第988話 「釣出」

 ――厳しい。


 取り囲まれた聖女は現状をそう認識せざるを得ない。

 粘るだけならしばらくの間はどうにかなるが、勝利は難しいだろう。

 こんな状況になる事は想定されていたので、個人戦はクリステラと一対多の訓練はエルマン達と散々やって来た。


 その為、圧倒的な手数への対処はある程度ではあるが慣れている。

 水銀で防御、銅で牽制しつつ攻撃。 本来なら脆い所から各個撃破を狙うのが定石なのだが、喰らいついて離れないハーキュリーズがそれを許さない。

 

 聖女は数度の攻防で自分とハーキュリーズの技量差を痛感する。

 剣の腕だけならクリステラと同等だが、彼女と違いハーキュリーズの攻撃には決められた型のような物を感じた。 恐らく正規の訓練を受け続けた結果なのだろう。 動きが非常に洗練されている。

 

 裏を返せばその型から逸脱しないような印象を受けるのだ。 これがクリステラだった場合、当然のようにいきなり殴りかかって来るので怖さで言うなら彼女の方が上だった。

 付け加えるならハーキュリーズの聖剣の能力はクリステラ程の強化を齎さないのか、動き自体は速いが彼女ほどではない。

 

 だからと言ってハーキュリーズはクリステラに劣っているかと問われればそれは否だ。

 彼にはクリステラにないものがあった。 聖女の斬撃をハーキュリーズは紙一重といったタイミングで回避。

 これは実力が拮抗している為のものではなく、ハーキュリーズは聖女の攻撃をギリギリまで引き付けてから躱しているのだ。

 

 ――目が良い? いや、それ以上の何かがある。


 恐らく聖剣の能力だろうと聖女は当たりを付けた。 銅と水銀を用いた死角からの攻撃も見えているかのように完璧なタイミングで対処している点からも明らかだ。 そして聖女の推測は的を射ていた。


 聖剣ガリズ・ヨッド。

 その固有能力は感覚の強化。 視覚、聴覚などの五感に加え、第六感と呼ばれる直感的なものまで強化するといった肉体を強化するクリステラのエロヒム・ギボールと対を成すような能力だ。

 

 ガリズ・ヨッドの加護を得たハーキュリーズの目には聖女の剣が描く軌跡がはっきりと見え、その鼻は違和感を的確に捉え、耳は死角からの攻撃を即座に察知する。

 その為、常人には視認できない攻撃も引き付けて躱すといった離れ業を平然と行う事が出来るのだ。

 相手の攻撃を最大の動作で引き出した後、最小の動作で回避して返しに繋げるというのがハーキュリーズの得意な戦法だった。


 大抵の者は最初の交差で終わる筈だが、聖女は攻撃後に体勢を崩しているにもかかわらずハーキュリーズの反撃をやや無理な体勢ではあるが悉く躱し続ける。

 聖女の攻撃はハーキュリーズには届かず、彼の攻撃も聖女には届かなかった。


 一対一なら決着は着かないのではないかと思えるような攻防ではあるが、ハーキューリーズには連れて来た救世主達が居る。 彼等の支援で聖女の防御を突破せんと波状攻撃を繰り返しているが、いい所まではいくが際どい所で届かない。


 聖女はガリズ・ヨッドの能力を知らなかったがハーキュリーズは聖女の持つエロヒム・ツァバオトとアドナイ・ツァバオトの能力に対しての情報を与えられており、どういった物かの理解はしている。

 幸運と勝利の聖剣。 話に聞いただけでは今一つ実感が湧かなかったが、相対すると嫌という程に理解できてしまう。


 とにかく攻撃が通らない。 動き自体は追えている。

 感触から仕留める事は不可能ではないだろうと思えはする。 しかし、当たると確信した斬撃は空を切り、通ると確信した攻撃は防がれる。


 明らかに反応しきれていない攻撃ですら当然のように防いでいるのを見ると理不尽を感じるが、この調子では捕まえるのは難しいと判断せざるを得ない。

 ハーキュリーズの取れる選択肢はいくつかある。 まず、決着を急がない場合。

 

 このままアイオーン側の敵戦力を全滅させて聖女の防衛対象を完全に消し去り、戦闘目的を奪い取る。

 聖剣を持っている以上、消耗させる事は難しい。 その上、本人の技量以外の部分で力を発揮する代物なので、集中が切れた事による失敗も期待できない事もある。


 次に決着を急ぐ場合だ。 こちらは非常に単純な話だ。

 聖女の攻略は防御を飽和させる事にある。 単純に手数を増やす事が最適解。

 つまりはもう一人の聖剣使いであるラディータを呼び出して総力で叩き潰す事だ。 特に彼女の聖剣はそういった攻撃に向いているので尚更だろう。 だが、この手には危険が伴う。 そもそも彼女がこの戦場に来ていないのはもう一人の聖剣使いであるクリステラを警戒しての事だ。


 何らかの手段で本陣への奇襲を企んでいるかも知れないので迂闊に集中させられない。

 仮に実行するなら速攻で片付けないと非常に不味い事になる。

 本陣が壊滅すれば全体を強化している権能の効果も切れる上、ヴァルデマル達枢機卿を失うと全体の指揮を執る者がいなくなるのも不味い。


 その為、クリステラの動向を掴めない内はラディータの投入は様子を見るというのが上の意見だ。

 

 ――長い戦いになりそうだ。


 ハーキュリーズの考え通り、状況は膠着したまま動きそうもない。

 


 聖剣使いと大量の救世主に囲まれるという絶望的な戦力差にもかかわらずに奮戦する聖女を見て、エルマンは無言で魔石を取り出して連絡を取る。

 可能であれば聖剣使いは複数引っ張り出せとの事だったが冗談じゃない。 恐らくアドナイ・ツァバオトの能力を見込んでの事だろうが絶対に大丈夫という保証もないのだ。

 

 戦況は今の所、予定通りの膠着に持っていけている。

 敵の先鋒を聖女の攻撃でかなり減らせたからだ。 後続が合流すれば傾くだろうが、減った分を補充するのにはそれなりに時間はかかる筈。 その為、徹底して時間を稼ぐ事に集中しろと伝えている。


 その為、陣形は盾持ちを前面に押し出した防御力の高い密集陣形で、わざわざ相手が来るのを待ったのは作った砦を使って守りを固める為だ。

 敵の雑兵が聖女を無視する事は分かり切っていたので、聖女を突出させる形で配置させ、盾の後ろからひたすらに飛び道具で削る攻撃を採用しているので主力を聖女に集中させる為にも自分達は邪魔だと考えるだろうとエルマンは読んでいた。


 目論見通り――というよりは最初から聖女の相手をさせる面子は決まっていたのだろう。

 他は一切見向きもしない点からもそれは明らかだった。 狙いを読まれていたとしてもエルマンには関係ない話だ。


 ファティマとの取り決めでは最低限、聖剣使い一人と救世主が数十名。 それが聖女が受け持つべき敵戦力だ。

 約束の条件を満たしている以上、後は知った事ではない。

 

 ――頼むから何とかしてくれよ……。


 エルマンは祈るような気持ちで魔石を使って敵戦力の釣り出しに成功したと伝えた。

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