第949話 「癇癪」

 黄緑色の編み込んだ髪を揺らしたその気弱そうな印象を受ける顔立の少女で、身に纏っているのは枢機卿の法衣。

 彼女はグノーシス教団第七司教枢機卿――フェレイラ・グエン・ジャニス・ベールジンシュ。

 普段は大人しく自己主張の弱い少女だったが、そんな彼女にも聞き捨てならない事があった。


 「え、エウラリア枢機卿が裏切るなんて何かの間違いです!」 

 

 普段大人しい彼女が声を上げた事が意外だったのかその場に居た全員の反応が遅れた。

 

 「……はぁ、とは言いましても、彼女がアイオーン教団に協力しているのは事実です。 味方の軍勢を権能により強化。 それによりウルスラグナで発生したユルシュルという男が起こした内乱を鎮圧しています。 状況証拠のみになりますが、恐らく聖剣エロヒム・ギボールを聖堂騎士クリステラに齎したのは彼女で、聖剣を売り渡す事で亡命を――」


 最初に口を開いたのはベレンガリアだ。 流石に感情だけの否定で発言を遮られたのは不快だったが、決して嘘は口にしていないのでそのまま話を続けたのだが――


 「――黙りなさい」


 ――フェレイラから返って来たのは怒りを内包した低い声だった。


 「彼女の事を何も知らない癖に! 彼女がどれだけ教団の為に貢献してきたのかも知らない癖に! 知った風な事を言うな!」

 

 フェレイラの態度を見てベレンガリアは冷めた視線を向ける。

 所詮は子供の癇癪かと判断したのだ。 実際、フェレイラの発言はそう取られても仕方がない物だった。

 

 「――ふぅ、認めたくないのは分かります。 ですが、彼女が裏切ったのは純然たる事実。 貴女も責任ある立場なら反論には根拠を持って――」


 その為、ベレンガリアはやや呆れたように小さく鼻を鳴らしてそう言ったのだが、それがいけなかったのかもしれない。 それを敏感に感じ取ったフェレイラの視線は怒りを飛び越えて殺意へと昇華されたからだ。 そして脊髄反射の領域で殺意は行動に変換される。


 「『Φρεεδομ支配を φρομ免れし―― 」


 その目が輝きを増し、全身が発光。 明らかに権能発動の兆候だ。

 いきなりの行動にベレンガリアは表情を引き攣らせ、その場に居た救世主達は即座に反応。 各々武器を構えかけ――


 「お・や・め・な・さい!」


 ――誰かが行動を起こす前にフェレイラの後頭部で鈍い音が響き彼女が痛みに蹲った。


 隣にいた同年代の少女が彼女を殴りつけたのだ。

 彼女はグノーシス教団第二司教枢機卿――マルゴジャーテ・レニア・ファプル・アウゲスタ。

 やや薄い色合いの短い髪の少女で服装は同じ枢機卿の法衣。 こういった行為になれていないのか、咄嗟の事で加減が利かなかったのか手首をプラプラと振りながら残った手を動きかけていた救世主達に向けて抑えるように指示。 それを受けて救世主達は武器から手を放す。


 「フェレイラ! 貴女はもう立派な司教枢機卿なのよ! いつまでも見習い気分は困るわ! 気持ちは分からなくもないけど落ち着きなさい!」

 「ま、マルゴちゃ――アウゲスタ枢機卿。 でも――」

 「でもも何もありません。 モンセラートの事を悪く言われて怒る気持ちはわかります。 ですが、短気はいけません。 枢機卿たる者、その地位に見合った振る舞いが必要となるのは分かっているでしょう? 感情と思い込みで人を害してはいけません。 そしてここは猊下や聖下も足を運ばれる場所よ。 戦闘行為は絶対にやっては駄目。 仮に何かするならしっかりと筋を通しなさい」


 フェレイラは涙目でマルゴジャーテに視線を向けるが、納得したのか俯いた。

 

 「あぁ、よしよし。 痛かったわね。 ごめんなさい。 でも分かって? ここでは枢機卿として振舞わなければならないの。 分かるでしょう?」


 マルゴジャーテはフェレイラをそっと抱きしめて背中を撫でる。

 しばらくすると落ち着いたのか、フェレイラは「取り乱して申し訳ありません」と小さな声でそう言って大人しくなった。


 ベレンガリアは肝を冷やした事を隠す為か、やや小馬鹿にした視線を向けようとして――マルゴジャーテと目が合った。


 「後、貴女。 私達、司教枢機卿は全員ではないけど、それなりに親交があるの。 話をするのはいいのだけれど、少しは言葉を選んでいただけません?」

   

 ベレンガリアを見つめる目は若干だが輝いていた。 魔力の光だ。

 表情こそ冷静そのものだったが、その最奥には紛れもない激情が宿っている事を察したベレンガリアは気圧されたかのように頬を引き攣らせる。


 「し、失礼、配慮が足りませんでした。 以後気を付けます」


 そう言うしかなかった。 何故ならマルゴジャーテの視線は雄弁に語っていたからだ。

 必要以上に仲間を貶めるなら覚悟をしろと。

 

 「いやはや、お見事ですなアウゲスタ枢機卿」

 「アレクサンドル。 ここは貴方が止める所よ?」

 「はっはっは、私も突然の事だったので、身動きが出来ませんでした。 それも含めて助かりましたな」


 マルゴジャーテの鋭い視線をヴァルデマルは笑って受け流す。

 暗にお前達の客ならちゃんと言い聞かせろと言っているのだが、察した上で流された。

 それを見ていたヒュダルネスとサンディッチは表情こそ変えないが、ほっと胸を撫で下ろす。


 彼女達と一緒に居た、他の第二、第七の枢機卿達も同じ気持ちだったのか露骨に安堵の表情を浮かべていた。


 「で、では、話を続けます。 どういった経緯かは不明ですが、エウラリア枢機卿がアイオーン教団に身を寄せている事は確認が取れているので間違いありません。 彼女の能力は皆さんの方がよくご存知かと思われます。 場合によっては敵対もあり得るので、その点は留意するべきかと」

 

 その後は主要な聖堂騎士の簡単な戦闘力や指揮能力などの総合的に見た所見と評価。

 聖堂騎士に選ばれるだけあって全員が高い能力を持っているのは明らかだが、このクロノカイロス基準で測ると平均的な物だった。 その後は簡単な活動の概要を述べた後、ベレンガリアの話は終わった。


 「……まぁ、やっている事はそんなに変わらないか」


 一通り聞いたヒュダルネスの感想はこの場に居た大半の者の意見を代弁した物だった。

 実際、アイオーン教団の活動はざっくり言ってしまえば居なくなったグノーシス教団の穴埋めに近い。

 その為、活動自体に嫌な顔をする者は少なかったのだ。


 「取りあえず、アイオーン教団に関しては分かりました。 それで? ベレンガリア殿でしたか? ウルスラグナで調査したと言う事でしたら謎の多いオラトリアムについては何か分かりませんか?」


 サンディッチはそう言って話題を移行させようとする。

 アイオーン教団に関しては情報が出揃ったので、後は対策を練るだけとなるのだが、問題は良く分からないオラトリアムだ。 どのような戦力を保有しているかすら分からないので、対策の練りようもない。


 「……その、オラトリアムに関しては分かっている事は少なく防諜対策も非常に高い水準で備えている勢力だった事もあり、余り多くをお話しできませんが……」


 ベレンガリアはそう前置きして知っている事を口にした。

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