第1142話 「迷無」

 イフェアスの居る位置から更に後方――前線指揮を任されているアブドーラは全身を魔導外骨格――ローラーボールで覆い。 配下達と共に静かにその時を待っていた。

 彼の心には全ての迷い、全ての後悔、そして全ての心残りはなく、この戦いで死んでもまったく悔いがないと言える程に清々しく澄み渡っている。


 人生を賭けて探すつもりだった父親である古藤を殺した女――ファウスティナに対して報いを受けさせた事で彼の心に蟠っていた全てが消え去ったからだ。 今の彼の中に残っているのはオラトリアムへの忠誠心だけだった。 最初はそこまで深い考えがあって降伏を選択した訳ではなく、単に勝てないから傘下に入り力を借りられないかと機を窺うつもりだったのだ。


 当時の戦力では大森林に存在するエルフの本拠を落とす事は非常に難しかった。

 それでも裏切った弟――リクハルドを許す事は出来なかったので彼は止める気はなかったのだ。

 何故なら彼は古藤が死んだ瞬間から自分の人生は復讐に費やすと決めていたのだから。


 彼にとって古藤という男は掛け替えのない存在だった。 学のない自分を拾い、根気よく育ててくれたのだ。 彼が居なければ今の自分はなかったと断言できる程にその存在は大きい。

 古藤にとってそれが残して来た肉親の下へ帰る手段を探す旅の寄り道だったとしてもアブドーラの心は救われたのだから。 彼にとってはそれこそが全てだった。


 そう彼の目的はあくまで元の世界への帰還。 アブドーラ達を育てたのもその目的の為の寄り道で本来は必要のない過程。 その筈だったのに――彼が最期に取った行動はアブドーラ達を逃がして追跡者と戦う事だったのだ。 アブドーラは古藤の背中に親から受けられるであろう無償の愛を知った。

 

 そしてそれが理不尽に奪われた事を。 もう二度と手に入らないであろうそれを奪われた時の喪失感と絶望は大きく、全てを捨てて復讐に費やそうと決意するには充分過ぎる動機となる。

 その復讐も最終的に完遂する事が出来たのだ。 アブドーラはオラトリアムに感謝しかない。


 少なくとも残りの人生どころか、死後まで捧げても良いと思えるほどに。

 アブドーラもそうだが、重要な立ち位置に居る眷属は全てローによる記憶の吸い出しを受けている。

 理由は死んだ場合に代わりを用意できるようにだ。 替えの利く雑兵なら再生産すれば良いが、替えの利き難い指揮官クラスの人員は今回の戦いに合わせてローの中にバックアップを残しておく事となった。

 

 そうしておく事で心置きなく死ぬ事が出来るのだ。

 ただ、問題はローが死ねばすべてが御破算になるのだが、そうなれば世界は滅びるので関係のない話だった。 この場に存在する全ての亜人種はオラトリアムに忠誠を誓っている者達だ。

 

 勝利の為には喜んで命を差し出すだろう。

 死ぬつもりで臨むつもりはないが、最後の戦いとなる可能性は高い。


 ――力の限り戦おう。 この命が尽き果てるまで。


 アブドーラは真っ直ぐに視線を固定し、その時を静かに待ち続けた。




 「あー、遂に来る所まで来ちまった感じだな」

 「そうだな。 まぁ、前線じゃない分、まだマシだと思え」


 そう呟いたのはアレックスで肩を竦めたのはディランだ。

 彼らが居る位置は布陣している軍勢の後方――連なっている山々の頂上付近。

 そこには大量の狙撃用の銃杖を構えた者達が戦場へと狙いを定めていた。


 ここで控えている者達は狙撃部隊だ。 その指揮を執る事になったディラン達は始まるまでの時間、暇を持て余していた。 厳しい戦いになる事は聞いていたが、考えても仕方がないのでこうして意味のない雑談を始めていたのだ。


