第1021話 「躊躇」

 ――不味い。


 ハーキュリーズは雲行きが怪しくなってきた事を感じていた。

 連れて来ていた部下の救世主はもう半数以上が脱落。 対する聖女は健在。

 流石に疲労は隠しきれていないが、これだけの長時間の戦闘を続けていたにもかかわらずほぼ無傷。

 

 ふざけた事にこれだけの人数で仕掛けて攻撃がまったくといって良い程、まともに当たらないのだ。

 減った救世主の穴を埋めるべく聖堂騎士が入っているが、仕留められる気がしない。

 ハーキュリーズはなんて理不尽な女だと文句の一つも言いたくなっていた。


 目的はあくまで聖剣の奪取であって撃破ではない。 片方だけでも奪えればそのまま突き崩せると考えていたのだが、その前段階で躓いている有様だった。

 攻撃が通用しない訳ではない。 聖女と大層な肩書は付いているが同じ人間。 斬れば血を流し首を刎ねれば死ぬだろう。 その点に疑いはない。


 だが、その攻撃がさっぱり当たらないのだ。 彼の聖剣による斬撃は防がれるか躱される。

 それ自体は想定内。 最初から彼の役目は聖女の動きを止める事で本命は周囲を固めている者達だ。

 鎖で奪い取ろうと数十名が常に隙を窺い、動きの間隙を突いて仕掛けていたのだが、その悉くが不発に終わる。 いや、それで終わるだけならまだ挽回は出来るのだが、下手に隙を晒せばそのまま仕留められてしまう者が多かった。


 この聖女の性質の悪い所は際どい所で攻撃を躱し続ける事ではなく、当たりそうで当たらないといった状況を常に作り続けている事で相手の判断を鈍らせる事にある。

 ハーキュリーズもそれに乗せられていたが、かなりの人員を失った所でようやく冷静さが戻って来た。 聖女に斬りかかりながら思考はどうすれば勝てるのかへとシフト。


 少なくともこのまま行けば自分は問題ないが自分以外が皆殺しにされる。

 そうなれば聖女は広範囲攻撃に切り替えて、自分の相手をしながら周囲の掃除を始めるだろう。

 考えるまでもなかった。 今の戦力では難しい。


 業腹ではあるが本国に連絡を取ってラディータを呼び出して二人で潰す。

 任された身で成果を上げられないといった屈辱的な報告にはなるが、部下の命がかかっている以上はそんな事は言っていられない。


 指揮官であるヴァルデマルへ連絡を取ったのだが――


 「――何?」


 思わずそう呟く。 ヴァルデマルから返って来た言葉はそれだけ衝撃的な物だった。

 本国――それもジオセントルザムが襲われている。 最初に聞いた時、何の冗談かとも思ったほどだった。 首都であるジオセントルザムはクロノカイロスの最奥で、最も守りが固い場所だ。


 知らせが届くにしても出現、上陸、侵攻、そしてジオセントルザムへ侵入といった手順があるはずにもかかわらず過程を飛ばしてのこの状況。 流石のハーキュリーズも動揺を隠せなかった。

 増援を呼べるような状況ではなく、ヴァルデマルからは逆に戻れと言われてしまったのだ。


 ――戻れる訳がないだろうが。


 ここで聖剣使いの自分が抜けたら自由になった聖女が聖騎士を殺して回り始める。

 当然、部下だけで抑えられる訳がない。 物量では勝っているが、最初に接近する際にかなりの犠牲が出た上に敵は砦を上手く使って損耗を抑えており、思うように進んでいない。


 そんな中で聖女を自由にすればどのような結果になるのかは分かり切っている。 下手をすれば全滅すらあり得るのだ。 ハーキュリーズは懐の転移魔石に意識を向ける。

 これを使えば即座にジオセントルザムの大聖堂へと転移できるだろう。 わざわざ呼び戻す以上、かなり劣勢を強いられているのは間違いない。


 ――どうすればいい?


 迷う。 立場を考えれば戻るのが正解だが、ここにいる者達は確実に全員死ぬ。

 撤退は彼等を殺す事と同義だった。 聖剣は力はくれるが道を示してはくれない。


 ヘイスティングス・リーランド・ハーキュリーズ。

 グノーシス教団教皇直属筆頭近衛聖騎士。 そして聖剣ガリズ・ヨッドの担い手。

 そのような肩書こそあるが、彼の生い立ちは比較的ではあるが凡庸な物だった。

 

 父親は聖騎士、母親は聖職者。 両者ともそこまで熱心ではなかったが、安定した収入を得る職業としてはグノーシス教団は理想的な環境だったので自然と門を叩いた結果だった。

 そんな中で生まれたのがハーキュリーズだ。 最初は面倒くさい規則の多いグノーシス教団は肌に合わなかったので冒険者にでもなって気ままに生きて行こうかとも考えていた。


 両親は生活を考えるなら聖殿騎士ぐらいになれば食うに困らないぞと勧めてくれたが、強制するような事はせず、彼の自主性に任せる事にしたのだ。

 母方の祖父母が健在だったので、家計を支えてくれれば助かるといった思惑もあったがそれは口にしなかった。 ハーキュリーズは両親の事は嫌いではなかったし、可愛がってくれた祖父母の事も好きだったので、迷いはしたが早々に聖騎士になる事を決めた。


 ――諦めと慣れは人生を上手く渡るコツなのかもしれない。


 そんな事を考えながら聖騎士になった彼は適当に仕事をこなし、順調に成果を出しながら聖殿騎士へと昇格。 これで家族に楽をさせてやれるなと内心でほっとしながらも黙々と日々を過ごす。

 彼は状況への適応性という点では優れており、教団の規則を面倒と思いながらも受け入れていた。


 この調子で適当にやっていれば問題はないだろう。 気楽に考えていた彼に転機が訪れる。

 父親の死だ。 魔物の討伐任務に失敗して死亡。

 状況を受け流して気楽にやる事を信条としていた彼にもこれは許容できなかった。 怒りに駆られた彼は父親を殺したであろう魔物の群れの討伐任務に志願。 仲間と協力して群れの殲滅には成功。


 だが、そんな事をしても父親は帰ってこない。 母親は父親の死に悲しみ、一気に老け込んでしまった。

 それにより仕事ができなくなったので祖父母と母親の面倒を見る為にハーキュリーズは更に収入の良い聖堂騎士を目指す事にした。 幸か不幸か父親の敵討ちの戦いでの活躍が偶然参加していた本国の聖堂騎士の目に留まり、声がかかったのだ。


 ――本国に来ないかと。


 ハーキュリーズは悩みはしたが、クロノカイロスは住み易い土地と聞いていたので家族に楽をさせてやる為にも同意。 こうして彼は本国の聖堂騎士となる。

 彼は普段は手を抜いているだけで本気になれば、大抵の相手には負けない程の実力者だった。


 本国での仕事は命の危険こそ少ないが常にある事を求められる。

 強者である事。 定期的に行われる模擬戦で一定の成績を出し続けないと徐々に待遇が悪くなるのだ。

 その為、常に本気を出し続ける事を強要され、居心地が悪いと感じるまでそう時間はかからなかった。

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