第913話 「過去」
魔物の討伐任務をこなしていたクリステラだったが、ただ黙々と魔物を無慈悲に刈り取る姿は部下から畏怖の眼差しを向けられていた。
普段ならもう少し周りに配慮するのだが、今の彼女にそんな事を考える心の余裕はない。
頭の中は王都とそこで苦しんでいるモンセラートの事でいっぱいだったからだ。
クリステラはどんな手を使ってでもモンセラートを救おうと考えていたが、その手段が一切見つからない。
エルマン達の働きで症状の推移や原因などはある程度判明したが、肝心のどうすれば復調するかだけは今現在もはっきりしないのだ。
症状を緩和する方法だけは判明していたので、進行を遅らせる事は出来ている。
だが、それが何だというのだ。 クリステラは八つ当たりのように魔物を屠り、次の獲物を探す。
モンセラートが、友人が苦しんでいるというのに何もできない。 その事実が酷く彼女を苛んでいた。
クリステラという女はこれまでまともに友人という存在を作って来なかった事と他者への執着が薄かった事もあり、その反動なのかようやくできた友人であるイヴォンやモンセラートが絡むと余り冷静に物を考えられない。
クリステラ・アルベルティーヌ・マルグリット。
物心が付く前には両親から捨てられ孤児となった彼女は親を知らない。
彼女にとっての親は育ててくれた修道女サブリナとグノーシス教団の教義。
幼い頃から察しの良い娘だったので、何となくだが自分が棄てられたのだろうなと言う事には見当が付いていた。 その為、早々に親という存在に対する興味と執着は消え失せており、その割り切りの良さ故に信じるべき物を見定める事にしたのだ。
当時は幼く、そこまでの考えがあった訳ではなかったが、半ば本能的に自分の心を守る為に行ったのだろう。
それにより育ての親であるサブリナと普段から刷り込まれているグノーシス教団の教義を信じる事にしたのだ。
炊事、洗濯などの家事全般の才能は皆無どころか絶無だったが、剣などの戦闘技能の習得に関してだけは非凡とも言える才覚を発揮した。
大抵の武器は初めてでも高い水準で扱い、特に剣に関して言えば突出しているといっていい。
剣といっても重量、長さなどあり、形状も様々なので一括りにできる物でもなかったが、大抵の物は苦もなく使いこなした。
重すぎて持てないような剣ですら全身を使って振り回すといった離れ業まで披露し、その才能を見せつける。
才能を買われて聖騎士の学園への入学を薦められるのにそう時間はかからなかった。
そこでも女性と言う事で淑女としての作法を教えられはしたが、何故か欠片も上達せず、逆に戦闘技能に関しては驚く程の速さで習得し、教えていない事まで勝手に覚えるに至る。
教官は教えることはないと未来の聖堂騎士に対して祝福と期待を抱いたが、当然ながら彼女に降りかかるのは賞賛だけではなかった。 彼女の才能を妬み、憎む者もまた多く現れる。
だが、恥をかかせてやろうと挑んだ者達は悉く叩きのめされ無様に地面を這い蹲る事となり、逆恨みでクリステラを襲うという――彼女の中で「卑怯な行い」に該当する事をした者に限っては文字通りの半殺しにされ、その大半は心が折れて二度と学園に現れなかった。
人間の悪意と言う物を嫌という程に味わったが、教義を妄信している彼女は良くも悪くも無垢なままで成長していく。 その鋼のような精神力こそが彼女を彼女たらしめていたのかもしれない。
誰であろうと立ち塞がる者は自分の信じる教義に従って叩きのめすといった毎日を送っていたが、流石に学園側もこんな調子では置いておけないと判断したのか卒業を言い渡す。 どちらにしても戦闘能力や教養に関しては充分に水準を満たしていたのでこれ以上在籍させてもあまり意味がないと言う事もあったが。
結果的にではあるが、歴代最速で学園を卒業したといった箔が付いた状態での聖騎士となった。
好成績で即戦力になると言う事もあり、見習いの過程を飛ばして聖騎士に就任。
そうなってからの彼女の活躍は非常に分かりやすい物だった。 野盗が現れれば斬り込んで皆殺しにし、拠点の場所を探し当てては皆殺しにした。
そして魔物が村や街を襲えば皆殺しにし、巣を作る種であれば探し当ててやはり皆殺しにした。
近くで見れば狂気に近い信仰に突き動かされた狂人に見える程の苛烈さだったが、救われた民からすれば自分達を守ってくれる立派な聖騎士様に映るようで、その美貌もあって注目が集まる。
目立つ活躍をし続ける彼女を教団も高く評価し、早々に聖殿騎士に格上げとなり、聖堂騎士になるまでそう時間はかからなかった。
その頃になると彼女の活躍はあちこちに伝わり、ちょっとした有名人となったのだ。
救われた人々がクリステラに感謝の言葉を述べ、口々に誉めそやすが彼女の心は凪いでいた。
やる事をやっているだけなので、褒められる謂れはない。 当然の事を当然のようにこなすだけだからだ。
聖堂騎士という職としては最大級に安定した肩書を手に入れてもそれは変わらなかった。
ちなみにエルマンが聖堂騎士になった時はこれで食うに困らない上、指示だけ出せばいい楽な暮らしが待っていると小躍りしていたが、その後に立ち塞がる現実を前に彼がどうなったのかは別の話だ。
そんな調子でいる物だから良くない考えの者に目を付けられるのもまた、必然だったのかもしれない。
恥をかかせてやろう、足を引っ張ってやろう、出る杭は打たれるとばかりに悪意が彼女に降りかかる。
中でも最も大きな物が御前試合――所謂、新人聖堂騎士が先達に胸を借り、新人への期待と聖堂騎士の強さを見せつけるといった催しとなる。
クリステラは何も考えずに淡々と参加を了承し、教団や国の重鎮が見ている前で鼻っ柱を圧し折ってやろうと挑んで来た先達の聖堂騎士――ヴォイドという男を一瞬で叩きのめした。
その頃にはもう彼女を新人と侮る者はいなくなり、一人前の聖堂騎士として世話役まで与えられる事となる。
――だがそれは彼女に重大な欠陥を与える結果にもなった。
それは何か? 単純な話だ。
彼女は聖堂騎士として社会的な地位を確立したにもかかわらず、まともな人間関係を構築できなかった。 つまり、人の輪で生きて行く為の社会性が欠如してしまったのだ。
日常は世話役が居るので支障がなく、信仰を貫き、教団の敵を斬るだけの彼女の思考は完全に停止。
こうしてある意味、教団が真に求めた聖堂騎士が完成したと言えるだろう。
彼女は命尽き果てるまでグノーシス教団の教えを貫徹する存在となりそれは未来永劫変わらないだろう。
――その筈だった。
ある事件が起こるまでは。
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