第1055話 「話始」
ラディータの捕縛に成功したとの事でほっと胸を撫で下ろした
王城の各所では侵入したオラトリアム側の戦力と近衛の衝突による衝撃で建物が断続的に揺れる。
階段を上り、広々とした廊下を抜けると巨大な扉が見えて来た。
防衛戦力が配置されているのかとも思ったが誰もいない。 その事実に警戒しつつも二人は扉を前に小さく頷いて内部へと足を踏み入れる。
中は広々とした空間で近衛の姿はない。 そして最奥の玉座にその男は存在した。
「エロヒム・ギボールとアドナイ・メレクか。 貴様等がここまで来れたという事はラディータは死んだのか?」
法王――カポディスドレウ・ミツォノロプロフ・クロノカイロスは二人の聖剣使いを無感動に見つめてそう呟いた。 その表情には眼前にまで賊の侵入を許した事に対する怒りなどの感情は見られない。
弘原海はその反応にやや訝し気なものを浮かべ、クリステラは何かを察したのか目を細めた。
「……少なくともあんたを助けには来れませんよ。 一応、確認しますがこの国の国王――法王で間違いないですか?」
弘原海の質問に法王は特に応えずに座った玉座に深く背を預ける。 その反応に警戒心が持ち上がるが、法王の周囲には目立った危険はなく、聖剣も沈黙したままだ。
これはどう判断すればいいんだろうか? 法王には抵抗しようといった素振りが見られない。
「俺達はあんたを捕まえてこいと言われています。 抵抗しないなら手荒な真似はしませんが――」
「騎士ワダツミ。 恐らく彼には抵抗する気がありません。 ……法王よ。 クロノカイロスの王たる貴方が何故そこまで倦んだ顔をしているのですか?」
クリステラの言葉を理解できなかったのか弘原海は視線を向けるが、彼女は構わずに真っ直ぐに玉座を見つめる。 法王は面白いと言わんばかりに小さく眉を吊り上げ、口が笑みを浮かべる。
「ほぅ、私が退屈そうに見えると?」
「いえ、どちらかといえば疲れているように見えます」
それも少し違うかとクリステラは思い直す。 法王の表情に浮かんでいるのは疲労と言うよりは深い諦観――諦めだ。 かつて死の淵に居たモンセラートが浮かべていたものに近い。
ただ、近いが同一には見えなかった。 死を受け入れてはいるが、望んでいないのはモンセラートだ。
法王は死を受け入れており、そうなる事を
まるで死にたいのに死ねない。 法王にはそんな解放を望んでいる囚人のような趣さえあった。
「……なるほど。 疲れている。 疲れているか、確かに私は疲れているのかもしれんな。 さて、ここまで来た貴様等にはいくつか確認しなければならない事がある。 ロヴィーサ――教皇はどうした?」
「いや、その辺は上に――」
「話を進めたいなら私の質問に答えろ。 安心しろ、逃げも隠れも抵抗もしない」
弘原海は法王の言葉にやや圧される形にはなったが、少し考えて連絡を取る。
前線指揮のヴァレンティーナ経由で戦況の確認。 戦況と大聖堂の制圧状況を尋ねる。
「――まだ分からないですね。 ただ、かなり奥まで入っているみたいですよ」
ぼかした言い方ではあったが、大聖堂にはあのローが行っているのだ。
実際に戦っている所は見た事がないが、彼の強さに関してはグリゴリ戦での戦果が物語っている。
聖剣使いを二人返り討ちにし、グリゴリの大将格を仕留めた強者だ。
教皇がどれほどの力を持っているかは知らないが、ローとその手に握られている魔剣の力を以ってすれば負ける事は考え難い。 弘原海が断じるには当然ながら根拠があった。
それは手に持っている聖剣だ。 後にも先にもあれ程の強い警告を発した事がなかった。
少なくとも聖剣は彼の事を最大級の脅威と認識している。 そんな強大な存在をどうにかできるとはとてもじゃないが思えなかったからだ。
法王は弘原海の返答に満足したのか小さく頷いた。
「そうか、なら無理に義理立てする必要もないか。 さて、近衛を突破して来た聖剣使い達よ。 貴様等は何を求めてこのクロノカイロスへと足を踏み入れた?」
「依頼です」
「俺は上の意向に従っただけなので、そういう小難しい話は偉い人相手にやってくれませんかね?」
即答。 クリステラは端的に述べ、弘原海は判断が付かないと暗に白状していた。
その反応が面白かったのか法王は小さく笑う。
「なんだそれは? 聖剣使いだというのに貴様等は使い走りか? 面白い、やはりたまには見知らぬ相手と言葉を交わすものだな。 新鮮な気持ちになれる」
――どうしよう……。
法王の態度に弘原海は困っていた。
正直、やり難い相手だ。 明らかに抵抗する気がないので、乱暴に連行してもいいのかといった躊躇が生まれてしまったのだ。 作戦か何か? 時間稼ぎの類か?
無数の疑問が弘原海の脳裏を通り過ぎるが、どう見てもそんな素振りは見受けられない。
アドナイ・メレクの能力で魔力の流れにはかなり敏感なので、魔力を用いた罠や小細工にはすぐに気が付けると自負していたが、その気配は欠片も存在しない。
少なくとも弘原海の認識できる範囲で法王には何かするといった素振りは見受けられないのだ。
クリステラも抵抗する気がないと確信しているのか聖剣を鞘に納めていた。
法王は視線を少し上げて虚空を見つめるがややあって元に戻す。
「……そうだな。 当ててやろう。 貴様等の目的はこの先に訪れる携挙――世界の滅びから逃れる方法を奪いに来たと言った所か?」
「世界の滅び?」
反応したのは細かい事情を知らされていないクリステラだ。
「なんだ? 知らんのか? そう遠くない内――まぁ、保って数年だな。 少なくとも五年は無理だ。 それぐらい後に世界は滅びる」
――うわ、これって俺が聞いていい話なのか?
世界の滅びに関しては触り程度は聞いていたので驚きはない。 ただ、かなり深い事情を知っているであろう法王の知識に触れていいのかといった疑問はあった。
「……具体的には何が起こるのですか? 滅びると簡単に言われても理解できません」
「そんなに難しい事は起こらんよ。 分かりやすく言えば化け物の群れが辺獄の奥から無限に湧いて来て生きている存在がいなくなるまで侵攻を続けるだけだ」
法王の言葉に弘原海は「ヤバい。 勝手に話し始めちゃったよこの人」と焦りを浮かべた。
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