第1007話 「餌山」

 「救世主」ロザリンド・レイ・フェリシティは放たれた矢のように一直線に大聖堂へと向かっていく。

 この戦いが始まってから彼女は常に動き回っていた。

 北にディープ・ワンが出現した事を確認すると即座に部下を率いて同僚の管轄地に踏み込む辺りはあまり褒められた行動ではなかったが、初動の速さもあってオラトリアムの侵攻に対応できたといえるだろう。


 彼女は短気ではあるが、こういった戦場での勘は鋭い。

 真っ先にディープ・ワンの撃墜を狙ったが、エグリゴリの守りを突破するのは難しいと判断し、地上に展開した戦力の排除を続けていた。 敵の排除を続けながらフェリシティは機を窺っていたのだ。

 

 彼女が考えるのは敵の排除とその過程で自分が最も手柄を上げられる手段。

 視野は狭いが鼻が利くフェリシティは戦況の変化に敏感だった。 それにより、メイヴィス達の参戦によってオラトリアム陣営の強化とグノーシス側への弱体化。 その原因を潰す事が重要と判断して即座に動いていたのだが――


 ――不意に発生した大聖堂を襲う闇の光。 それにより彼女は急遽目的を変更。


 不自然なまでに重要施設である大聖堂や王城が攻撃に曝されない所を見ると、戦場を広げて戦力を散らした後に制圧を狙っているというのは馬鹿でも分かる。

 ただ、内部には教皇、法王を直接護衛する近衛が居るのだ。 簡単に敗北するとは思えないが、分かりやすい形で襲撃された以上、介入する理由には充分だ。


 ちょうど近くにサンディッチが来ていたので、フェリシティは最初に狙っていた対象を彼に押し付けてそのまま踵を返して大聖堂へ。

 彼女の中には当然ながら手柄を立てたいといった功名心は存在したが、それ以上に大聖堂で発生した光は危険な物だといった考えもまた存在したのだ。


 ――アレは早い内に排除するべきだろうと。


 彼女の認識は正しい。 大聖堂へ仕掛けた者の目的は教皇や施設そのものだろう。

 大聖堂と王城は重要人物だけでなく、戦況を左右する重要な設備まであるのだ。 落とされる事は断じてあってはならない。 そんな考えの下、彼女は大聖堂へと急ぐ。


 到着した彼女が見た物は無残に破壊された大聖堂の外観だった。

 本来は芸術品のように美しい造形の慣れ親しんだ建物はあちこちが砕け、一切の汚れを認めないといわんばかりの白さは攻撃によって巻き上げられた土埃や破損によって薄汚れてしまっている。


 その無残な光景にフェリシティは怒りに表情を歪ませていた。

 奥では戦闘のものと思われる衝撃や金属音が断続的に響いている。 今から追いかければ追いつく。

 フェリシティは大聖堂の中へと足を踏み入れるとあちこちに戦闘の痕跡があり、あちこちに血液らしきものが飛び散っていた。 等間隔に並んでいる像や壁には高熱に曝されたのか焼け焦げた後が無残にも刻まれている。


 だが、奇妙な事もある。 肝心の死体がないのだ。

 この戦場に満ちている天使の加護があれば大抵の傷は瞬時に塞がるので、殺すには即死させるしかない。 それでも死体が残る筈だった。


 ――にもかかわらず痕跡はあれど死体は見当たらない。


 フェリシティはその奇妙さに嫌な予感がしていたが、構わずに奥へと走る。

 やや広い廊下を真っ直ぐに駆け抜け、少し広い場所に出たところで嫌な音を彼女の耳が拾う。

 戦闘による物ではない。 いや、戦闘の音自体は遠くで響いているが、少し離れた所からそれに混ざって異音が聞こえるのだ。


 具体的には何かを咀嚼するような生々しい嫌な音だった。

 フェリシティは走る足を緩めて慎重に廊下を抜けるとそこには生死は不明だが、散らばるように倒れている聖殿騎士や聖堂騎士。 そしてその中央にそれはいた。

 