 彼らはオラトリアムが大きく動き出してすぐの頃に入ったので全体で見れば古参に入る。

 グノーシスの聖騎士を廃業してオラトリアムの騎士として治安維持や護衛任務、当初は人が足りなかったので色々な事をやらされていたのだが徐々に勢力が大きくなって仕事が固定されてからは落ち着いた生活となったのだが、敵の規模が大きくなるに合わせて騎士から狙撃手へと役目が変わった。


 「こうして見るとすげえ光景だな。 空を見ろよエグリゴリが揃って飛んでるぜ」

 

 布陣した軍勢を見ればクロノカイロスでの動員数を軽く上回っており、その圧巻とも言える光景は山の頂上から一望できた。 ジオセントルザムを制圧した際も凄まじいなと思っていたが今回はそれ以上だ。

 彼ら狙撃部隊は山々の頂上のあちこちに配置され、独自の判断、または上から指示された対象を狙う事となる。


 ディランが空を仰ぐと大量のエグリゴリシリーズが戦場へと向かって飛んで行く姿が見える。

 振り返るとジオセントルザムの北側から巨大な影がゆっくりと迫って来ていた。

 巨大な魚影――ディープ・ワンだ。 ジオセントルザムでも活躍したその姿はオラトリアムの者達からすれば非常に頼もしく感じるだろう。


 ――それが三つ。


 巨体過ぎるので維持が難しい事もあって最近製造された個体が新たに二体。

 空中要塞として戦場の中央と右翼、左翼側に広がっていく。 ディランのこれまでの常識と照らし合わせると信じられない光景だった。


 空を巨大な魚が泳ぎ、無数の鋼の巨人が飛び回る。

 そして眼下には異形の群、これは一体何なんだと思ってしまう。 以前の自分に言っても信じないだろうなと苦笑。 眷属となった今でも彼は生前の常識を残して――いや、囚われていた。


 ディランはもう諦めに近い境地に達していたが、アレックスは少しだけ怖いと感じていた。

 彼は眷属としてオラトリアムへの忠誠心は揺るぎないが、怖いものは怖い。

 聞けば今回の相手は過去最大級の質と量を誇る。 同時に生存率が低いとの話も聞いているので、本音を言えば逃げたい気持ちがあった。


 それを誤魔化す為にやや軽い口調で話を振っていたのだ。

 ディランもそれを察していたので、やや適当ではあるが反応はしていた。

 

 「――なぁ、勝てると思うか?」

 「さぁな、勝てないなら死ぬだけだ。 考えても仕方ないだろ」

 「だよなぁ……。 こんな事ならもっと色々やってればよかったかもな」

 「何をやりたかったんだ?」

 「あー、良い女抱くとか?」


 それを聞いてディランは鼻で笑う。 眷属となった場合、三大欲求に関しては消えてはおらず残滓としてこびり付いているのでやろうと思えばやれる。

 強い衝動に襲われる事はないがガス抜きに遊ぶ事はあった。 オラトリアムには娼館の類がない――一応、あるにはあるが、行ってしまうと足腰が立たなくなるので以来、足を運ぶ事に強い抵抗がある。


 「『マザー』ならいくらでも相手してくれるだろうが。 確かあそこに行けば逆に金をくれるんだろう? 得しかないじゃないか」


 ディランがそう言うとアレックスは苦い顔で沈黙。

 亜人種などの品種改良用の改造種との事で凄まじい吸引力らしい。 加えて終わった後は活力を取り戻す為の魔法薬と少額だが手間賃までくれるので精力自慢のゴブリンやオーク、トロールが挑んでは動けなくなった後、仲間に担がれて施設から吐き出される。


 ディランは入った事がないので詳しくないが、アレックスは気になって一度試したのだが――半日ほど動けなくなった。 そして馬鹿な事に施設前の一人では来るなと書かれた文言を無視して入ったので動けなくなった所を施設まで迎えに行かされたディランは未だに根に持っているのでこの手の話題になるとマザーの話をしてトラウマを抉る事にしていたのだ。


 「いや、そうなんだが……」

 「暇なのは分かるが勝った後の楽しみにでもとっておけ」


 アレックスの若干気落ちした姿を見てディランは少しだけ笑って見せた。

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