第1022話 「捨身」

 本国での生活はハーキュリーズにとって苦痛を伴う時間だった。

 手を抜けない環境、休まらない心、面倒な人間関係。 やってられないといった言葉が何度も喉から出かかったが、家族の為と言い聞かせて日々を過ごした。


 ただ、苦労をしたかいあって家族の生活は大きく向上する事となる。

 母親も気持ちが持ち直したのか、少しずつではあるが笑顔が増え始めた。

 あぁ、良かった。 そんな事を考えながらも日々を過ごす。


 クロノカイロスへと移り住んでからそれなりに経った頃だろうか。

 祖父母が死んだ。 特に何かあった訳でもなく老衰だった。 最初に祖母が、後を追うように祖父が死んだ。

 二人ともハーキュリーズに感謝しながら安らかに息を引き取った。


 悲しかったが満足そうだったので二人に対して出来る事はやり切ったのだろうと彼は思う事にし、最後に残った母を大事にしようとしたが、その母もそう日を置かずに死んだ。

 元々弱っていた心は両親の死という喪失に耐えられなかったらしい。 母はハーキュリーズに感謝と「ここまで人生を縛ってしまって申し訳ない」と言い残した。 ここにきてようやく彼は母が何を考えていたのかを悟る。


 母が死んだ夜、ハーキュリーズは泣いた。 後にも先にもここまで泣いたのは初めてだろう。

 そう思えるぐらいに悲しかった。 母は自分が息子の選択肢を奪った事を気に病んでいたのだ。

 家族を失って一人になった彼はやる事がなくなってしまい、仕事への意欲が根こそぎ消えてしまった。


 それでも習慣の所為か、体は勝手に動いて日常を消化していく。

 ハーキュリーズは淡々と日々を過ごしていたが、人生を見つめ直す潮時なのだろうかと考えていたある日に再び転機が訪れる。

 聖剣の選定だ。 先代のガリズ・ヨッドの担い手が死亡したので新しい担い手を選ぶ必要があった。


 聖剣はあらゆる傷を癒し、老化を止め、使用者をあらゆる事から守るだろう。

 だが、魂の摩耗だけは避けられなかった。 肉体は健康であっても魂の老化は避けられず、緩やかに死を迎える事となるのだ。


 それが聖剣使いの最期。 特に救世主でもあった先代は辺獄の領域攻略の際にかなりの消耗を強いられたので、それにより一気に寿命を縮めてしまったのだ。

 グノーシス側としても次の担い手は扱い易いに越した事はないので、操り易さと能力を兼ね備えた実力者を選定して聖剣に挑ませる。 ハーキュリーズは聖剣には欠片も興味がなかった上、やる気もなかったのでどうせ弾かれて終わりだろうと軽く考えていたのだが――


 ――ハーキュリーズの予想とは裏腹に現実には彼の手に握られた聖剣がそこにあった。


 真っ先に出た感想は「これって辞退できないだろうか?」といったものだったが、周囲の視線と反応を考えればとてもじゃないが言いだせずにそのまま聖剣使いとしてジオセントルザムへ引き上げられる事となる。

 聖剣使いとして仕事をこなしている内に気が付けば教皇筆頭近衛という偉そうな肩書まで与えられてしまった。 本音を言えば誰かに押し付けてしまいたいのだが、面倒以外のやりたくない理由もなかったのでそのまま流されるまま今に至る。


 部下も増え、責任も重たくなった。 彼のやるべき事は地位が上がった事で広がる。

 ハーキュリーズは連れて来た部下の命を背負っているのだ。

 彼からすればそれは非常に面倒で重たい荷物だった。 それでも背負った以上は簡単に見捨てていいとは思えない。 身近な存在が居なくなる事の喪失感を彼は良く知っていたからだ。


 ヴァルデマルの口振りからラディータはジオセントルザムの防衛でこちらには来られない。

 そして戦況が良くないから戻って来いと言っているので、立場を考えれば早々に引き上げねばならないのだが……。

 彼の中には若干の躊躇があった。 立場上、追い詰められているヴァルデマルはこのまま無謀な攻撃を継続するだろう。 ここで撤退すれば肩を並べて戦っている彼等は高い確率で全滅する。


 正直な話、ハーキュリーズは教皇に対して忠誠心を持ち合わせていなかった。

 子供の姿をして老婆の様な口調で話すあの生き物に対して彼の抱いた印象は一つ。

 汚らわしい。 あの視線や口調もそうだが、行動の端々に薄汚い保身が見え隠れするあの性根はハーキュリーズにとって見ていて気持ちが悪かったからだ。 ハーキュリーズの事を教皇がどう思っているかは知らないが、彼自身は仕事と割り切っているので表には出さない。


