第1044話 「霧引」

 どうすれば、どうすれば良いんだ。

 目の前で起こっている惨劇にベレンガリアは震える事しかできなかった。

 青黒の霧で視界が利かないが、中から聞こえる異音や悲鳴で嫌でも想像させられる。

 

 霧を吹き飛ばそうとしていた救世主達は諦めたのか、味方を巻き込む事も構わず攻撃を開始。

 下手に味方に気を使った方が被害が大きくなると判断したからだ。

 風の刃が重たい煙のような霧を断ち割るように次々と向かっていく。 斬撃が床へ接触した際の音が響きはするが、明らかに当たっている手応えがない。


 本音を言えばベレンガリアは安全な所へ逃げ出したいが、退路はあの有様なので下手に突破を試みれば間違いなく殺される。 そして後ろの通路は通る手段がないので実質行き止まりのようなものだ。

 つまり逃げ場がない。 そして戦況は悪いとしか言いようがなかった。


 戦闘に関しては素人のベレンガリアですらこれは負けると確信できる程の劣勢だ。

 霧の中では絶えず悲鳴が響き、救世主達は近寄らずに攻撃を繰り返さざるを得ないという悪夢のような光景だった。

 視界の利かない霧中で絶望的な戦いを強いられている者達は敵と戦いながら味方からの攻撃にも気を配らなければならない二重苦に陥りながらも状況を打開せんと奮戦。 だが、そんな状態でまともに戦える訳もなく、一人、また一人と命を失っていく。


 「クソッ! 一体何が起こって――な、これ――」


 飛んでいた数人の救世主の高度が不意にガクリと落ちる。 明らかに力が抜けたというよりは何かに引っ張られたかのような落ち方だった。

 目を凝らせばその足に不可視の何かが喰らいついており、救世主達は抗おうとしていたが行動を起こす間もなく霧の中に引き摺り込まれ――数秒後には悲鳴が響き渡る。

 

  救世主――それも近衛に属する者達はグノーシス教団の中でも最精鋭と言っても過言ではない程の戦力だった。 その筈だったのだ。

 それが次々と訳も分からずに死んでいく。 近くで見ているベレンガリアですらも何が起こっているのかさっぱり分からなかった。


 クエンティンも考えている事はベレンガリアと似たような物で、認めたくはなかったが脳裏には「これは無理じゃないのか?」といった考えが強く浮かんでいる。

 人死に耐性の低いグリゼルダは目の前で起こっている惨劇に怯える事しかできなかった。


 気が付けば救世主は残り二人、聖堂騎士は全員霧に呑まれて姿が見えない。 この様子だと全滅した可能性が高い。 聖殿騎士達は遠巻きに魔法を撃ちこみ続けていたが、効果があるようには見え――

 

 「ヒッ!? は、放――あ、あぁぁぁぁぁぁ」


 ――今度は聖殿騎士達が不可視の何かに足を掴まれて引き倒され、そのまま地面を引っかきながら霧の中へ引き摺り込まれて行く。

 

 そして先程の救世主達に起こった出来事を再現するように次々と悲鳴が上がる。

 ベレンガリア達の近くで見ていた柳橋達も呆然とするしかなかった。

 次々と殺されて行く近衛聖騎士達。 手口は明らかに人間のそれじゃない。


 異邦人達の大半はこう思った。

 いつから自分達は性質の悪いB級ホラーの世界に迷い込んだのだ?、と。

 本音を言えば彼等も逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、当然ながら退路はないので動けない。

 

 気が付けば聖殿騎士も次々とその数を減らし――やがて全滅した。

 残った救世主の二人は引き摺り込まれる事を警戒して離れた距離からひたすらに風の刃を放ち続ける。

 霧の中に音もなく吸い込まれ続けるが、救世主達は攻撃し続けている間は安全とでも思っているのか何か取り憑かれたかのようにひたすらに剣を振るい続け――


 「はぁ……は、ぁ……」


 ――力尽きたのか羽が消滅し、床に降り立つ。


 やったか?と希望的観測を抱くが、それは秒も続かなかった。 彼等の着地と同時に霧を突っ切って謎の円盤が飛び出し、二人の首を刎ね飛ばす。

 人間の首が冗談のように高々と宙に舞い、床を小さく跳ねて転がった。

 

 「――ヒッ!?」


 やや遅れて残った胴体の切断面から血液が噴出。 それを見たグリゼルダから小さな悲鳴が上がる。

 ドサリと頭を失った救世主達の死体が倒れ、空間に静寂が満ちた。

  

 ――ど、どうなったんだ?


 柳橋達は声には出さずに疑問を抱く。 下手に目立つ真似をすれば死ぬと本能的に悟っていたからだ。

 霧は晴れず、その奥がどうなっているのかは全くと言って良い程に窺い知れない。

 異邦人達は思わず顔を見合わせる。 状況が分からない以上は調べなければならないが、恐ろしすぎて近づく事も躊躇われたからだ。


 ――霧が晴れるのを待つか?


 そんな消極的な考えが彼等の脳裏に浮かぶが、彼等は敵に対しての理解が全くと言って良い程に足りていなかった。 いや、理解する事を拒んでいたのかもしれない。

 理屈ではなくもっと深い部分で、目の前にいる生き物は自分達の理解の及ばない何かだと。


 だが、それが彼等の運命を決定付けた。


 ――仮に適切に動けたとしても変わらなかったのかもしれないが。


 不意に動きがあった。 そしてそれは劇的で、柳橋達は大きく目を見開く。

 霧を突っ切って凄まじい数の円盤とそれを追いかけるように闇を凝縮したような巨大な線虫に似た何かが突っ込んで来たのだ。


 突然の出来事に異邦人達は咄嗟の反応が遅れ、棒立ちで直撃を受けた者が多かった。

 回転する円盤の切れ味は凄まじく、聖堂騎士と同規格の鎧ですら容易く斬り裂かれる。

 それにより細切れにされた者は楽に死ねた分、まだ幸せだったのかもしれない。


 問題は線虫――ワームに丸呑みにされた者だ。 ゴラカブ・ゴレブの炎を凝縮して形作っているそれに呑み込まれた者はその付加効果を全身で受け止める事になるからだ。

 

 「ぎゃぁぁぁぁ」 「な、何だこれ!? 何だこれぇぇぇ!」

 「た、助けて! 助けてぇぇ!!」「嫌だ! 嫌だぁぁぁ!」


 阿鼻叫喚。 正にその言葉が相応しいとしか言いようのない状況だった。

 恐怖で硬直した異邦人達は為す術もなく恐怖と苦痛の坩堝に呑まれて行く。

 そんな中、比較的ではあるが冷静だった柳橋はハンマーで円盤を叩き落し、魔力を込めてワームに叩きつけるが、追加が次々と霧の向こうから現れるのでどうしようもない。


 ――この状況を打開する手は一つ。


 行くしかない。 柳橋は覚悟を決めて解放を使用。 転生者の切り札で身体能力を爆発的に高めてくれるが時間制限が存在し、切れると身動きが取れなくなる諸刃の剣だ。

 その肉体が一気に巨大化。 他の生き残った者達も同様に解放を使用。 恐怖を振り払い、自らを鼓舞するように叫びながら突撃を敢行。


 勝てるとは思えないがもうこれしか手段がない以上、やるしかない。

 柳橋も他の者達と同様に叫びながら霧へと突っ込んでいくが、霧の奥で何かが光ったのを見て――


 ――そこまでだった。


 霧の向こうから迸った闇色の光に彼等の視界は焼き尽くされた。

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