第1125話 「将来」

 ヘオドラの事を思い出すと胸が苦しくなる。

 笑顔で「恋をしてみたい」と夢を語った枢機卿の少女。 彼女は間違いなくこの世に居ない。

 思い返せば自分にできる事があったのかもしれないとは思うが――何度反芻しても彼女を救う手立てはないと思ってしまう。 どうなるのかを知っていれば連れ出すといった選択肢も生まれたかもしれないが、あの混乱の最中にそれを実行できるかは怪しかった。


 聖女はヘオドラの死を確信しており、どう転んでも結果は動かないとも考えていたのだ。

 彼女の考えは正しく、センテゴリフンクスで敗北した彼女は命を落としたが仮にそうならなかった場合は本国の守護に就いていた筈なのでどう頑張ってもオラトリアムとの衝突は避けられなかった。


 そして遭遇した上で彼女が生き残れる可能性は皆無と言っていい程に低く、遥か未来を知る手段でもない限り救う事は不可能だろう。

 聖女にとっての問題はヘオドラの死因がオラトリアムにある点だ。 今の彼女はオラトリアムとは無関係。

 記憶と知識があるだけで体は別人、名実ともに部外者といえる。

 

 だが、オラトリアムは彼女にとっての故郷であり、かつて治めていた地。

 今は関わっていないから知らないと他人事のように流せる事ではなかった。


 ――いつかは何らかの形での決着は必要になる。


 具体的にどう着地するかすらあやふやな考えだったが、聖女の中ではオラトリアムと向き合う事はこれからの人生を歩む上で必要な事であると感じていた。 彼女なりに吹っ切ったつもりではあったが、過去は色褪せる事はあっても消え去る事は決してない。


 ならば向き合うべきだと考えるのは彼女自身の成長といえるのかもしれなかった。

 ただ、それがどのような結果を齎すのかは不明ではあるが。 今の聖女ハイデヴューネは以前とは違い漠然とした「正しい行い」ではなく「聖女として正しい行い」を念頭に置いた考え方をしている。


 誰一人、何一つ犠牲を出さずに事を収められれば完璧だ。 それこそが聖女に求められる行いではないか?

 当初、そんな事を考えていた時期もあった。 非の打ちどころのない完璧な答えがこの世に存在している筈だ。

 そんな甘い考え――幻想を抱いていた時期も間違いなく存在していた。


 ただ、これまで歩んで来た道程が彼女にそんな甘えを許さない。 完璧さを追求した結果、救える命を取り零す。 失わなくていいものを失う。

 それだけはあってはならない。 達成できない理想に自己満足以上の価値は存在せず、発生した結果は否応なしに現実として目の前に立ち塞がる。


 現実的に物事を考えて行動に移す。 普段からエルマンがやっている事ではあるがなんと難しい事か。

 やはり自分には人を率いる才能はない。 聖女はそう自嘲気味に笑う。

 

 「クリステラさんは落ち着いたら何かしたい事とかあるの?」

 「……落ち着いたらですか?」

 「うん。 多分だけど次の戦いが終わったら暇になるって程じゃないと思うけど色々と余裕ができると思うんだ。 だから、仕事とかじゃなくて何かやりたい事とかないのかって」

 「私自身がやりたい事ですか……」


 唐突な質問に対する困惑もあったが、改めて何をしたいのかと尋ねられるとクリステラは答えに窮してしまう。 元々、彼女の行動にはやるべき事――つまり明確に優先順位が設けられており、上位に位置するものから処理するといった考えが根幹にあった。


 それもモンセラートやイヴォンとの日々により大幅な改善を見たが、自己の願望や欲望は何かと尋ねられれば返答に困る程度には薄弱である。

 休日は確かに存在するが、モンセラート達に付き合って出かけたりで自分の為に時間を使う機会が少ないのだ。 あったとしても鍛錬に当てるので遊びや趣味の延長――プライベートと評するにはやや語弊がある。


 「少し答えるのが難しい話ですね。 ご存知かとは思いますが、私は幼少の頃より聖騎士として生きると決めており、早い段階でその使命に殉ずるつもりで日々を過ごしてきました。 私にとって空いた時間は聖騎士としての自己を高める為のものでしかありませんでした」

 「クリステラさんがそれだけ一生懸命だったって事は僕も理解しているつもりだよ。 ただ、これからはそれだけじゃだめだと思うんだ。 だから、聖騎士ではなく個人としてのやるべき事を見つけるべきだ。 ――ちょっと押しつけがましいかな?」

 「いえ、聖女ハイデヴューネ。 貴女の言葉は正しい。 私もいい加減、グノーシスに縛られるべきではないと思っています」


 幼少の頃、クリステラを救い育てて来たのはグノーシスで、今の彼女があるのは間違いなく教団の存在が大きい。 しかしとクリステラは考える。

 教団はつい先日に滅び、凄まじい技術力と速度を以って塗り替えられているクロノカイロスの姿を目の当たりにした今、自分の道を見つめ直すいい機会なのかもしれない。


 「……そうですね。 もしも許されるのならモンセラート達を連れてこの国を見て回り見聞を広げたいと思います。 未だに一人では何もできない身ではありますが、彼女達と一緒ならあるいは――」

 

 クリステラは今思いついた事を口にしながらも自嘲の笑みを浮かべる。

 結局の所、自分は彼女達に依存しているだけではないのか? そうとも取れる言葉だったからだ。

 聖女は首を振って笑みを浮かべる。


 「そんな事ないよ! いいじゃないか、皆で旅をするなんてきっと楽しくなる」

 「――とはいっても立場上、長く王都を空ける訳にもいかないので実現は――」

 「できるさ。 今は転移もあるからどうにでもなる。 だから、彼女達を連れて行きたい所に行けばいい」

 

 聖女の言葉に微かな引っかかりを覚えたクリステラは小さく笑みを浮かべながら探りを入れる。


 「その時は聖女ハイデヴューネ。 是非、貴女も一緒に」

 「うん。 僕で良ければ喜んで」

 「先程の質問ですが、貴女自身には何かやりたい事はないのですか?」

 

 聖女は少しだけ虚を突かれた様な顔をした後に苦笑。 自分の内心を見透かされたような気がしたからだ。

 

 「参ったな。 そんなに僕は危なげに見えたのかい?」

 「ええ、何だか消えてしまいそうな気がしたので――」

 「……一応だけど僕にもやりたい事はあるよ。 正確にはやっておかないといけない事かな? でも、それは今じゃない」

 

 その一点においては確信に近いものを感じていた。 こうしてオラトリアムの事を考えられているという事は恐らく無理に接触しようとしても何らかの形で成功しないだろうからだ。

 今になってこうして噴き出すようにオラトリアムに関しての疑念が現れた事も、考えても問題がないからだろう。 こうして聖女は幸運な事に余計な危険を冒さずに済む事となる。


 「クリステラさん。 その気持ちは大事な物だから絶対になくしちゃダメだ」

 「聖女ハイデヴューネ。 貴女が私を心配してくれているように私達も貴女を心配している事だけは忘れないで下さい」

 「……ありがとう」


 話題が尽きたのか二人はそのまま沈黙。 ややあって、自然と解散する流れとなった。

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