第950話 「隠蔽」
オラトリアム。
ウルスラグナ北端に存在する領の一つ。 当初は収穫される農作物を売って細々と食い繋いでいるだけの地味な領だった。 北端――特に亜人種の巣窟であるティアドラス山脈が近かった事もあり、余り人が寄り付かない上、近隣領と違って目立った特産も持っていなかったので近くに住んでいる者でもなければ存在すら知らないような場所だった。
一時は資金難で隣領への借り入れなども行っていたという話もあったが未確認。
そういった事情もあって誰にも見向きもされないような小さな領――の筈だった。
だが、ある時期を境に転機を迎える。 最初は収穫物の質が大幅に向上した事だ。
それにより需要が大幅に向上、一気に収益を伸ばして経済的にも急成長を遂げ、いつの間にか武具などの販売も行い始め、順調に商売の手を広げて行く。
実際、外から分かる範囲での記録を漁っただけでもその成長ぶりは異常としか言いようがない。
早々に収益で周辺領を上回り、ある程度まで成長した所で頭打ちになったのか大人しくなる。
しばらくの間は目立った動きこそなかったが、ウルスラグナの王都で発生した事件を契機に一気に動き出す。
待ってましたとばかりに周囲の領を併呑。 その勢力を更に拡大。
瞬く間に国の三分の一をその支配下に治める。 今では国内でも最大規模の経済力を持つ大勢力となっていた。
「……少し前まではユルシュルという対抗勢力が存在しましたが壊滅した事により、もはやあの国を裏で支配しているといっても過言ではないかもしれません」
勢力の概要をベレンガリアから聞いた一同の反応は良くない。
何故なら自分達が知りたい情報が一切含まれていないからだ。
「……発展してウルスラグナを裏から操れる程の経済力を持っていて、実質、大陸の北部を完全に牛耳っている所は分かった。 前知識としては入れといた方がいいのかもしれんが、肝心の戦力構成や注意するべき人物の詳細な情報はないのか?」
「過去に戦闘などを行っているのならその詳細も知りたい所ですね。 どのような戦術を得意としているかが分かれば事前にある程度の対策もとれるのですが……」
ヒュダルネス、サンディッチの疑問は当然だった。
いくら金を持っているかは勢力の体力を測る上でも重要だが、いざ戦いが始まればあまり意味がない。
本当に重要なのは相手がどのような手段で殴りかかって来るかだ。
途端にベレンガリアの歯切れが悪くなる。
「それが、過去に戦闘を行ったという記録はあるのですが、どうもかなり念入りに隠蔽と偽装を施しているようで詳細が不明となっています」
「分かる範囲でいいから、何が起こったのかを教えてくれ」
ヒュダルネスの質問にベレンガリアは未確定の情報を口にする。
明確に確認された戦闘は小競り合いレベルの物を除けば、ユルシュルが仕掛けた二回だ。
最初の一回はオラトリアムに隷属を強要したが、断られた事により発生した戦闘だ。
これは彼女がユルシュルへ身を寄せる前の話だったので、又聞きだった事もあり不明な点が多い。
聞けばオラトリアムの支配地域に踏み込んで半日経たずに全滅。 死体は消滅前に固めた肉団子にされてユルシュルに射出。 空中で弾けた団子は文字通り、血の雨となってユルシュルに降り注いだという恐ろしい顛末だった。
二回目はユルシュルの壊滅前の話だ。 ベレンガリアが提供した魔導書を用いてオラトリアムへの意趣返しも兼ねた大侵攻作戦が行われ、前回以上の規模と魔導書により引き上げられた強大な騎士達は容易く勝利するだろうとユルシュル王は考えていたのだが……。
結果は惨憺たる有様だった。 報告によればオラトリアムへ向かう途中の森に入った後、消息を絶ったとの事。
――訳が分からない。
彼女が知り得たのはそれだけだ。 本当に消えた事しか分からない。
どうやってあの軍勢を消し去ったのかは最後までベレンガリアには分からなかった。
「……はっきりせんな」
「聞いた限りではかなり情報を漏らさない事に気を使っている組織といった印象を受けますが……」
一通り聞いた二人はやや考え込むように沈黙。
「何だ。 分からんのか使えん奴だな!」
そして空気を読まないフェリシティはそんな事を口にし、ベレンガリアは反射的に言い返しかけたが、何とか自制心を働かせて口を噤む。
――この馬鹿が! お前がだらだらと本国で過ごしている間、私は命懸けで情報を持ち帰ったんだぞ!
ベレンガリアは命の危険を承知でギリギリまでユルシュルの城に残り、情報を集めたのだ。
本人の中ではそういう事になっているのだが、実際は安全な城から戦場を俯瞰していただけだった。
少なくともベレンガリアにとっては危険を冒して手に入れたので、フェリシティの発言は非常に不愉快だったのだ。
「どう思う?」
「……何とも言えませんね。 いくらなんでも情報が少なすぎます」
話し終わったベレンガリアに興味を失ったのかヒュダルネスはサンディッチに意見を求める。
サンディッチもお手上げとばかりに肩を落とす。 これで何か分かるのなら、是非とも教えて欲しいというのが彼等の偽らざる本音だった。
「前者に関しては論外。 後者に関しては森に入ったと同時に奇襲をかけて全滅させたというのが、自然な流れでしょう。 ただ、気になるのは軍勢を一人の生き残りも出さずに殲滅してのける手腕ですね。 センテゴリフンクスへ向かった遠征隊が襲われた時と手口が似ていますが、とにかく入念に準備を整えてから絶対に取り逃がさないように状況を整えて仕掛けるといった慎重さが窺えます」
恐らくわざわざ奇襲なんて真似をしなくても全滅させる事の出来る戦力を持っていると考えられるが、それをやらない所にサンディッチは恐ろしさと不気味さを感じる。
強者は力を誇示する者といった認識は根強い。 個人単位であるなら見せつける事で優越感を、組織や国家単位であるなら他国に対する抑止力として力を示す事は非常に重要だ。
ぶつかれば弱者は強者に平伏する。 否、せざるを得ない。
そして強者は弱者にそれを強要できる立場に立てる。 つまり他者に対しての選択肢が増えるのだ。
サンディッチの認識は正しい。 彼の所属するグノーシス教団も長い歴史の中で影響力を発し続け、その力を誇示し続けている。 それによりこのクロノカイロスの平和は守られているといっても過言でない。
単純な話、力があるなら見せつけておかないと損と言う事だ。
特に勢力であるなら侮られない事は必須と言っていい。 そしてそれをやらない事はサンディッチにとって非常に不可解だった。 ここまで戦力の詳細を掴めないという事はそれだけ上手に隠している事だ。
つまりは勢力を率いている者は馬鹿ではなく、高い知恵を持った賢者だ。
そんな人間がサンディッチの思いつくような事を理解しない訳がない以上、これは敢えてそうしていると見て間違いない。
サンディッチは分からないという事を嫌う。 不明は想像を生み、想像は憶測を招く。
そして憶測は彼の信条とする公平さと相容れないものだからだ。
だからこそ彼はオラトリアムに非常に強い警戒心と恐れを抱く。
「……どちらにせよ仕掛けて見ないと分からんって事か」
ヒュダルネスがそう纏めると不意にしゃりしゃりと金属が擦れるような音が響いた。
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