 ――ただ、嫌悪感が態度に出るかもしれないと思ったのか兜を被って表情を隠し、視線は一切合わせないように気を付けてはいたが。


 ハーキュリーズは教皇の事が嫌いではあったが、仕事に手を抜く気はなかった。

 撤退はするがやる事をやってからだ。 ハーキュリーズは覚悟を決める。

 聖女は雰囲気が変わった事を察したのか、僅かに身構えた。


 ハーキュリーズは防御を意識せず、一気に間合いを詰める。

 聖女は斬撃を繰り出すが、構わずに強引に懐に入らんと肉薄。 ハーキュリーズは内心でこれではないと聖女の剣を弾く。 かなり接近された事に焦ったのかやや強めの斬撃。


 ――これだ。


 聖剣アドナイ・ツァバオトの振り下ろし。 正直、かなり危険なのでやりたくなかった上、警戒されている手である為、一度しか使えない。 撤退命令を受けて居る以上は時間もないのでやるなら今だ。 ガリズ・ヨッドで強化された知覚は聖女の描く攻撃の軌跡をしっかりと認識。

 

 ハーキュリーズは歯を食いしばり、その刃を肩で受ける。

 聖剣は彼の装備の防御を突破しその体に食い込む。 激痛が走り魔力によって発生する熱が体内を焼く。

 

 ――ρετριβθτιωε ξθστιψε正義

 

 同時に彼の権能が発動し。 聖女の肩にも彼と同じ傷が刻まれる。

 

 「――くっ!?」

 「今だ! やれぇ!」

 

 聖女が不意に発生した激痛に僅かに声を漏らし、ハーキュリーズは普段は出さない大声を上げる。

 正義の権能に関しては警戒していたようだが、戦力の要であるハーキュリーズがそれをやるとは思わなかったようだ。 聖女は咄嗟に聖剣を引き抜こうとするがそうはさせないと刃を掴んで強引に引き留める。


 周囲の部下達の鎖が同時に聖女へと襲いかかる。

 そして鎖が聖剣エロヒム・ツァバオトに十重二十重と巻き付いてその刃を覆いつくす。

 

 ――よし。


 取った。 その確信と共に鎖が引かれ、聖女の手から聖剣が離れ――ない。

 何故だとハーキュリーズが目を見開く。 この距離だからこそ彼はいち早く気付けたが、他は鎖に意識を集中していたので反応が致命的に遅れてしまった。


 引かれた鎖の塊が部下達の方へと近づいた段階で、鎖の隙間から無数の水銀で出来た針の様な物が大量に降り注ぐ。 聖剣を取った気でいた彼等はそれに対しての対処が遅れて次々と貫かれる。

 致命傷を受けて何人もの聖堂騎士や救世主が斃れた。 そしてその結果にハーキュリーズも動揺を隠せず隙を晒してしまう。

 

 「――がっ」


 胸の辺りに衝撃。 引き剥がせないと判断した聖女が彼の胴体に蹴りを入れたのだ。

 体格差はあるが聖剣による強化された蹴りは簡単にハーキュリーズを吹き飛ばした。 その衝撃で聖剣が抜け、両者の距離が離れて彼の身体が地面を転がる。


 我に返ったハーキュリーズは斃れた部下を見て何が起こったのかを理解した。

 この女は絡め取られる前に聖剣の表面に水銀を纏わりつかせ、鞘のような物を作って鎖の干渉を防いだのだ。 そして取らせたと見せかけて形状を変化させ接近と同時に奇襲。


 明らかに鎖で聖剣を取られる事への対策だ。 聖剣の加護と持っていた魔法道具の効力で傷が塞がり始めるが聖女の傷はもう治癒が終わりそうだった。 明らかに本数の差が出ている。

 そしてハーキュリーズは忌々し気に肩の傷を一瞥。 思うのは体に食い込んだのがエロヒム・ツァバオトだったなら、という後悔だ。 アレは水銀を精製するエロヒム・ツァバオトだからこそできた回避。 アドナイ・ツァバオトだった場合は使えなかった筈だ。

 

 ――運がない・・・・


 右か左、位置取り次第では誘導できたというのに焦りでしくじった。

 業腹だが時間切れだろう。 これ以上粘るとヴァルデマルの催促がしつこくなるので、ハーキュリーズは部下に申し訳ないと思いつつ、諦めて転移魔石を使用しようとしたが――パキリと嫌な音が響いた。

 

 慌てて魔石を取り出すと手の中でボロリと砕ける。 どうやらさっき蹴られた衝撃で壊れたようだ。

 ハーキュリーズの背筋がさっと冷える。

 

 ――ハーキュリーズ殿!? 急ぎ撤退を!


 いつまで経っても引き上げないハーキュリーズに業を煮やしたのかヴァルデマルからの連絡が入るが、彼はそれに応える事が出来なかった。 

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