第989話 「影落」

 その日のクロノカイロスは良く晴れており、雲も少なく空がよく見えた。

 空から降り注ぐ陽光を浴びて人々は穏やかな日常を過ごしている。

 それは首都であるジオセントルザムも同様だった。 この日はウルスラグナとの開戦があり、首都の外にいる聖騎士達は次々と転移でウルスラグナへの侵攻に向かっているので、戦闘職の者達はやや緊張している。 変化といえばその程度の物で日常を生きる者達からすれば気にもならなかった。


 今回、ウルスラグナへ侵攻するに当たって用意された戦力は本国の聖騎士達ではあるが、首都の防衛に関わらない者達が主となっていた。 その為、首都の防衛に関わっている者は救世主達と聖剣使いであるハーキュリーズのみだ。 枢機卿達は指揮官といった立ち位置ではあるが、元々防衛にそこまで絡まないので防衛戦力に計上されていない。


 本来なら指揮官には実戦経験の豊富なヒュダルネスかサンディッチが選ばれる予定ではあったが、あの二人は余計な事をしかねないと言う事で候補から外されてしまった。

 

 ――とは言ってもやる事は基本的に変わらない上、物量で押し潰すという戦法を取る以上はヴァルデマルでも充分に代用が利くといった理由もあったのだが……。


 その時間、ヒュダルネスは遥か離れたウルスラグナの地で起こっている戦闘に思いを馳せ。

 サンディッチはこうなってしまった以上は仕方がないと諦めて黙々と仕事に没頭する。

 フェリシティは参加できなかった事が不満ではあったが、聖剣の選定には必ず立候補してやると意気込んで今日も訓練所で部下を痛めつけていた。


 フローレンスは何も考えずに無言で部下を引き連れて担当区域を巡回。

 その思考は凪。 何も考えずに与えられた役目を淡々とこなすのみ。

 ウルスラグナとの開戦といったイベントこそあったが、首都にいる者達には関わり合いのない事だった。 ウルスラグナとの一戦に片が付けば聖剣を回収し、いつもの日常が帰って来るのだろう。


 ジオセントルザムに居た者達は根拠なくそう信じていた。

 

 ――それが起こるまでは――


 

 

 最初に気が付いたのは巡回中の聖殿騎士だった。

 日差しが強かった事もあり、何の気なしに視線を空に向けた事が切っ掛けだ。

 ギラギラと強い日光を放つ太陽に違和感があった。 何か黒い点のような物が見えたのだ。


 最初は見間違いかとも思いつつも眩しさを我慢しながら目を凝らす。

 するとその黒い点は見る見る内に大きくなっていく。 何だと訝しむが数瞬の後に思い至る。

 何かが太陽を背負って落ちてきているのではないのかと。 それは正しく、彼の見ている間に黒い点は徐々にその大きさを増していく。


 流石に距離が近づいて来た事で他の者も気が付き始めた。 口々に何だあれは?と疑問を口にする。

 余りの光景に理解が追いつけず、反応できたのは一部の者達だけだった。

 同時に外敵の接近を感知してジオセントルザムの防御機構が作動。 この街が溜め込んでいる膨大な魔力が街を覆う壁に充填される。 巨大な障壁を展開。


 これはオフルマズドでも使用された障壁の発生装置で強度だけなら同等かそれ以上の物だった。

 同時に落下してきている存在の姿がはっきりと見えてくる。

 それは巨大な――巨大すぎる魚類の姿をしていた。 ディープ・ワンと呼称される圧倒的な巨体を誇る大怪魚だ。 だが、その姿は今までの物とは違っていた点がある。


 その全身だ。 表皮を黒い装甲のような物で覆われており、見ただけで堅牢さが伝わって来るがそんな事は些細な変化だった。 最も目を引くのは額から生えている巨大すぎる角――螺旋を描いているそれはドリルと呼称される穿孔を目的とした衝角と呼ばれる武装に近い。 そう器官ではなく武装なのだ。


 ディープ・ワンの衝角は魔力の光を放ちながら高速で回転。 凄まじい唸りを上げる。

 それを見てあの巨大な存在が何をしようとしているのかを悟って空を見上げた者達の大半が顔色を変えた。

 接触、障壁と衝角が衝突し、障壁が軋みを上げながらも落下して来た巨大質量の突進を受け止める。

 

 本来ならばジオセントルザムの障壁はディープ・ワンの直撃にも耐えられただろう。

 だが、ディープ・ワンのエラから噴き出すように魔力の光が吐き出され、衝角の回転が凄まじい勢いで増していく。

 時間にして一分もかからなかった攻防だが、目撃している者達からすれば永遠にも等しい長さだった。

 

 矛と盾のぶつかり合いに決着の時が訪れる。 障壁を維持している装置が負荷に耐え切れなくなったのだ。 魔力自体は足りていても維持する為の装置には耐久の限界がある。

 それによりジオセントルザムを守る盾は巨大怪魚の一刺しによって砕け散ったのだった。


 邪魔な障壁を排除したディープ・ワンは街のやや北よりの上空で停止。

 同時にその周囲に水塊が発生。 発生源であるディープ・ワンを中心にジオセントルザムの上空を覆う。

 それを見た者達の一部は即座に敵の正体に察しが付く。


 ――グリゴリを滅ぼした者達だと。


 敵である事は言うまでもない。 街に残っていた救世主達は即座に動き出す。

 特に北側の守護を担当しているフローレンスの反応は早かった。 部下を引き連れて即座に迎撃態勢を整えてディープ・ワンの元へと急行しようとしたが――


 ――奇襲を許した以上、先手を取る事は出来なかった。


 ディープ・ワンの腹が割れるように開き、同時に覆っている水も道を開けるように動いて腹を露出させる。 そして中から大量の何かが飛び出して来た。

 

 「……下りて来る。 迎撃、全て撃破。 「天国界シュメオン」の使用は自由。 ただし、三天以上は消耗が激しいから控えて」


 フローレンスは端的に指示を飛ばして腰の剣を抜きつつ敵の姿を見据える。

 ディープ・ワンから出撃したであろう戦力。 それは異様な存在だった。

 形状は人型。 デザインとしては全身鎧のように硬質な物で、グノーシス教団でも採用されている天使像が近いが、あちらよりやや細く精緻な印象を受ける。


 大きさは八~九メートル前後。 形状は全て同一で黒一色の色彩。

 そして背中には魔力で生み出されたであろう真っ黒な四枚の羽。 人型達は何もない所から剣や槍を生み出して装備。 そのまま急降下してくるものかとも思ったが、違うようだ。

 

 「!? 飛び道具! 防御!」


 意図に気付いたフローレンスが即座に警告を飛ばすと同時に上空の人型達の背から魔法陣のような物が展開され大量の光線が大地に向かって放たれた。

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