 大型の魔物――地竜と呼称される大型の肉食の魔物だ。

 フェリシティは立場上、世界中の魔物に関しての資料には目を通しているのでそれ自体は知っていたが、記録にある地竜とはかけ離れた姿をしていた。


 全体的に筋肉質で何より腕が大きく、似ている訳ではないが五指を備えて人間に近い形状をしている。

 そして最大の特徴は背に鞍が付いている事だろう。 つまりこの生き物は騎獣なのだ。

 少なくとも地竜は走破性には優れるが気性が荒く、使役は難しいので騎獣に適さないというのが常識だった。 そんな魔物を使役できているという点は驚きではあるが、魔法等による洗脳を用いれば不可能ではないのでそこまで気にはならない。


 その地竜は近くに積み上げられている死体をバリバリと貪り食っていた。

 パンでも齧るように人間を掴んで上半身を口に入れて喰い千切る。

 その光景にフェリシティは激高。 魔物ごときが選ばれた民を貪り喰らうなどとあってはならない事だからだ。


 既に展開していた権能を用いて風の刃を形成。 魔物を斬り刻むべく一閃。

 魔物は鈍重そうな見た目とは裏腹にフェリシティの攻撃へ即座に反応。 軽い動きで跳躍して尻尾を振るう。

 等間隔で切れ込みが入り、表面から刃の生えた尻尾が風の刃を散らしながらフェリシティへと襲いかかる。


 彼女は即座に横に跳んで回避。 一瞬遅れて尻尾が床に深い傷を刻む。

 フェリシティはたった一度の攻防で魔物の脅威度を大幅に上方修正。 こいつは簡単な相手ではないと気を引き締める。


 魔物――サベージは油断なくフェリシティへと視線を向けた。

 彼が主人から与えられた役目は大聖堂へ入って来る後続を抑える事で、誰も来ない内は落ちているおやつを食べ放題の自由時間だったのだがそうもいかないらしい。

 

 取り敢えず目の前の邪魔者を排除するべきかと冷静な思考で威嚇するように喉を鳴らす。

 サベージの尻尾が縮んで戻り、フェリシティは権能を纏った剣を構える。

 両者とも動かない。 睨み合うが、痺れを切らしたのか最初に動いたのはフェリシティだ。


 「寛容」と「勤勉」の複合により束ねられた不可視の風の刃は変幻自在で大抵の相手には斬られたと認識させる間も与えない。

 だが、彼女が対峙しているサベージはその大抵に含まれないようだ。

 フェリシティの動きに合わせてサベージは身を低くして走る。 この広い空間を最大限に利用するように無軌道な動きで回避行動。 風の刃はその動きを正確に捉えていたが、まるで見えているかのように攻撃が当たる直前に急加速。 風の刃は虚しく空を切る。

 

 「――くっ、この! 魔物の分際で!」


 フェリシティは風の刃の形状を細かく変えながら攻撃を継続。

 追いかける形で背後からの斬撃、鞭をイメージした軌道で背を狙った一撃、最後に移動先を読んでの攻撃。

 背後からの一撃は跳躍で回避、続く二撃目はギリギリまで引き付けたところで空中を蹴っての瞬間加速で空を切り、最後の一撃は急制動をかけてやり過ごし、お返しとばかりに口から火球を吐き出す。

 

 サベージの反撃にフェリシティは風の刃を変形させて防ぐ。

 火球が空中で爆散。 同時に周囲に煙が充満する。


 ――煙幕か!?


 どうやら今の攻撃は防がせる為に放った攻撃だったようだ。 視界が瞬時にゼロになる。

 風で吹き散らそうとしたが、フェリシティは身の危険を感じて前方に身を投げ出して回避行動。 背後へ振り返ると一瞬前まで彼女の上半身があった場所をサベージの口が通り過ぎる。 回避が遅れれば上半身を齧り取られていただろう。 


 サベージは攻撃を外した事に対して特に何も感じていないのか、フェリシティへ無機質な視線を向けると煙の奥へとその姿を消した。

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