第1043話 「霧中」
現れたのは一人の男だった。
救世主や異邦人達は見覚えのない姿と手に持っている魔剣を見て表情を引き締める。
クエンティンは恐怖の余り、顔色が青いを通り越して死人のように白くなっていた。
グリゼルダは無意識に下がり、ベレンガリアはそっとクエンティンの陰に隠れる。
柳橋は持っていた武器――長柄のハンマーを構えながらも必死に思考を回す。
目の前の男は明らかに危険だ。 この場所まで来れている時点で、上にいた救世主や聖堂騎士を突破して来た――いや、近衛の忠誠心の高さは教団内でも屈指だ。 命に代えても阻もうとするだろう。
つまり上に居た者達は殺されたか、動けない程に痛めつけられたかのどちらかになる。
何よりも恐ろしいのはクエンティン達が降りて来てからそこまで時間が経過していない事だ。
クエンティン達が離れた時点では話によれば旗色こそ悪いようだったが、安全に逃げ切れる戦力は残っていたと見ていい。 柳橋もここに来るまでに見て来たが、最低でも救世主、聖堂騎士、聖殿騎士の精鋭が合計で百数十名は居たはずだ。
つまりこの男はそれだけの数の精鋭を全滅させてから降りて来たという事になる。
――勝てるか?
ここにいるメンバーは救世主数名、聖堂騎士十数名、聖殿騎士数十。 そして柳橋を含めて異邦人十数。 最後に勘定に入れていいのかは疑問だが枢機卿二人にベレンガリア。
大抵の相手ならどうにかなりそうな戦力だが、上の戦力を全滅させてきたであろう相手には心もとなかった。 柳橋は異邦人としてこの世界に降り立ってからそれなりに時間も経過し、そこそこの戦闘能力があると自負していたが単騎で救世主などの上位戦力相手に勝利は厳しい。
結局の所、異邦人は身体能力の面で優れてはいるが、現代日本で生きて来た人間では完全に使いこなすのは難しいと彼は考えていた。
そこそこ強い。 それが柳橋自身が異邦人という括りの戦力に付けた最終評価だった。
権能や魔法技能の習熟が進めば改善の余地はあるが、精神面的な問題で難しいと思ってる。
その為、彼は慢心の類は決してしない。 それをやってしまうとこの世界では間違いなく長生きできないと理解しているからだ。 同郷の者達――特に若者を中心に流行っている「チート」なる恩恵を得ていると声高に主張している者の事は表には出さないが正直、何を言っているんだと内心で首を傾げている。
確かに優れてはいるが技量や技能で覆せるレベルの物だ。 この世界を生き抜く為に有用な武器ではあるが「
だからこそ冷静に判断するべきなのだ。 軽々に仕掛けるのは危険――
「止まれ! 貴様、ここが何処か分かっているのか!?」
救世主は武器を突き付けて男――ローに剣を突き付ける。
ローは救世主の制止を無視して通路を抜けてこのホール内に入って来たので、救世主達は敵対行動と判断したのか即座に戦闘態勢を取る。
柳橋は冷静にローの姿を観察。 体つきに関しては大柄ではあるが、魔法や権能などの超常の力が働く世界では体格は当てにならない。 ヒョロヒョロの痩せ細った人間が、自身の数倍の大きさの魔物を素手で殴り殺す事も可能な世界だ。 見た目で侮る事はこの世界でやってはいけない事の上位に入る。
「言葉も分からぬか! 神敵め! 裁きを受けろ!」
救世主が「天国界」を展開し聖堂騎士が真っ直ぐに切り込み、聖殿騎士が包囲。
この一連の動きだけでも彼等の練度の高さが窺える。 柳橋や彼の同僚達も一瞬、加わるべきかとも思ったが、上手く連携を取れる自信がなかったので邪魔にならないように少し下がる事にした。
この空間はそれなりに広い。 救世主達が背の羽を展開して飛び回れる程度は問題なく、遮蔽物もないので戦闘行動を行う上での障害も少ない。
実際、ここにあるのはローが入って来た通路と奥へ続く通路だけだが、奥への道は入った所で魔法的にロックされた扉があるので実質、行き止まりと同じだ。
聖堂騎士が前衛、救世主が上から権能による風の刃での攻撃による中~遠距離からの後衛。
聖殿騎士が魔法での援護や各種強化や回復などの支援。 完璧と言って良い程に綺麗に分けられた分担。
対応できる者はそう多くないだろう。
――だが、ローはその対処できない大半には括られなかった。
『
『
ローの口が開いた瞬間、彼を中心に不可視の何かが広がり、一瞬遅れてその全身から青黒の霧が噴き出す。
「……何だこれ……」「う、気分が……」
柳橋の同僚達が次々と違和感を口にする。 それは彼自身も感じていた事だった。
体調に問題はない。 特にどこかが痛いとか苦しいと言う事はないが、気分が悪くなってきた。
いや、正確には気持ちが沈むのか? 恐らく霧の前に広がった不可視の何かが及ぼした影響だろうと考えていたが、何をされたのかがさっぱり分からない事が不気味だった。
「気を付けろ! 恐らくだがあの霧は権能による物だ!」
「権能の維持が怪しい、何かしらの干渉を受けている」
即座にあちこちから誰かの鋭い警告が飛ぶ。
「誰か! この霧を――がぁぁぁぁ!!」
悲鳴と何か水っぽい何かがぶちまけられた音が霧の奥から響く。 少し遅れて金属音。
恐らく剣か何かで打ち合っている音なのかもしれないと思ったが、即座に砕けるような音と悲鳴が上がる。 霧の奥で何が起こっているのか柳橋にはさっぱり分からなかったが、恐ろしい事が起こっている事は間違いないだろう。
「霧を散らす! 急げ!」
救世主達は霧をどうにかしようと風で吹き散らそうと即座に行動を起こす。 だが、霧は発生源から際限なく湧き出しているのか、散った端から噴き出してきているらしく晴れる気配はなかった。
「く、クソ! 一体何が、何処から来るんだ? 一人の筈だろうが! 何であちこちから――や、止め、あぁぁぁぁぁ!!」
ガリガリと金属を削るような音が無数に響く。 柳橋が連想したのは電動ノコギリか何かで固い物を削っている光景だったが、霧の奥にある金属は生身の人間が身に纏っている鎧だけだった。
包囲していた聖殿騎士達はどうすれば良いのかといった困惑を浮かべていたが、緊急と判断したのか仲間を助けようと飛び込んだ者もいた。
――ただ、飛び込んで数秒で悲鳴が響き渡ったが。
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