第1072話 「差出」

 水銀の槍と銅の剣の雨を凌ぎながらハーキュリーズはこれはもうどうにもならないと敗北を悟っていた。

 彼の周囲にいた救世主や聖堂騎士はほぼ全滅。 即死したか生きていても戦闘不能だ。

 手数が減った事により聖女は周囲を巻き込むような範囲の広い攻撃を多用し始めた事も敗北を感じさせる要因だった。


 ここで聖女が単騎で突出しているという状況がグノーシス側に悪く働いており、周りに味方が居ないので聖女はもうやりたい放題だった。 水銀と銅の武具による攻撃は聖騎士では躱す事すら叶わず聖殿騎士でどうにかといった危険な代物だ。 その為、可能な限り叩き落さないと味方の被害が増えるので、処理せざるを得ない。


 そして最大戦力のハーキュリーズが防御に回る事で攻め手を欠き、結果的に彼の部下が次々と脱落していく。 聖女の性質の悪い所は守りに入った者に攻撃を集中して確実に減らそうとしてくる点にある。 お陰で救世主は残り数名、フォローに入った聖堂騎士も殆ど残っていない。

 そして畳みかけるように本国への襲撃と転移魔石破損による撤退不可能と状況が次々と悪くなった事もあり、これはもう駄目なのではないだろうか?といった諦めに近い感情が浮かんでいた。


 ここまで押し込まれると現場レベルの判断での打開は難しい。 かと言ってこの場の指揮を執っているヴァルデマルには期待できそうになかった。 あの男の専門は説法であって、軍団指揮ではない。

 現実にこの戦いでやっている事と言えば突撃命令だけで、そんな有様の男に何を期待しろというのだ?


 ――これは死ぬかもしれない。


 ハーキュリーズはぼんやりと敗北とその先にある自らの死を意識する。

 ただ、恐怖の類はなかった。 そもそも惰性で生きていたので、ここで死ぬのも潮時なのだろうといった感想しか出てこないのだ。 だが、そうでない者達もいる。

 部下達だ。 彼等は自分と違って明日への希望を持って生きている。


 ハーキュリーズは余り部下との交流を行っていなかったが、時折漏れ聞く彼等の会話に耳を傾ければそれぞれが何らかの形で明日へ希望や夢を語っており、それを胸に今を生きているのだ。

 自分のような者ではなく、明日を強く求める者達こそ生きるべきだと彼は思っている。


 だからこそ聖女の攻撃に対して彼は部下を守るという行動を取らずにはいられない。

 対する聖女も敵を思いやる余裕はないので付け入れる部分があるならそこを徹底的に狙うといった行動しか取れない。 結果として情け容赦なく聖騎士達を屠っていく。


 増援も途絶えた今、グノーシス教団の状況は刻一刻と悪くなっていく。

 本陣への攻撃を仕掛けている者達も奮戦しているがアイオーン教団は最初から防衛戦の構えを取っているので攻略は遅々として進まない。 それもその筈だった。

 

 ウルスラグナ――アイオーン教団の本隊は物量にものを言わせて叩き潰すつもりだったのだ。

 その増援が途切れた以上、破綻は目に見えていた。 つまりは本国が襲われた時点でもう自分達はアイオーン教団とその背後にいるであろう何者かの掌の上だったのだ。


 どうにかしたいとは思っていたがどうにもならない。 ハーキュリーズは我ながら情けない奴だと自嘲。

 そんな時だった。 後方から連絡があったのは。

 寄越したのはヴァルデマルではなくマルゴジャーテからだった。 直前に権能による支援が途切れたのでいよいよ終わりかと覚悟を決めていたのだが、連絡内容は投降するので撤退せよとの事。


 理由は本国が陥落したかららしい。  

 真偽は定かなのかと聞き返したかったが、その本国から武装解除して投降せよと連絡が入ったのだ。

 疑うまでもない事実としか言えなかった。 ハーキュリーズは了解と返事をして連絡を絶った。


 「全軍撤退! 一度本陣まで下がれ!」


 ハーキュリーズは声を張り上げる。 突然の撤退命令にあちこちで困惑の声が上がるが、他の者にも撤退命令が出たので聖騎士達は戦闘を中断して後退を開始。

 

 「……聖女殿。 どうか部下達への攻撃を待っていただけないだろうか?」


 部下達が下がり始めた所でハーキュリーズは聖剣を鞘に納め、戦闘態勢を解いて聖女に頭を下げる。

 聖女は何も言わないが息遣いからやや困惑している様子が伝わって来た。

 

 「当然、ただでとは言わない。 これでどうだろうか?」


 ハーキュリーズは死んだ部下が落とした鎖を自身の聖剣に巻き付けて拘束し、聖女へと差し出す。

 

 「頼む。 侵攻しておいて身勝手だとは思うが、あいつ等を見逃してやって貰えないだろうか? 不足だというのなら後で俺の首を差し出してもいい」


 聖女はハーキュリーズの真意を測り切れずに困惑。


 「……戦闘の意志はないと言う事ですか?」

 「あぁ、もう戦う気はない」


 その言い回しにハーキュリーズは若干の違和感を覚えた。

 聖女は本国襲撃の事を知らないといった様子だったからだ。 気にはなるがどちらにせよ負けた事には変わりはないので特に触れるような事はしない。


 「落ち着いたら改めて連絡する事になると思うがそちらに投降する」

 「分かりました。 その言葉を信じます」


 聖女はそう言うとハーキュリーズから聖剣を受け取った。

 

 

 

 「は、はは。 信じられねぇ。 何とかなっちまったよ」


 そう呟いたのは砦で指揮を執っていたエルマンだ。 撤退していくグノーシス教団の軍勢を見て思わずそんな声を漏らす。

 最初は大地を埋め尽くさんばかりの大軍勢の突撃に早くも心が折れそうになっていたが、聖女の奮戦と事前に準備しておいた時間稼ぎの策が全て機能したお陰で被害は最小に抑えられはした。


 実際、ウルスラグナ側の損害は驚く程に少なかったのだ。

 計上はこれからになるだろうが、目算で全体の三割強と言った所だろう。

 異邦人達も健在、モンセラートも疲労こそあるが無事。 グノーシスが軍を引いた時点で、もうこの後の展開が読めているので何とかなったと判断するのは早計ではなかった。


 増援が途切れた時点で本国に余裕がなくなり、撤退したと言う事は陥落した事の証左だろう。

 

 ――信じられねぇ。 本当にクロノカイロスを落としちまいやがった。


 グノーシスの撤退はオラトリアムの勝利を意味する。

 やれるだろうなといった謎の確信はあったが、いざ目の当たりにすると驚きが先に立つ。

 そしてこの先に訪れるであろうファティマとのやりとりを考えると胃が痛む。


 クロノカイロスが滅んだ以上、オラトリアムは世界を支配したと言っていい。

 あの連中は世界を手中に収めて何をしようとしているのだろうか?

 そしてクリステラを勧誘する危険を冒してでも備えたい敵――世界の滅び。


 戦いが終わったというのに次の戦いが控えていると思うと勝利を素直に喜ぶ事は出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る