうな軍勢の総数は数十万規模にまでその数を膨らませていた。


 大抵の相手なら負ける気が欠片もしない布陣ではあったのだが、今回ばかりは話が別だ。 

 トラストも肌で感じていた。 命の危険を、だ。

 恐らくまともにやれば間違いなく勝利は難しいどころか不可能な相手が現れるのだろう。


 その事に関しての恐怖はない。 あの日、あの時、オラトリアムでローの眷属として生まれ変わった瞬間にトラストからその手の葛藤は消え失せたからだ。

 トラスト・アーチ。 ヴァーサリイ大陸中央部チャリオルトという地で生まれ育ち、流れ流れてウルスラグナへ辿り着いた。 生前は子供や孫に囲まれて静かに余生を過ごせればいいと考えていたが、人の悪意は無慈悲にその未来を奪い去ったのだ。


 復讐を済ませた時点でトラストの人生は満たされはしなかったがけじめをつける事が出来たので、終わる事は出来た。 今の彼が思う事はただ一振りの刃としてオラトリアムと創造主であるローに尽くす事だけだ。 思い残す事は何もなく、ただただ黙して目の前の戦いに臨むだけだった。


 そして隣のハリシャは小難しい事は考えておらず、いかに気持ちよく敵を斬れるのかしか頭にはなかった。 ローの眷属となった者は根幹こそ異なるが、パーソナリティを構成するに当たってベースの存在は大きい。


 ハリシャもその例に漏れず、チャリオルトで剣術修行をしていたオリジナルのものを踏襲している。

 だが、彼女には他と決定的に違う点があった。 自身の故郷を自ら滅ぼした事で、過去と綺麗に決別したことだ。 中でも要因として最も大きなものは自ら心の寄る辺を破壊した事で、それにより過去を振り返らず欲求に従うようになったのだ。


 それにより彼女は良くも悪くも自身の過去を一切振り返らなくなった。

 ハリシャは待ちきれないと言わんばかりにカチャカチャと刀剣の鯉口を切っては戻すを繰り返していた。 事実、彼女はその時が来るのを心から待ち望んでいた。


 今までの大きな戦いでは途中で斬る相手が居なくなってしまったのが不満だったが、今回は何と無限に湧いて来るとの事だ。 素晴らしい! 文字通りの斬り放題。 こんな素晴らしい戦場に放り込んでくれたオラトリアムには感謝しかない。 最近、日頃の感謝を込めてロートフェルト教に入信した。 生き物を斬る場を与えてくれる神を信仰する素晴らしい宗教なのでお布施も大量に放り込んでおいた。


 ――早く、早く、始まらないでしょうか!? 待ちきれませんよぉ……。


 ハリシャは笑顔でこれから戦場になるであろう場所を見つめ続ける。

 


 

 ハリシャとトラストは布陣した陣の中央に居たのだが、その少し後方――そこにはスレンダーマンを筆頭に機動力に優れた者達で構成された遊撃部隊だ。 彼等の仕事は戦場を走り回ってあちこちで支援などを行う。


 指揮を任されているイフェアスは入念に装備を確認し、部下にもそれを徹底させていた。

 過去最大の戦いとの事で僅かに緊張はしていたが、行動や判断に支障が出る程ではない。

 高確率で死亡する戦いとの事で考えるのは遂に来たかといった気持ちだった。

 

 徐々に勢力を増していくオラトリアム。 そうなれば組織の大きさに見合った敵が現れるのは必然だろうと考えていたからだ。 世界の滅び――いや、世界そのものと戦う事になるとは思っていなかったが。

 もっとも負けると決まった訳でもないので勝つつもりで事には臨むつもりだ。


 イフェアスはふとかつての自分を思い出す。 こうなってからの時間が濃密過ぎて随分と遠い記憶だが、自分は成長できたのだろうか? あの燃える街で人としての最期を遂げ、オラトリアムで生まれ変わった彼が最初に行った事は自分を見つめ直す事だ。 イフェアスという人間は比較的ではあるが激しやすい気性の人間だった。 特に同僚であるマネシアという女の前で良い格好をしたい事もあって全身に力が入っていたのだ。


 今となっては過去の感情、記憶、ただの情報でしかない代物だった。

 それでも少し思ってしまう事がある。 もしかすると以前の記憶から連なる心残りに近いのかもしれない。

 今の自分がマネシアと対面すれば冷静さを失うのだろうか? 彼女を見てどんな思いを抱くのだろうか?

 

 イフェアスという個として自身は過去を乗り越えられているのだろうか? 少しだけそれが気になった。

 それともう一点。 クリステラだ。 あの女にあっさりと敗北したが、今の自分ならどこまで戦えるのだろうか? そんな疑問があった。 どうも碌に食い下がれずに負けたのがショックだったようで記憶の底に澱のように溜まっているのだ。


 今のクリステラは友軍なので試す事は不可能。 そして聖剣使いである以上、勝負にはならないだろう。

 過去は厄介だ。 決定している以上、覆す事が不可能。 それでも考えてしまう。

 ままならないものだとイフェアスは自嘲。 戦いが始まればそんな事を考えている余裕はないので今の内にこの葛藤を心の内に押し込めてしまおう。 彼は落ち着く為にしばらくの間、静かに目を閉じた。

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